◆ペンションエルブルズ◆INO-SHIKA日記part2

天城山麓、標高620mに建つ料理自慢のペンションエルブルズ。そこに住む面白家族と変化に富む伊豆の自然をお楽しみ下さい♪

▼石だから残った。石でなくても残したい。(青かばツアー・その7・最終回)

2013-05-07 | 伊豆東浦路とサイの神
★新緑のベストシーズン到来。ゆったりと自然を楽しんでいただける季節です。1泊2食¥8925~!★お料理自慢の宿ペンションエルブルズでは、ランチやディナーのご予約も承っております。(ランチ¥1575~、ディナー¥4200~)、シラヌタ・天城散策の合間のご会食などにお気軽にご利用下さい。 (*不可日あり。まずはお問い合わせ下さい。TEL 0557-23-4833)




 ■さて、7回にもわたってしまいました、青いかば旅行社さん主催のツアーの思い出、

  ツアーのタイトル「街中古道と石にまつわるエトセトラ」の「石」を最後に。。。

 ■そもそも街中古道とは?
  
  伊東の町中には
  東浦路、という昔の街道の名残がそこ彼処に。。。

  東伊豆の白田周辺の東浦路については
  以前、私のブログでも書いてみました。

東浦路とサイの神・シリーズ
  
   はっきりと記録は残っていませんが、
   平安時代から存在したとも言われている、
   伊豆東海岸を下田まで走る街道を
   東浦路といっています。

   ということは。。。伊豆に流されていた頼朝も歩いたかもしれません。
   現職の老中松平定信は総勢350名もの大部隊を率い
   海防・伊豆巡視のためにこの路を通りました。

   伊能忠敬は伊豆半島測量のために、ゆっくりと歩きました。
   神奈川沖で停泊中の黒船に乗り込もうとしていた吉田松陰。
   下田を目指し出航してしまった黒船を追いかけ、
   この路を走り抜けました。。。

  そんな東浦路の、伊東の町中に残る痕跡を「街中古道」と呼んでいるそうです。

 ■道につき物の、道標。

  残念ながら、多くの道標は、町の開発によって
  本来の場所から移動されていますが、

  あちこちに残っていて、昔を偲ぶ事が出来ます。

 ■バスの停留所の名称にもなっている「石灯籠」。


  
  現在は、道の端に置かれていますが・・・。
  
  1844年建造のこの石灯籠、
  海岸から真っ直ぐに伸びた道のど真ん中に置かれ、
  海上からの見通しも良かったことから
  夜間の海上運航の安全指標・燈台としても使われていたそうです。

  現在、建物も多く建ち、海を見通すことは出来ませんが
  伊東の昔の姿を知る、ひとつの材料になっています。

 ■こちらは、仏現寺の坂を下りきったところ。



  大きく「下田道」と書いてあります。



  
  多くの道標が、道路の整備などで本来の場所から移動された中
  この道標は、地元の方が道路工事が終了した後、
  然るべき場所に戻してくださったそう。。。



 ■そして、サイの神様たち。



  こんな路地に押し込まれてしまっていますが、



  新品の真っ赤な毛糸のお帽子を被っておられました。



  町の事情か、狭い場所にはおられますが、
  確かに、大切にされている、そう思いました。

 ■3人並んだサイの神様。



  手前には、お供え物をする台のように置かれた石。
  平安時代の五輪塔の部品だそうです。




 ■八幡神社の境内に置かれたサイの神様。



  こちらも、だいぶ痛んでいるように見えますが
  実は、これが信仰の証。

  子供たちが、像を叩いたり、火にくべたり、川に落としたりしながら
  願い事を唱えるのが
  サイの神信仰。

  皆さま、身体を張って、子供たちの願いを聞き入れてくださるのです。


 ■実物は見ることはできませんが
  
  ここ妙隆寺において、本道改築の折



  お経の中の文字が一文字ずつ墨書された石が「山ほど」出土しました。



  改築後、それらの石は、埋め戻され
  その場所に「経塚」が建てられています。



  今回、各お寺については書きませんが、
  伊東の町には、数多くのお寺、神社が存在し
  それぞれに、大変興味深い縁起があります。

  またいつか、伊東の町を散策して
  それらの歴史や言い伝えも、詳しく知って行きたいなぁ~~。

 ■以上で、伊東町歩きツアー・シリーズ終了です♪
  




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▼サイの神さまの「穴」

2012-07-26 | 伊豆東浦路とサイの神
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***本日の写真***

あれ??後頭部にぽっかりと穴。。片管神社のサイの神さま




 ■昨日は久し振りに暑かった~~!!
  この先どうなる事かと思いましたが
  今この時間(朝10時過ぎ)のPC部屋には涼しい風がそよそよと吹き込み
  快適♪
  はぁ^^生き返った。

 ■昨日に引き続きサイの神様のお話。

  前回ご覧いただいたサイの神さまの後ろに回ると、
  頭のど真ん中に、まるい凹みがありました。

  サイの神さまは、子供の守り神。
  子供のお願いなら、何でも叶えてくれると言う信仰がありました。

  祈願の方法は、少々荒っぽい。
  
  自分らの子供が病気になったとき、
  親は、近所の子供に、サイの神を拝むように頼みます。

  頼まれた子供らは
  サイの神の前に集まり、竹や棒切れ、石などを持って

   「ナムセーノカミサン、○○ちゃんの病気が治りますようにお頼み申す」

  と大声を張り上げてサイの神を叩きながら祈ったのでした。

   (『伊豆の史伝』より引用)

 ■長い間、一体何人の子供に「ぐりぐり」やられたのか。
  このサイの神さま、がんばりました!!

