遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

現代詩「逃散」

2010-09-30 | 現代詩作品
逃散



ここを離れてどこの領地で人間らしく暮らせるだろうか
豊穣な詩の収穫を待ち望む領地の民は既に滅びてしまい
身を危機に晒してまで越境する理由はどこにあるのか。


輸血より真っ赤な血で染まる日本海の一瞬の冬の情景は
定型という疎隔感にさえ背を向ける領地なき放浪の詩か
逃走心を乗りこえて懐かしい因幡の白髪少年が兎になる


無知だ蒙昧だと蔑まされようと泥にまみれるほかになく
詩はこの世の領地の人のものではない今世紀もおそらく
来世紀も変わらず永遠のひとに捧げられる言葉であろう

難読地名です。正しく読めますか?

2010-09-28 | 難読・漢字だよ!
難読地名の一部です。ふりがななしでよめますか?



朝熊山(三重)あさまやま。
愛鷹山(静岡)あしたかやま。
飯縄山(長野)いいづなやま。
畝傍山(奈良)うねびやま。
大崩山(宮崎)おおくえやま。
姨捨山(長野)おばすてやま。
金峰山(山梨・長野)きんぷさん。
皇海山(栃木・群馬)すかいざん。
再度山(兵庫)ふたたびさん。
猿投山(愛知)さなげやま。
束稲山(岩手)たばしねやま。
万年山(大分)はねやま。
瑞垣山(山梨)みずがきやま。


足羽川(福井)あすわがわ。
大堰川(京都)おおいがわ。
神流川(群馬)かんながわ。
酒匂川(神奈川)さかわがわ。
駅館川(大分)やっかんがわ。


祖谷(徳島)いや。頴娃(鹿児島)えい。
麻績(長野)おみ。己斐(広島)こい。
珠洲(石川)すず。吉舎(広島)きさ
可児(岐阜)かに。介良(高知)けら。
幡豆(愛知)はず。鳥栖(佐賀)とす。
金武(沖縄)きん。六合(群馬)くに。
諏訪(長野)すわ。日置(山口)へき。
都祁(奈良)つげ。日出(大分)ひじ。
養父(兵庫)やぶ。弓削(愛媛)ゆげ。    
  

現代詩「日記的」

2010-09-27 | 現代詩作品
日記的ー古い読書ノートから



紙魚が死んだ日


冬の日の
市電通りの古書店で、男は
時々、我を忘れて
美しい活版の手触りに吸い込まれながら
とつじょ、紙魚になった
一度、淋しい歓びをおぼえると
明治大正文学全集の
某作家のペン先をなぞり
頁に食い入りながら
はたきで追い払われても快感だった
今朝、
男は市電通りの古書店の前で
とつじょ、紙魚の死をしる
店じまいの文字が突風でちぎれそうだった
お互いに、紙を喰ってつないだ命よ



妄想


死ぬ前に
会いたいひとがいる
と、いう男の切なる願望は
誰に話をしても
取り合ってもらえない
その人の名前を聞けば当然のはずだ


晩年好まなかったと述懐している
命名者自身が
一番驚くことだろう
「充実と静謐が
 殆ど同義語の主人公の人生」は*
明治末の恋愛小説の枠組みをこえて
今もその名を保っているのか


おなじ妄想とはいえ
小説「それから」の代助(と、三千代)に
会いたいという、
男の切なる願望が可笑しいくらい愛しくて
口蹄疫のように
伝染しないことを願うだけだ *(「日本文学全集・夏目漱石Ⅱ」作品解説中村光夫を引用)



空言の雫


この部屋がすこし広く感じるようになってもう六ヵ月がたった。
あれから鉢植えの鉢を二個増やしたが夕べは元気がないのに気
づいて今日アンプルを注入した。日当たりだけは抜群の南側の
出窓に鉢植えを並べながら、あなたの笑顔を思い浮かべた……。
   

雨あがりの今朝は
無花果の葉上を転がり
肉厚の歓喜に躍る緑の声が
不意に小川の背を射く
光の棒に遮られて。


懐かしい幻影が降りる
休日出勤の通行人の頭上に
突如落下する巨大なクレーンを
緑の蝸牛も夢みているか
宇宙の雫のように。


………わたしはあいかわらず時間にしばられながら時間を追い
かけるように日々を繰り返している。その鎖からときはなされ
たあなたはどんな自由を手にしたのか。あれっきり虫の知らせ
も届かず背中に突き刺さる視線を感じることもなくなって……。



現代詩「空言(そらごと)のアンプル」

2010-09-26 | 現代詩作品
空言のアンプル



この部屋がすこし広く感じるようになってもう六ヵ月がたった。
あれから鉢植えの鉢を二個増やしたが夕べは元気がないのに気
づいて今日アンプを注入した。日当たりだけは抜群の南側の出
窓に鉢植えを並べながらふとあなたの笑顔を思い浮かべた……。
   

