新緑のベストシーズン到来。観光客も少ない伊豆で、ゆったりと自然を満喫できます。1泊2食¥7350~★お料理自慢の宿ペンションエルブルズでは、ランチやディナーのご予約も承っております。 (ランチ¥1575~、ディナー¥4200~)、シラヌタ・天城散策の合間のご会食などにお気軽にご利用下さい。 (*不可日あり。まずはお問い合わせ下さい。TEL 0557-23-4833) |
*いつものことですが、
このようなテーマの時は、写真少な目、文章長いです!
自分の覚書もかねていますが、
もし宜しかったら読んでください!
そして、間違っている所があれば、是非ご指摘下さい!!
ナランとは「蓮」、ダとは「与える」という意味。
蓮は知恵の象徴。転じて、「知恵を授ける場所」
北インド仏教の最重要拠点。
仏陀はここで説教をし、
玄奘三蔵が経典を授かった場所。
■梅雨の時期、
紫陽花や花菖蒲が美しく咲いている。
こんな日、しっとりと濡れた石畳、古刹を訪ねる旅、なんて
とっても「いい」ような気がして
以前より興味のあった、河津町奥谷津にある南禅寺(なぜんじ)に行ってみた。
ここでは、なんと平安時代の仏様を拝む事が出来るとか!!
河津バガテル公園へ行く途中、看板にしたがって山中へ。
車だったら、河津駅から10分くらいの距離だろうか。
緩やかにカーブを描く
伊豆急行線の線路。
■「しっとりと濡れた石畳」を見たいと思って出掛けたが
しっとりどころか、風雨強まり、途中の写真はほとんどなし。
ご勘弁を。
駐車場に車を止め
急な、ホントに急な参道を登ること数分。
(地図に、急な坂道と書いてありますが、ホントです。)
ただし、足の不自由な方は、一部私有地内を通る道路を利用し
自家用車でお堂のすぐ近くまで上がれます!
■参道の最後、石畳の先に
太い樫の木に周囲を守られたお堂が1つ。
これが、南禅寺。
江戸時代に作られたお堂だ。
住職は居ない。
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天平感宝元年(749年)、行基が那蘭陀(ナーランダ)寺をこの地に開創。
その後康和元年(1099年)実道法師が建立したとされている。
行基は、優れた土木技術を持ち、民衆から厚い信頼を受けていた僧。
東大寺の大仏創建にも係わっていた。
玄奘三蔵の弟子の弟子。
行基の功績は西日本に多く残っているが
伊豆には、行基が開いたとされるいくつかの寺院や温泉がある。
伝承によれば、
那蘭陀寺は七堂伽藍を供え、薬師如来像などが安置されていた大きな寺であったという。
現在でもこの地区には、弥勒、大門、仏谷 などの地名が残り、
かつての一大寺院の存在をうかがい知る事が出来る。
しかし、永享4年(1432年)山津波により、堂や仏像は一夜にして埋没。
その後、天文10年(1541年)、南禅和尚が南禅堂を建立し、
土中より掘り出された埋没仏像群は、
地元の人たちの手で、大切に守り伝えられてきた。
■今年のはじめ頃まで、このお堂の中に何体もの仏様が安置されていたが
現在は、併設された「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館」に
安住の地を得られている。
入り口を入ると、真新しい木材のいい香り。
受付のオバチャンとちょっとおしゃべりをしていると
展示館の学芸員の方だろうか?
ここの仏像を守られている地元のオジチャン?的な方が現れ、
一対一で、懇切丁寧な解説をして下さった。
なんと贅沢な時間。
気付いたら、じっくり1時間以上、仏像と対峙していた。
もちろん仏像は撮影禁止。
なので、パンフレットの写真でご紹介。
(写真左上)薬師如来坐像
像高なんと117.4cm。思った以上に大きい!
一木造(頭部、体幹を一本の木から造る)、
翻波式の衣文(大波小波が交互に打ち寄せるような衣の文様)、
厚みのある体躯、彫眼などの特徴から、
平安時代前期(9~10世紀)・静岡県最古の極めて重要な文化財。
その他、
よくぞ残ってくださいました、仏様が大勢。。。
ヨーロッパへ展示会の為に渡り、
あちらの国の人たちを驚愕させた
金剛力士立像や
神像もある。
展示館へ移され、仏様が遠くに感じられるようになったかと思いきや
その全く逆で
ノミ後の一つ一つまで、見る事が出来る距離。
「お客さんに触られてしまう危険性はあるけれど
それより、じっくり見て頂きたいから。」
と、案内をしてくださったオジチャン。
「愛」を感じた。
■そこで一つ疑問が湧いた。
なぜ、この山中に
これほどまでの洗練された素晴らしい仏像が、
しかも少しずつ時代が違うにしても同じ種類の仏像が重複して複数存在するのだろうか?
オジチャンは、「仮説ですが・・・」と前置きをしながら
語ってくれた。
いにしえ、
京の都と東国を結ぶ交通手段として最も有効だったのが、「海路」。
伊豆半島は、その海路のちょうど中間地点に当たる。
以前は、この近くまで海が深く切れ込み、
その入り江は良好な港の機能を果たしていた。
これらの仏像は、地元の仏師によるものではなく
東国への仏教の布教の為に
京の都よりやってきた仏師集団が彫り、運び出していたのでは???
という説があるそうだ。
運搬の為の地の利、そして豊富な木材。
あくまで仮説とはいえ、
1000年前、河津に仏像の発信基地があり
次々と生れては全国へ旅立っていった、などと考えると
楽しいではないか!
■お土産に、
売店で売っていた、カヤの樹のコースター。
小さい方が100円♪
ニッキのようないい香りがする香木。
目が詰まって硬く、香りもするので
虫がつきにくく
日本にはないビャクダンの代わりに、
多くの仏像がカヤの樹を使って彫られたそうだ。
■すっかり満喫し、
参道を下る。
もしここに、伊豆急の「黒船電車」が通過したら
画になるなぁ、などと考えつつ
南禅寺を後にしたのだった。
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