 ■白田川を挟んだ片瀬の対岸。
  白田の湯が岡地区に
  大きなサイの神様がいらっしゃいます。

      

  片管神社のサイの神の高さが50cm位であったのに対し、
  こちらは80cm越え。

    

  文久2(1862)年、幕末の頃の作のようです。

  お顔の真ん中と

   

  背中の方にも、
  子供たちにぐりぐりやられたと思われる痕があります。

  この地区のサイの神様は、大変な思いを、いつもしてきました。

  山からやって来た「一つ目小僧」に『病気になる子供のリスト(書付)』を押し付けられ
  それがあると困ると言われて
  『リスト』ごと火にくべられたり(どんど焼き)、

  子供らには、顔をなくしてしまうほど年中叩かれ。。。。

  それでも、優しいお姿で
  今も子供たちを見守っているのでした。




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▼大切にされている、サイの神様@片瀬

2012-07-25 | 伊豆東浦路とサイの神
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***本日の写真***

久し振りにUP。片瀬のサイの神様




 ■時々通る片瀬の奥まった場所に
  片管神社、はあります。

  サイの神について何も知らなかった頃は、前を通り過ぎるだけでしたが
  それにまつわるお話を知ってから
  じっくり拝見したくなりました。

  片管神社の由来

   

  由緒正しき神社です。
  入母屋造りの重厚感ある社殿。

   

  こて絵のような細工も見られました。

   


  その鳥居の脇

   

  ちょっと猫背な感じの
  愛らしいサイの神様が「ちょこん」といらっしゃいます。
 
  サイの神は、子供の守り神。
   サイの神様、参考文献

  病気平癒を、友達が祈願します。
  誰かの病気が治って、元気に学校へ行かれるようになったのでしょうか?
  色鮮やかな造花で飾られたサイの神様。

 ■蚊にいっぱい刺されて、
  足中痒くなりましたが
  なぜか
  のどかな気持ちになれた午後でした。





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▼東浦路の旅(1-9)巡拝塔に刻まれた名前

2012-02-16 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

太田姓 清衛門 さんの旅の記念碑





 ■舗装道路を歩いてきた東浦路の旅ですが、
  ここで、ほんの少しだけ「古道」と言うに相応しい土の道を歩きます。

● 12:00 短い古道の名残 

  別荘地内の舗装道路は緩やかなにカーブしながら続いています。
  車で通るとなんでもない距離でも
  自分の足で歩くとかなり、きつい~~!

  「あ~、もうそろそろ、何かないかな」と思い始めた頃

   

   前方に何やら細い横道が。
   どうやら、これが元々あった東浦路のようです。

   

   梅林やミカン畑の横を歩き、
   左手には、奈良本から天城までの風景が一望!
   遠くにあるのは三筋山でしょうか??

   

   ものの5分も歩くと、
   古道の出口になり、先ほど歩いていた舗装路とぶつかりました。

   

● 12:05 峠の石造塔群 

   古道から舗装路に出ると
   複数の道が合流する交差点になっていました。
   その中、今歩いてきた道のほぼ正面に位置する道が、東浦路の続きのようです。

   右手の木陰に石造塔が7体。

    

   右側の4体は、巡拝塔です。

   一番右側。
    

   向って右側には 「奉納 西国供養佛」の文字
   向って左側正面には 「豆州 奈良本縣」の文字
        横には 「○○○河津庄尼 下田駅(旧字で)」

   建立は寛政四年(1792年)十月吉祥日

   奈良本とは、この辺りの地名です(熱川という地名はありません)。
   何故、奈良本というのか、これはまたいつか別の機会に。。。

   そして、丸い台には

    鈴木○ ○衛門
    加藤氏 兵衛門
    太田姓 清衛門
    太田氏 源兵門
    ○○ 半四郎
    ○澤  作衛門

   と名前が連ねてあります。
   鈴木、加藤、太田、と現在も、この地に多い苗字が並んでいる事に
   親近感を覚えます。
   200年の時の流れが一気に縮まりました。
 
   旅の仲間達の名前。
   なんか「ロード・オブ・ザ・リング」を思い出してしまいました。

 ■向って右から2番目の角柱。
 
   建立は文政九(1826)年十二月弐七日。
 
    太田○○○
    稲葉平太○
    土屋○○○
    太田○左○

   まるでうちの娘のクラスメートのような苗字が並びます。

   ちょっと触れたら、グラグラしました。
   大きな地震があったら、倒れてしまうかもしれません。

 ■向って右から3番目。

   建立は天保十(1839)年十月

   他の文字は判読できず。

 ■向って一番左の角柱。

  中央に「奉納 西国(旧字で)三拾三所供養塔」の文字

  建立は文化四(1807)年十一月吉日

    秋元吾五良
    楠山文右エ門
    楠山久左エ門
    楠山安○○
  
  親戚同士で旅に出かけたのでしょうか?