雨あがりの今朝は
無花果の葉上を転がり
肉厚の歓喜に躍る緑の声が
不意に小川の背を射く
光の棒に遮られて。


懐かしい幻影が降りる
休日出勤の通行人のなか
突如落下する巨大なクレーンを
緑の蝸牛も夢みているか
宇宙の雫とともに。


………わたしはあいかわらず時間にしばられながら時間を追い
かけるように日々を繰り返している。その鎖からときはなされ
たあなたはどんな自由を手にしたのか。あれっきり虫の知らせ
も届かず背中に突き刺さる視線を感じることもなくなって……。



*秋らしくなりました。
今朝は水道の蛇口をひねって、水に触れる手の冷たさに秋をかんじました。
これからが秋たけなわというところでしょう。

現代詩「切望」

2010-09-17 | 現代詩作品
切望



死ぬ前に
会いたい人がいる
と、いう男の切なる願望は
誰に話をしても
取り合ってもらえない
会いたい人の名前を聞けば当然のはずだ


晩年好まなかったと述懐している
命名者自身が
一番驚くことだろう
「充実と静謐が
 殆ど同義語の主人公の人生」は*
明治末の恋愛小説の枠組みをこえて
今もその名を保っているのか


いっときの妄想とはいえ
小説「それから」の代助(と、三千代)に
会いたいという、
男の切なる病気はなぜ発生したのか
口蹄疫のように
伝染しないことを願うだけだ
              

*(「日本文学全集・夏目漱石Ⅱ」作品解説中村光夫を引用)


現代詩「不羈ーあるいはサルビア」

2010-09-16 | 富山昭和詩史の流れの中で
不羈ーあるいはサルビア



それでも守られているのだから
拒んでみたり
蔑んでみたりせず、
和めという
仇にならない親和性から
距離を置いてきたが
季節を知らせる
裏の庭の
サルビアの紅いろが
今朝は鮮明に胸に飛び込んでくる


いっきに、
観念の距離をまたぐ淋しさ
いまも淋しい世界のどこかで
みえない鮮血がながれる


不断は忘れていて
振り向く時は
不要な時か、
不適切な折りばかりだが
当てにならないのは
他人ではない
自分のなかのなにか、
ことばの、
思想といってみる
観念の距離をまたぐ失敗もあれば


誰が誰を
裏切ろうと振り回そうと
自分のことで精一杯の日々
見えない鮮血もながれていたか


同じ轍を
踏んではならないと似たようなことで
しくじる
他者をせめるよりは
せめあぐねる
不器用ものには
ならないようにしかならないのではない
ならないようにさえならない
裏庭の、
世界という不可侵




*今朝は珍しく小雨が降っています。
涼しくなりましたね。

現代詩「丘の日の雲」

2010-09-15 | 現代詩作品
丘の日の雲



小高い丘にのぼる
男の理由はなんだったか。
青い空を流れる
霊媒の白い雲をよび
会えなくなった友を偲ぶのだったか。


夏草の丘の一角には
石碑があって
誰かの歌が刻まれていた
こけむす石が
淋しい影を宿して見えた。


《つわものどものゆめの跡か。蹟か。痕か。


夏の夕暮れには霊媒の雲が
物語る、死後の世界で
丘はびっしり埋め尽くされていて
男はここに来て初めて
雲の手に肩叩かれる淋しさを知る。


小さな家並に
あかりが灯る頃、帰れない
みなしご達の行方を思い
男はでたらめの歌を歌いながら
棲み家のあたりをさがす。


ーー小雨の丘のみなし子。夕陽の丘のみなし子。みかんの花咲く丘のみなし子。
そして、鐘の鳴る丘のみなし子。港が見える丘のみなし子。異国の丘のみなし
子。丘は花ざかりのみなし子。丘を越えてのみなし子。そしてあの丘越えての
みなし子。その他大勢のみなしご。みんなみんなたぶん淋しいみなしごだった。


