遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

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寺山修司私論6田中勲

2019-11-01 | 近・現代詩人論


そら豆の殻一せいに鳴る夕べははにつんがるわれのソネット

国土を蹴って駆けゆくラクビーのひとりのためにシャツを編む母

と言った母についての少年時代の短歌は、すべて事実ではなかった。「私と母とは、私が小学生のとき生き別れになり、ついに一緒に暮らすことはなかった。したがって、母とのエッセイおすべて、は私の作りものである。」 寺山修司はなぜありもしないことばかりかいてきたのか。寺山自身、母について書く度に「いつのまにか、勝手に筆がすすんでしまう」ということを奇異に思わぬわけにはいかなかった、と書いている。母を深く愛していた証しだろう。寺山は、「一度、自分の〈思い出を捏造する〉習癖を分析してみよう、と思い立った。それが、『田園に死す』の動機だというわけである。「未来の修正は出来ないが、過去の修正なら出来る、実際に怒らなかったことも歴史の内であると思えば過去のつくりかえによってこそ、人は現在の呪縛から解放されるのである。」そこで、寺山は一人の少年を主人公にして「私の過去」を映像化することからはじめたという。また、寺山は「書を捨てよ、町へ出よう」と、町を書のように読むべし、と言う意味で若者をアジった。《パリ五月祭》のような過激な全共闘のデモに感動した。そして「俺は詩人くずれだ。詩人くぜれは成功するんだ」とまわりの者にいったことがあったという。自身でも肩書きとして最も多く使ったのが{詩人}であった。石川啄木ノートで次のように書いていた。二十代が中心の歌からの別れが晩年の映像の歌を掴んだとは思えない気がする。

 《まだまだ、どっちにでもいけるのだ。
南か、それとも北か。どっちにしても、荷物と言えばことばしかない。と言葉の重さ、かろやか
   さ。ああ、とはじめは思った。おれは、いったいどこへいくのだろうか?》(略)

 このように啄木に託して自らの心情を吐露しているようにみえるが、すでに書くことが虚構になってしまっていたのだから、その先何をみつめていたのだろうか……。 (了)





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