  正面には 鳳凰?形良い鳥が彫られています。

   

 ■そしてこの4体の巡拝塔の左側には
  ひと回り小さいお地蔵様が3体。

  資料によると、寛保三(1743)年 建立となっていますが
  痛みが激しく、全く判読できず。

  触れてみると、
  少し力を入れたら表面が剥がれ落ちてしまいそうなくらい、柔らかい。

  私のような素人ではなく
  ちゃんとした研究者によって保全、記録を今一度行って欲しい、そう思いました。










(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ
(1-2-a)片瀬の共同湯
(1-3)最初のサイの神さまとの出会い
(補足)サイの神/参考文献
(1-4)巡礼者の足跡
(1-5)村境から馬頭観音像群
(1-6)道標と奈良本小橋地区のサイの神/地神塔
(1-7)読誦塔と4体の馬頭観音像
(1-8)様々な神さまのカオス状態
  




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▼東浦路の旅(1-8)様々な神さまのカオス状態。。。

2012-02-14 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

角度によって様々な表情




 ■忘れないでいたい事や、
  新しく知った事や、
  書きたい事だらけでさっぱり前へ進んでいない東浦路の旅シリーズです。
  でもしつこく続いています

●11:52 いろいろたくさん石造塔

  そのまま三菱地所の別荘地内の広い車道を登って行くと
  左側のうっそうとした場所の中に
  石造塔がいっぱい===。

  大日如来像あり

   宝暦12年(1762年)8月吉日、「智挙印」の大日如来

   
  
  馬頭観音像ありお地蔵様あり

  どなたかのお墓のような物もあり。

  路のあちこちにあった石造塔を
  道路の建設時に集めた場所かもしれません。
 
  何度か起こった地震のせいでしょうか?
  倒れてしまってばらばらになった石造塔もあって、
  少し忘れ去られた感がありました。
  この路を歩き始める前は、
  倒れた石造塔は「ちょっと怖いもの、近寄り難いもの」と言う気持ちでしたが
  今は、
  可能であるならば、元のように修復してあげたい、と変化しました。
  「知る」ということは、こういう事なのかなぁ、と思うのです。  

★大日如来
  密教の根本教主。
  その知恵の光明は太陽のように宇宙全体を照らす絶対原理であるといわれている。

  如来は2種類。
   ・差別界の知恵を中心とする金剛界の大日如来。
    胸の前で左人差し指を右こぶしで握る「智挙印」を結んでいる。
   ・平等界の理を中心とする「胎蔵界」の大日如来。
    膝の上で両手を重ねる「法界定印」を結んでいる。

  宝冠を戴き、装身具を身に着けた菩薩の形に作られている。

  町内現存13寺院のうち、9寺院が草創期密教系宗派であった事が知られ、
  様々な文献からも
  鎌倉幕府の尊信が厚かった、伊豆山権現の密教信仰が
  明治になるまで、
  東浦路の人々の生活の中にも浸透していた事がうかがわれる。


●11:55 巡拝塔と仲良く並んだお地蔵様


   明治18年の巡拝塔
    

聖地を巡礼する習慣は、世界中に見られる宗教的行事です。
 平安時代始めには、一部貴族の特別な習慣でしたが
 徐々に庶民にも広がり
 江戸時代に入ると、『信仰心』に『リクリエーション』の要素も加わり
 皆で全国巡礼札所めぐりに出かけたということです。

 そうは言っても、
 やはり巡礼の旅に出掛けることは、人生にとっての一大事であったはずであり
 
 この者が旅先で重病に陥ったり、死亡してしまった時には
 その地の作法で、何卒宜しくお願いします。

 などと書かれた往来手形が残っていたりします。

 そして、その手形には

 この者が夕暮れ時にウロウロしていたら
 どうぞ一夜の宿をご提供下さい。
 (手形を読んだ私の古文解釈なので、間違っていたらごめんなさい。)

 などとも、書かれています。

 目を閉じると、
 その頃の大変な旅の様子が目に浮かんできます。 
 そして、その旅人を優しく迎え入れる優しい日本人の姿も。。。

 そして、無事帰郷の折には
 共に旅をした仲間の名前などを掘り込んだ巡拝塔を建てたのでした。

■ほんの数メートルの中に
 様々な宗教、思いの詰まった『部分』でした。









(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ
(1-2-a)片瀬の共同湯
(1-3)最初のサイの神さまとの出会い
(補足)サイの神/参考文献
(1-4)巡礼者の足跡
(1-5)村境から馬頭観音像群
(1-6)道標と奈良本小橋地区のサイの神/地神塔
(1-7)読誦塔と4体の馬頭観音像