十五少年漂流記や
ひょっこりひょうたん島の風に 
男がまかれた頃の
冷たい風が吹き下ろす、そのわけに
応えてくれる人もいない。


《つわものどものゆめの跡か。址か。墟か。


ひとり早蕨の丘に来て
泪の遭難者が後をたたないことを知り
男はここに来た誰もが、一度は雲の
みなしごであったことを
はっきりと思い知るのである。



現代詩「犀星の雨に打たれて」

2010-09-12 | 現代詩作品
犀星の雨に打たれて



冷たい雨は
  金沢の冬の暮れを 活気づけて
   コートの皺を伸ばし
  ふと 近江市場でよびとめる
地の蟹 蟹の紅のなまめかしさ。


脈絡もなく 母恋い泣き虫犀星の詩が
  小雨となって 旅の私にふりかかり
 出口の向こうでは
   じっとこっちをみている蟹の目がある。


ひとはころされるたびにつよくなっていきかえると、
唐突にも誰かの言葉がよみがえり、あれは犀星の世界だった
かもしれなくて、不確かなことばかりざわめくゆうぐれ。


山椒魚のように失われた躰の部分を
  再生する想像力は、
私たちのなかの幹細胞にもある、と
   発見した米国の研究者を
親しげに語る店主の言葉に魅されて
         さめれば苦い水の紅茶だ。


しぐれと、みぞれでは
  実感以上に重さも冷たさもちがうはず
   「しぐれ」より
   「みぞれ」の方が
金沢に降る雨にぴったりだと
  ずっとそう思っていた、この先もきっと。


すべては水に還る!
生きとし生きるものの
   美しい逸脱を信じる
  ささやかな身振り
思考がさだまらないまま、再び街に飛び出す。


ふり向けば
 犀星のしぐれと、呼んでいた
     男の*
   声の さみしさ(菅谷さん!)


しぐれを 再生する 評論の川をまたぎ
  角を曲がって
ふりむくと
    暮れなずむ板塀に
  忍冬の白さが
溶けはじめる。



*菅谷規矩雄著「近代詩十章・室生犀星」参照)






現代詩「炎のリーフ」

2010-09-11 | 現代詩作品
炎のリーフ(友が残した熱い記述の頁から)



あの頃のきみは新宿の「汀」だったか「木馬」だったか、いつも入り浸ってい
た。きみは本当に風となってぼく(ら)を残して消えたけれどぼく(ら)の眼
底からは消えることはない。深い落胆にも稚拙なコード進行の緑の風は吹いて
いたから。


  眼の底にふきだまる
  糸くずのような嫉視感をひっぱると
  うっすらと現れる 地図のような記憶
  空気にふれるとたちまち変色する
  夕べの悪意に
  世界の首はへし折られて
  なすすべをしらない不惑の掌のうえで
  握り潰される微細な日々。


彼が残していった一九六〇年から六八年までの古い雑記帳には、コルトレーン
の『至上の愛』を中心としたジャズ・レコードの感想および論考と一緒に米国
黒人史といっていい記録が細かい文字でびっしり書き込まれていた。実事を確
かめることもなくここにそのままを書き写したい。他にはなんの目論見もない。


……六〇年食堂座り込み運動全米に波及。六一年アラバマ州を中心にフリーダ
ム・ライダーズ事件騒動。六二年ミシシッピー大学のメレジス入学事件起る。
六三年アラバマ州バーミングハムの黒人デモ大規模衝突。アラバマ大学で黒人
入学紛争。エバーズ暗殺。奴隷解放百年記念の二十万人ワシントン大行進。バ
ーミングハム黒人教会爆破。六四年マルコムX黒人回教団から脱退。人種差別
撤退に対する公民権成立。ハーレム暴動各地に波及。キング師ノーベル平和賞
受賞。六五年マルコムX暗殺。公民権法成立(投票権登録差別撤廃)ワッツの
大暴動。六六年カーマイケルSNCC委員長就任。カーマイケル、ブラックパ
ワーを提唱。全米に暴動紛争続く。六七年ニューヨークの暴動。デトロイト暴
動。ワシントン暴動。全米ブラック・パワー会議。六八年キング師暗殺。各地
で黒人暴動。(以下略)……


きみは世界の陰画の部分についていつも熱心に語ってくれたが、あの視線の先
が見据えていたものはなんだったか。黒い風の嵐が消え去ったわけじゃない。


  あの頃は風だった
  たとえきみのように光と水とわずかあばかりの土壌があればと
  草に命を宿しても
  永遠に暗闇のスクリーンの向こうには戻れないおれたち
  今さら拾い集める流木もないが(夢は夢のままに))
  冷めたスープを火にかけて
  もっと馬鹿ならと笑いとばすだろう。
  いつものシャドーボクシングを繰リ返すみたいに。


ここまで書いて振り変える。これは詩だろうか。詩ですと差し出せるだろうか。
作家のT氏がその著書の中で書いていたことを思い出す。これは詩ですといえ
ば、誰がなんといおうと詩であるほかないのだと。いまは詩であろうと無かろ
うと、未だに連絡のない彼の消息だけが気になっている。なんの連絡もないが
あの頃のきみの澄んだ炎の眼差しは、今もどこかで幻の暴動をみつめているか。



*大変読みづらい作品を掲載してすみません。
よろしく後判読下さい。