手塚治虫「シュマリ」を読む。
とてつもなくカッコイイ男の一代記。
以前は俺のうちにもあったのだが、いつのまにか紛失。今回再購入しての再読(池袋ふらついてたおかげで安値でゲット。やはり書を捨てよ!街へ出よう―しからば良き書に出会うであらう!)。
黒田清隆率いる蝦夷開拓軍という巨大権力に最後まで抗った「シュマリ」。朴訥な、徹底した正義感と在野精神、加えて一人の女を忘れられず、その幻影に悩まされるという底抜けに人間臭い男。
俺の小学生時代のヒーローはドラゴンボールの悟空でもキャプテン翼の大空翼でもなく、この「シュマリ」だったことを思い出した(ことあるごとに年少時の俺と他の小学生との享受した文化の差異を書いているわけだが、本当のことだからしょうがない。いまだにそうした周りとの違和感―根底的な考えの基盤の不和は息づいている)。
”在野で行こう。どんなにカッコ悪くてもそれは変わらない”
友人宅でシュマリ下巻を読み終え、帰路につく俺の頭のなかでは、そういったこれからの人生の指針とでも言うべきものがグリングリン回っていた(マンガに影響を受け過ぎる、俺の悪い癖)。そんでもって電車に乗ると、疲労困憊然たる、今のところ夏休みという極度に社会的な休息期間を与えられて仕事から解放された状態の親父たちの面々(だんだん文章がモブ・ノリオ風になってきてる、あぶないあぶない)。そのうつろな目の集合体―全てに興味を失ったような―を見てると、手塚が描いたシュマリの目が眼前に蘇ってくる。
”在野で行こう。ハンターになろう”
こうして、在野精神を鍛えられつつある俺なのだが、いわゆる在野=反社会=周縁=アンチテーゼたる精神が、今や精密に細分化された構造をもつ「社会」という超巨大勢力に(便宜的に「社会」と名づけたが、これは正確な名称ではない。村上龍が「限りなく透明に近いブルー」の最後で描いたような、巨大な黒い鳥のようなもの、個を摩滅させる不可効力の権力、が今言うところの「社会」)だんだん凌駕されつつあるのを見るのは忍びない。
フジロックなんかやめてさ、まずい焼き鳥を出す屋台にでも飲みに行こうよ。
と言ってみる。
朝から酔っ払っている夏休み男のくだらない能書き。
とてつもなくカッコイイ男の一代記。
以前は俺のうちにもあったのだが、いつのまにか紛失。今回再購入しての再読(池袋ふらついてたおかげで安値でゲット。やはり書を捨てよ!街へ出よう―しからば良き書に出会うであらう!)。
黒田清隆率いる蝦夷開拓軍という巨大権力に最後まで抗った「シュマリ」。朴訥な、徹底した正義感と在野精神、加えて一人の女を忘れられず、その幻影に悩まされるという底抜けに人間臭い男。
俺の小学生時代のヒーローはドラゴンボールの悟空でもキャプテン翼の大空翼でもなく、この「シュマリ」だったことを思い出した(ことあるごとに年少時の俺と他の小学生との享受した文化の差異を書いているわけだが、本当のことだからしょうがない。いまだにそうした周りとの違和感―根底的な考えの基盤の不和は息づいている)。
”在野で行こう。どんなにカッコ悪くてもそれは変わらない”
友人宅でシュマリ下巻を読み終え、帰路につく俺の頭のなかでは、そういったこれからの人生の指針とでも言うべきものがグリングリン回っていた(マンガに影響を受け過ぎる、俺の悪い癖)。そんでもって電車に乗ると、疲労困憊然たる、今のところ夏休みという極度に社会的な休息期間を与えられて仕事から解放された状態の親父たちの面々(だんだん文章がモブ・ノリオ風になってきてる、あぶないあぶない)。そのうつろな目の集合体―全てに興味を失ったような―を見てると、手塚が描いたシュマリの目が眼前に蘇ってくる。
”在野で行こう。ハンターになろう”
こうして、在野精神を鍛えられつつある俺なのだが、いわゆる在野=反社会=周縁=アンチテーゼたる精神が、今や精密に細分化された構造をもつ「社会」という超巨大勢力に(便宜的に「社会」と名づけたが、これは正確な名称ではない。村上龍が「限りなく透明に近いブルー」の最後で描いたような、巨大な黒い鳥のようなもの、個を摩滅させる不可効力の権力、が今言うところの「社会」)だんだん凌駕されつつあるのを見るのは忍びない。
フジロックなんかやめてさ、まずい焼き鳥を出す屋台にでも飲みに行こうよ。
と言ってみる。
朝から酔っ払っている夏休み男のくだらない能書き。