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▼東浦路の旅(1-7)読誦塔と4体の馬頭観音像

2012-01-28 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***
祈りをささげた記念碑





 ■先日、伊東で行われた講演会を聞きに行って来ました。
  この「東浦路の旅」シリーズを書く時の参考資料の一つにさせていただいている
  『伊豆東浦路の下田街道』の著者 加藤清志先生の講演会です。

  本を読んでいても充分面白みが伝わってきますが
  やはり生のお話は面白い。
  ますます東浦路に興味を持ちました。
  
  さて、旅を続けます。

●11:39 町道横断し、お地蔵様へ

  さかいまつ前のサイの神に別れを告げ、
  道(旧県道)を横断します。
  
    
  
  この道をそのまままっすぐ進むと「熱川ハーブテラス」へ行く事が出来ます。

  坂を少し下り左の方へ折れていくと
  やがて少し新らしい感じの地蔵堂があります。
  中にいらっしゃるお地蔵様は
  いたみが目立ちますが
  お供えものがあったり、赤い涎掛けが真新しかったりして
  近隣の方々に大切にされているのでは、と思いました。

  このお地蔵様は 経典を読誦した記念に建てられた物で、
  読誦(どくしょう)塔といいます。

  台座右脇には
   奉 建立六道能化地蔵尊
   右意趣者法華経千部為
   読誦供養也 維持延享元甲子天十月吉日

  左脇には
   自性院八世享山敬白 と書かれています。

  つまり1744年に 法華経を1000回読誦した記念に
  このお地蔵様を建立した、ということ。

  1000回ですよ!!!

  この頃、この地に何か事件があったのでしょうか。
  自性院は、奈良本の奥の方にあるお寺で、伊豆88ケ所霊場30番札所になっています。
  近いうちに、このお寺にも行ってみたいと思います。

  
★読誦塔
  経典を何部、何回、何日読誦したかという行為を
  記念に刻んだもの。

●11:43 再び旧県道へ。

  橋(小川と濁川にかかる橋)を二つ渡り

   

  坂を登ると再び車道へ出ます。
  右へ行くと、熱川のバナナワニ園、温泉場へと行く事が出来、
  左へ行くと、
  旧県道へ戻ります。

  左へ曲がり少し進むとT字路になります。
  右前方に見えるの店舗は「カネヘイ商店」酒屋さんです。
  
    

  かつて、東海バスの奈良本駅でした。
   (この辺りの方に聞くと、バス停のことをバス駅とおっしゃいます。
    伊豆急行が通るまでは、バスが重要な交通手段だったんですね~)


●11:46 三菱地所の別荘地入り口へ。

  T字路を右折し、カネヘイさんの前を通り
  三菱地所の別荘地入り口まで
  車道を歩きます。

  別荘地入り口は、変則十字路となっており
  ここを左へ曲がります。

  右へ行けば国道135号線にぶつかり、
  まっすぐ進めば、この先伊豆高原の手前赤沢まで続いているので
  国道の渋滞時、抜け道として使うこともあります。


●11:47 4体の石仏

  別荘地入り口から程近い崖の上に
  4体の石造塔があります。

   
  4体とも、馬頭観音像のようです。

  向って左から 嘉永12年(1852年)5年正月
  
  そのお隣。
   
  解読できず 手に持たれているのは何でしょうか?
  ハスの花のような気もしますが、わかりません。

  またそのお隣。文政8年(1825年)霜月吉日

  右端。
    
  文久2年(1862年)3月吉日
  こちらの浮彫の馬頭観音は、印を結んでおられます。


  実はこの観音様、ススキの中に埋もれていました。
  この辺にあるはず、と行ったり来たりして
  ふと、高いところを見上げたら
  草の中にお姿が~~!

  ちょうど、道具を持っていたのでお掃除をしました。
  これで家族みんな、無病息災、まちがいなし!!





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▼東浦路の旅(1-6) 道標と奈良本小橋地区のサイの神/地神塔

2012-01-13 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

うつむき加減が愛らしいサイの神




 ■年を越してしまった東浦路の旅。
  歩いた時間はほんの数時間ですが
  色々な要素が詰まっていて、とても有意義な旅だった事に
  今更ながら気付いて嬉しくなっています。

  今までの記事一覧は、この記事の最後に表にしてあります。よかったら合わせてご覧下さい。

 ■さて、熱川小学校脇にある馬頭観音像群に寄り道をし、20分ほど休憩をした後、
  東浦路へ戻ります。

  ●11:15 さかいまつ前の道標

  

  道標には「?方 伊東」などの文字が読み取れますが
  あとはよく読めません。

    

  道路の拡張工事に伴い、本来の場所から少し移動されたそうですが
  撤去とならずに本当に良かった。。。

●11:20 小橋(こばし)地区のサイの神

  熱川小学校の子供達が駄菓子や文房具を買ったり、
  制服が売っていたり(この辺の公立小学校は、制服があります)、
  ちょっとした雑誌、タバコなどなど、色々売っている商店『さかいまつ』の前、
  石段を登るとそこに石造塔が3体あります。

