キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

ソドムとゴモラ

2009-08-22 14:28:43 | 聖書原典研究(パウロ書簡)
万軍の主が私たちに子孫を残されなかったら、
私たちもソドムのようになり、ゴモラのようにされたであろう。
(ローマ書9-29)



この8月は仕事も忙しく、なかなか原語読解も進まなかったが、

やっとガラテヤ書5章を読み終えたところである。

そしてガラテヤ書を読み進める度に、私の脳裏に浮かぶのは、

ローマ書の内容である。

このガラテヤ書は執筆年代からいっても、ローマ書の摘要と称してもよく、

パウロの遺作ともいうべきローマ書読解のヒントが、随所に散見される。

パウロがローマ書9-29において引用したイザヤ書10-22も、

ガラテヤ書にその読解の鍵がある。


パウロもわざわざ明記しているように(ガラテヤ書3-16)、

パウロは「子孫(σπερμα:スペルマ)」をもってキリストを指し示している。

すなわち、上記の聖句を訳しなおせば、下記のようになる。


万軍の主が私たちにキリスト(σπερμα)を賜わなかったら、
私たちもソドムのようになり、ゴモラのようにされたであろう。


その道徳的頽廃により神に滅ぼされた地ソドムとゴモラ、

創世記の記述からすれば、娘と父が性交渉をするほど情欲乱れ、

客人をなぶり殺すことを欲するほどに民心は残忍となり、

最後には天からの火によって滅ぼされた地ソドムとゴモラ。
(ソドムとゴモラが焼き尽くされた結果として、死海ができたという)

もしキリストなくば、我々も同じように滅ぼされるだろう、と。


パウロがここで責めているのは、自分たちはキリストに救われているが、

キリストを知りもしないし知らない人々は、救いからもれているという、

キリスト者の非福音的態度である。

自分たちだけは特別だ、自分たちだけが救いを楽しみ謳歌し、

その他の人々はどうでもよいとする態度、

この態度ほど、イエス・キリストの十字架の生に反することはない。


イエス・キリストなくば、我らの生は滅ぼされるべきソドムとゴモラである。

しかし神は、イエス・キリストによって、この滅ぶべき人間を救い給う。

神は今も、この滅ぶべき人間を救いつつある。

そして滅ぶべき人間から新しきキリスト者を起こして、

福音を我儘に閉じ込めようとする旧きキリスト者に抗して、

福音を福音たらしめるのである(ローマ書2-15)。


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1 コメント

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ただの感想です。 (マグダラ)
2009-08-31 03:17:36
時々来て 考えたり黙想したりしています。このブログに感謝します。私はカトリックですが、主から一瞬でも離れたら落ちる。人は常に主に繋がっている時のみ真です。ですからパウロはその事を通して私達を励まそうとされた。と私は私の霊によって感じました。 いつも発見があります。ありがとうございます。
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