    

  左の丸彫り合掌像と中央の浮彫像がサイの神。右側が地神塔です。

    

  浮彫像は宝暦十二(1762)年壬八月吉日と刻んであります。

  右側の笠付角柱の地神塔は文政四(1821)年巳五月吉日、「地神宮」、台石には5名の氏名が彫られています。

    

  次の写真をご覧下さい。

    

  お気付きでしょうか?
  最初の写真の塔のトップにあった、「擬宝珠」と呼ばれる丸い石がありません。
  心無い誰かが持ち去ったのか??
  イエイエ。
  ヒント「二つ目の写真は、1/13に撮影した物です」

  続きはまた次回。



★地神塔とは★

   地神は、稲穂を持ってきた神さま、
   春の社日(春分秋分に最も近い戊の日)に田畑へやって来て
   秋になるまでそこで作物を作っている神さま、といわれ、
   農村地帯で信仰されています。
   社日には土を動かしてはいけないという禁忌があり、
   その日は一日畑仕事をせず、信仰する人々が当番の家や地神塔の前に集り、地神を祀りました。

   地神塔は元禄時代から建て始められ、文化文政以降明治時代まで盛んに造られました。
   東伊豆町にはここと、稲取地区にある2基のみが確認されており、
   他の石造に比べ、珍しいと言えます。
   







(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ
(1-2-a)片瀬の共同湯
(1-3)最初のサイの神さまとの出会い
(補足)サイの神/参考文献
(1-4)巡礼者の足跡
(1-5)村境から馬頭観音像群






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▼東浦路の旅(1-5)村境から、馬頭観音像群

2011-12-01 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

観音の中で唯一「怒り顔」の観音~馬頭観音のはずですが。。。
この馬頭観音(弘化4年=1847年)は、優しいお顔@熱川小学校裏門



●10:37 片瀬と奈良本の村境

 『左 いとう』という道標に従い、左の方へ旅を進めます。
 登り坂は急な斜面に沿って、九十九折れに続きます。

  

 今でそ、コンクリートで舗装され歩きやすくなっていますが
 かつてはもちろん土の道。
 多分岩などもごろごろしていたことでしょう。

  

 雨など降った日には、
 この急坂を勢いよく水が流れて行ったに違いありません。

 坂を登りきり
 薄暗い場所から明るい場所に出る地点が、片瀬と奈良本の村境であった場所です。
 昔この辺りに、村境を示す大きな松の木があったそうです。
 村境の松だから『境松』。
 現在、熱川小学校のすぐ脇にある商店の店名は「さかいまつ」。
 かつて、境松に一番近い場所に、このお店の店主の家があり、
 屋号が「さかいまつ」であったことから、
 店名を「さかいまつ」としたそうです。

 

 注意してみると、小さな石の塊が樹の下にあるのに気付きます。

 

 目を凝らすと、何文字かが浮き出てきます。
 『信士』『享保三年』(=1718)『向町 向山』などと書かれているようです。

 どなたかのお墓か、峠で旅人の安全を祈るお地蔵様か。
 ここまで、崩れてしまうと判断が出来ません。
 更に風化が進む前に、きちんとした記録を残していかなければなりませんね。

●10:45 熱川小学校

 片瀬の浜から、ゆっくりと周囲を眺めつつ、写真撮りつつ、
 小学校の校庭の下まで約45分でした。

  

 東浦路はこの分岐点を右側に進む路ですが
 今回は、東浦路を少し逸れ、
 左側へ回り、熱川小学校の裏手にある馬頭観音群を見に行ってみました。

  

 元々この場所に建てられたのではなく、道路工事などの際に一箇所に集められた感じです。


  
 江戸後期から明治にかけての石造のようです。


★馬頭観音★
  馬頭観音は、観音菩薩の変化神の1つで、
  他の観音菩薩が慈悲深い表情をされているのに対し
  唯一忿怒の表情を表している。(東伊豆にある馬頭観音は慈悲相が多い)
  頭上に馬頭を戴き、胸前で馬の口を模した「馬頭印」という印相を示すことから
  牛馬の供養や無病息災祈願と結びつき
  牛馬に関係のある職業の人々によって作られた講や個人によって信仰され
  村境、交通難所、屋敷内など建立された。
     
  






(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ
(1-2-a)片瀬の共同湯
(1-3)最初のサイの神さまとの出会い
(補足)サイの神/参考文献
(1-4)巡礼者の足跡

▼東浦路の旅(1-4)巡礼者の足跡

2011-11-28 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

左 いとう 右 むら道



 ■少し間が空いてしまいましたが、東浦路の旅を続けます。
  片瀬の海岸より集落の間を通る登り坂を登ってすぐ
 
  

  初めてサイの神さまと出会った(10:05)のが前回までのお話です。

  

  そのまま坂をしばらく登り続けます。
  途中には、一部ナマコ壁が残されている家などもあり風情があります。

  

  ●10:13 国道へ出る

  少しだけ息が切れてきた頃、国道へ出る階段が見えてきました。

  

  それを昇れば、押しボタン式信号のある横断歩道とバス停『坂町』のある国道です。

  

  国道を渡ると更に細い坂道が続きます。

  

●10:17 片瀬浜の眺望 

  昔の人は、まぁ、こんな登り坂をよく登ること、と思いながら歩いていましたが、
  ここは、現在、小中学生の通学路。生きている道です。
  ここを毎日歩いて通学している子供たちだから、 あんなに元気なのだと心から納得。
  ふと振り返ると、出発地点であった「海防の松」が小さく見える。。。

  

●10:18 道標

  道の両側に点在していた家もなくなり
  右手に竹やぶ左手に雑木林の間のつづら折の上り坂を登っていると
  コンクリート製の水槽の奥に道標がありました。

   

  正面中央には、『奉納経秩父板東供養塔 施主 木田利七』と彫られています。

  木田姓は片瀬に古くからある姓で土地の名士と考えられます。
  その昔、巡礼に出、無事に帰郷した際、それを記念して感謝の意も込め
  供養塔を建てるということもありました。
  供養塔兼道標です。

    どこまで、何の祈りの旅に出掛けたのでしょうか?
  

  『右 むら道 左 いとう』 と彫られた文字に
  この路は確かに東浦路であることを再確認。

  側面には『文久二年八月十八日』とはっきりと彫られています。(文久二年=1862年)





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▼秋のお菓子&サイの神

2011-11-21 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

なんと可愛らしい。鎌倉/豊島屋のお干菓子




 ■土曜日の雨が嘘のよう。最高のお天気になりました。
  こんなに素敵なお土産を頂きましたのでUP。
  鳩サブレーも大好きだけれど、豊島屋らしいお菓子。
  もったいなくて食べられない~と言いつつ頂きました。
  あ~~お茶にあう。ほっこり。。
  そう言えばいつの間にやら、近所のモミジ色付いてきました。
  もうすぐ紅葉狩りに行けそうです。

 ■さて、前回登場した「サイの神」
  言葉は聞いたことがあるけれど、一体どなたなのかは
  この旅を始めるまで知ろうともしませんでした。

  そこで、調べた事を自分のために覚書き。
  もし間違った記述がありましたら、ご指摘いただけましたら幸いです。

 ■古代中国、道路神として辻や村境に複数並べて安置されていたのが
  道祖神。
  道祖神信仰は一説では3世紀頃、日本に伝播した。
  やがて6世紀後半
  都から地方への道路網の発達に伴い
  道標的要素も加わりつつ、広く全国に道祖神信仰が伝播していった。
  
  道祖神は元々道路の守護神として道端に祀られてきたが
  やがて、村境を加護する神としての信仰へと変化していった。
  そこで「境(サカイ)の神」転じて
  「サエノカミ」「セエーノカミ」「サイの神」と呼び名も変化していったという訳だ。

  これに仏教的思想が浸透し、
  村境、という境だけでなく、生と死の境という概念も加わり、
  死後の救済者としての地蔵菩薩信仰がサイの神信仰に融合していくのである。
  更に、子供たちの厄病が、
  地獄の鬼によってもたらされるという仏教的思考から発展し
  『子供の守護神』としての信仰対象にもなっていった。

 ■伊豆半島に祀られているサイの神の形態
 
   1)丸形単座像~三島・小田原から東伊豆の範囲内のみに見られる
           全国的に言っても伊豆半島以外に見られない特異な形態。
   2)浮彫単座像
   3)浮彫双立像~伊豆では珍しく、14体のみ報告されている。
   4)文字碑などの石祀型~河津以南のサイの神はほとんどこの形態。
         地蔵信仰に取って代わられた為と言われている。
   5)その他天然石など雑多

  サイの神は、形態も、その持ち物、仕草、すべてが「自由」!!
  その自由さが心惹かれるポイントかもしれない。

 ■伊豆半島の最古のサイの神は
   正徳4年(1714)(北伊豆方面のサイの神とのこと)。
   元文2年(1732)(南伊豆方面のサイの神とのこと)。
   弘化3年 (1846)片瀬浜のサイの神


 ■参考文献
   伊豆の史伝―下巻 石原驍
   東伊豆町の石造塔 東伊豆町教育委員会
   伊豆東浦路の下田街道 加藤清志
   伊豆のサイの神 後編 吉川静雄
   伊豆東浦路 現況調査報告書 伊豆歩倶楽部/伊豆東浦路調査委員会
  




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▼東浦路の旅(1-3)最初のサイの神さまとの出会い

2011-11-19 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

みんなを災いから守る、という気迫。




 ■久し振りの本格的な雨の日となりました。
  図書館で平井堅の「Ken'sBar」を借りて今かけながら書いています。
  しっとりとした歌声が、雨の音と溶け合っていい感じです~~。

 ■まきば商店のオバチャンのお陰で
  共同湯が解決したので
  いよいよ坂町へと入っていきます。

   

●10:02小さな時計台

   
   登り坂の分岐点に、ある時計台。
   それほど古い感じがしませんでしたので
   わりと最近作り変えられたものなのでしょうか?
   中に付けられた大きな時計は、正確な時刻を射していました。

●10:05 3体のサイの神との出会い

   分岐点を右に折れまもなく
   左側の民家の脇にきちんと整備された祭壇があります。

    

   近付いてみると

    

   向かって左側は浮彫単立像
   合掌されているように見えます。

   向かって右側は双神像
   磨耗が激しいですが、
   お二人の神さまが仲睦まじくいらっしゃる様子が見てとれます。
   伊豆半島内では、双神像は希少で
   わずか16基だけが発見されているそうです。
   そしてそのほとんどが中伊豆地区に存在するので
   この地にあるのはさらに貴重であるといえます。

   中央は丸彫単座像(弘化3年=1846年)
   座禅をするように足を組み
   右手に剣、左手には策(縄)あるいは数珠を持っていらっしゃる。
   どっしりとふくよかで、
   集落へ進入してこようとする災いをすべて防御してくれるような
   大きな安心感を与えてくれる像です。
   台石が像の形に沿って作られているのも
   安定感を感じさせる要因かもしれません。

 ■ところで、「サイの神さま」って??
  私も、この旅を始めるまで
  よく理解していませんでしたが
  これがまた、とても面白い。。。
  詳しくは次回以降で。 つづく



(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ
(1-2-a)片瀬の共同湯

   




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▼東浦路の旅(1-2-a)片瀬の共同湯

2011-11-18 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

この建物、妙に気になるので。。。





 ■昨日はボジョレー・ヌーボー解禁日でした。
  ちょっとだけご馳走を作って
  『今年も美味しいワインに沢山出逢えますように』
  と願い事をしながら
  家族でかんぱ~い!
  
  初音のグラスには
  ぶどうジュースを注いで。

 ■さて、東浦路の旅は行きつ戻りつ。

  前回登場の共同湯。
  この赤銅色に塗られた素朴な建物が妙に気になります。
  使われているか否かは不明と書きました。

  「不明」というのはなんとも気持ちが悪くて。
  今日、ひろしが、まきば商店(釣具店)でコマセを買うというので
  一緒について行って、
  お店のオバチャンに聞いてみました。

  オバチャンの答えは意外にも
  「毎日使ってるよ!」

  え!!!

  その後は質問攻めです。

  この湯は、地区の人たちのための共同湯。
  男女別の広い湯船に、天然温泉!

  毎朝、頃合を見て当番の人がお湯を張り始め
  午後2時か3時ごろから使えるようになるとのこと。

  そして、夜9時になったら
  当番の人がお湯を抜き綺麗に掃除をし
  また朝を迎える。。。

  遊歩道が出来るまでは
  海側の窓は開け放たれ
  露天風呂のようにも使われていたそう。

  ということは!
  季節によっては
  海面に光の帯を描きながら
  ゆっくりと昇って行く月を見ながらの入浴も
  できると言う事です===!
  
   「こういうの、いいでしょう?!」

  と、オバチャン。

  銭湯ではなく、「共同湯」。

  究極の贅沢ですわ。

   注:一般向けの日帰り温泉施設とは
     全く性質の違う『湯』ですので
     勝手に利用するような行為は避けるようお願いいたします。

 ■オバチャンによると
  その昔、お店の前の道は、
  通勤通学で通る人が大勢いて
  バス通りでもあったということ。
  お店の隣りが、バス駅だったそう。

  今はひっそりと
  波の音がするばかり。


(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ





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▼東浦路の旅(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ

2011-11-17 | 伊豆東浦路とサイの神
 
(1-0)プロローグ

(1-1) スタートは白田川河口


 ●9:52 湯波さんぽ道

   

  海防の松に背を向け、
  熱川のビーチ方面に海岸沿いを歩くと間もなく
  片瀬海岸沿いに続く遊歩道の始点に着きます。
  片瀬海岸は今はテトラポットの海岸ですが
  50代のおば様に伺ったところによると、ご自分が子供の頃は砂浜だったとか。
  地中海風の『塀』が熱川方面へと続き、
  海や空が真っ青な時に歩くと、ここが片瀬だということを忘れてしまいそうな遊歩道です。
  
 ■遊歩道の始点近く、おススメのお店が一軒。

   
    お店の名前は「燦」
    お店の前の立派な松の木が目印です。水曜日定休。
    平日日替わりランチ¥680やおしんこチャーハン、
    お刺身その他のお魚料理もおススメです!

 ■と、ちょっと話が横道に逸れましたが。

 ●9:55 道標

 

  湯波さんぽ道の始点近く、赤茶色の建物(共同湯、とのことです。現在使われているかは不明)脇に
  小さな石の道標。

 

  『左 稲取・・・ 右 熱川・・・』と何とか読めます。
  裏には城東村青年団の文字。
  また片面には、御成婚記念の文字。
  昭和天皇もしくは現在の天皇陛下のご成婚の際に建てられた物だと考えられます。
  道路工事の際に、無造作に埋められてしまったのか
  下の方には、まだ続く文字がありそうです。

●10:00 坂町内へ

  

  道路を渡り、まきば商店と川口商店の間の坂道を右の方へ登って行きます。
  この辺りの集落は「坂町」と呼ばれています。つづく




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▼東浦路の旅(1)スタートは白田川河口

2011-11-17 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

白田川河口の風景。
白田川は鮎つりでも有名。波の強い日には、河口付近でシーバスを狙う釣り人もいる。




 ■必要な資料をコピーし、
  地図はポケットに。
  リュックには水筒とみかんと飴玉。
  東浦路を歩く旅を早速はじめましょう!!

  壮大な東浦路の旅のスタートは
  一番身近な白田川河口付近。北川を目指します。

 ● 9:45 白田川河口

     
    正面の小山の麓、伊豆急行線の線路が山すそを取り巻くように造られています。
    稲取からやってくる東浦路はこの麓を通っているようです。
    江戸時代までは、河口付近に橋がかかっていて、
    白田地区と片瀬地区を結んでいました。

 ● 9:50 海防の松

    

    白田川の片瀬側の岸に、一際目立つ大きな松の樹があります。
    
    江戸時代中期、外国からの脅威が高まり
    幕府は時の老中松平定信に伊豆巡視を命じます。1792年の事です。
  
    巡視の結果
    海上から村々の様子がわかり難くなる様
    松を植える事となりました。
    その様な目的であったため
    植えた松は元々大きく、現在樹齢250年の大木となっています。

    巡視一行はなんと350人越えの大所帯。
    江戸を3月18日に出発し、天城経由で下田着が21日。

    28日には下田を出発し、河津の浜村で昼食、その夜は片瀬で宿泊。
    その後、
    八幡野で昼食、宇佐美・宿泊、
    ⇒上多賀昼食、熱海・宿泊、
    ⇒湯河原昼食、小田原・宿泊⇒江戸に戻りました。

    昼食の休憩場所や
    宿泊地のスケジュールを見ていると、
    江戸時代の出来事であるはずが
    旅行会社のパンフレットを見ているような気分になってくるのが
    不思議です。

  ■ところで
   350人ものお侍さんの大行列を迎えた伊豆の人たち。
   片瀬ではもちろん宿泊施設もそれほどあったわけではないので
   民泊ということになったと思います。

   きっと大変な思いをされた事でしょう。
   右往左往振りが目に浮かんできます。

   またなぜ、通常宿泊地として選ばない片瀬などで宿泊をしたのか、
   理由はわかっていないそうです。(つづく)
 




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▼古道 『東浦路』~プロローグ

2011-11-15 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

資料を集めてみた。




  ■伊豆半島東海岸を通る道「東浦路(ひがしうらじ)」という古道を
   ご存知でしょうか?

   私は、つい先日、熱川のペンション仲間のオーナーさんに伺うまで
   知りませんでした。
   たぶん私だけではなく、
   伊豆の住人の多くが知らないのではないかと思います。

   伊豆半島東海岸には3本の道があります。
   国道135号線。
   それに沿うように(途中切れ切れになっている箇所もありますが)旧国道。
    (現在、国道135号渋滞時の回避路になっていますね)
   そして古道(東浦路)。
   
   東浦路ははっきりと記録は残っていませんが、
   平安時代から存在したとも言われています。

   ということは。。。伊豆に流されていた頼朝も歩いたかもしれません。


   現職の老中松平定信は総勢350名もの大部隊を率い
   海防・伊豆巡視のためにこの路を通りました。

   伊能忠敬は伊豆半島測量のために、ゆっくりと歩きました。

   神奈川沖で停泊中の黒船に乗り込もうとしていた吉田松陰。
   下田を目指し出航してしまった黒船を追いかけ、
   この路を走り抜けました。。。

  ■そんな由緒ある『路』について調査をした冊子を
   見せていただきました。

   通行止めになっていたりする箇所もあるようですが
   その殆ど100kmあまりを
   歩く事が出来るのがわかりました。

   いにしえの旅人たちが
   様々な思いで見たであろう風景を見ながら
   同じ土を踏みしめつつ
   今を生きる私が歩く。

   なんと壮大でロマンティックな事なんでしょう!
   
  ■ということで
   前置きが長くなりました。
   
   これから何年かかるかわかりませんが
   時間をみつけ
   下田から湯河原までの東浦路を歩いてみようと
   決めました。

  ■ただ歩くのではもったいないので、
   歩くと決めた区間にある歴史を知り
   道端におかれた「サイの神様」に子供たちの健康を祈りつつ
   野鳥の声を聞き、野に咲く花を愛で
   たまには地域の人とおしゃべりをしてみたり
   カフェでお茶をしてグルメレポートを書いてみたり。。。。

   時には路を急いだ吉田松陰さんを偲びランニングしてみてもいいかも。

   盛りだくさん。

   少し前からはじめた
   伊豆半島の巨樹めぐりも合わせ
   さあ、これから楽しくなりそうだ。




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