遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

現代詩「蛭に血を吸わせている猿の画」

2010-09-10 | 現代詩作品
蛭に血を吸わせている恍惚の猿の画



忘れるためだけに振りかえる過去もある
それは名もない画家で生涯ひとり身の叔父の生涯である


学生時代にきたえた強靱な肉体と繊細な感覚の
蒼い髭にすり寄ったひとはことごとく、
深い傷を負ってひっそりこの地を立ちさっていったという
人間的な明晰さあるいは隠微さも、不可知論そのものだったか


若いころは会うたびに少年のような鎖骨から
柑橘類の香りがしたと聞かされた
姉である他界した母には、もうなにも聞けないし
写真といえば学生服の青ざめた青年の横顔が一枚あるのみ


彼は学生闘争が嫌いだったというひとがいる
またある人は醜女しか愛せないやつだったと笑う
『蛭に血を吸わせている恍惚の猿』という題名の画をまえに
ずっと売れない画家の儚く短い人生に思いをめぐらすだけ


実際、短詩はうそっぽいし、散文はつめたい
ぼくはいまも宙づりのままだ



現代詩「入江まで」

2010-09-09 | 現代詩作品
入江まで



……許せないことがある。
許すべきだという人がいる。
不遜といわれても、
一度、この身に飛び込んだ
強靱な憤りは抑えきれなくて
夢なら時またずして醒めるはずが
喉の奥深く滞留している。


……入江の漁民よ。
きみの苦悶を代弁するのではないが、
許せざるものの根拠も、眼には見えない
ダムの排砂の泥水の滞積によるかどうかも
魚類の死骸ともども
誰のせいでもないと通告されて
屍の夢にうなされ続けているという。


……おそらく比類のないダムの死に水で、
見えない殺意は圧縮する。
漁民の過去の暮らしの流れを追い越し
赤い小さなヨコエビのただならぬ発生とは、
二重の許されざるもの、だがそれは
人か組織か、不明のまま答えなき循環性が
近海の小魚を食い荒らす。


……無縁を装う。
神の手があろうとなかろうと
不運を乗り越える道筋は一向に見えず、
厳冬期の雪のひとひらにも
許せないものの欺瞞に溶ける誠意はあるか
今朝は一瞬にして
光の中に還る天のしずくがある。


……問いは無縁のまぼろし(の死者)
あるいは、
永久に滞留することばの圧縮
その悲鳴!



*昨日は台風節気かと思いきや福井あたりから彷徨を変更して、熱帯性に変わっていき、
ほっとしていました。雨もそれほど強く降らず。今朝はすずしくなってそろそろ秋かなといったかんじです。

現代詩「領土、滅びてもなを」

2010-09-08 | 現代詩作品
領土、滅びてもなを


謎が多い物語には
完璧な結末が用意されている
と、仮定することは
ぼくと、ぼくの仲間の消極的な願望であれ
際だった形式論を振り向かせる
katue、と記した名辞。


詩誌「骨の火」の火種は、
終戦前の不発弾にあった
と、虚ろな伝説を
決定づけたわけではないが 
新潟に疎開していた詩人の仮住まいの
庭から掘り起こされたという。


その「骨の火」の貌は、
天を仰ぐすんだ目で
口から切断された人物が
巨大な黒いアミーバをにらんでいた(と想像する)
katue、と記した名辞。あるいは明示。 名実を伴う固有名詞として。


(一九五十年三月発行第六号の「貌」が調布市のK氏から届いた二〇〇三年夏
その「貌」は待ちに待った梅雨明けと同時に、ぼくと仲間の長いタイムトンネ
ルを一瞬に突き抜けて、驚くほどかすかな記憶とぴったり重なりあっていた。)


大袈裟ながら「骨の火」は
北陸(新潟と富山)の青い脳髄の原野を
一面の火の海にして、
二年という歳月の地殻の移動が
ついに「骨片のある風景」を生み落とした
五十年代の北の伝説。
ぼくと、ぼくの仲間には謎の多い
「火の骨」だから、断念という未来が
太平洋の海に散った学友への敬虔な鎮魂の譜。
あるいは、のどの乾きを潤す
澄み切った地平線にぼうぼう燃え立つ巨大な蛤の吐く夢。
そして、
無垢なる魂の真意を語る人はすでに見えない。

いま「骨の火」の
永遠に休息した頁をめくるとき
生成と消滅をくり返す、日々の波間で 戦後の青い脳髄が燃えていた、未知の連名に導かれ
振り返るほど遠く儚く、
滅びてもなを
katue、と記した名辞。
(詩人の明示は、日本海の深海を極めて
眩しい天穹に至る
誰の眼にも見えない黄道があるに違いない。




現代詩「入江まで」

2010-09-07 | 現代詩作品
入江まで



……許せないことがある。
許すべきだという人がいる。
不遜といわれても、
一度、この身に飛び込んだ
強靱な憤りは抑えきれなくて
夢なら時またずして醒めるはずが
喉の奥深く滞留している。


……入江の漁民よ。
きみの苦悶を代弁するのではないが、
許せざるものの根拠も、眼には見えない
ダムの排砂の泥水の滞積によるかどうかも
魚類の死骸ともども
誰のせいでもないと通告されて
屍の夢にうなされ続けているという。


……おそらく比類のないダムの死に水で、
見えない殺意は圧縮する。
漁民の過去の暮らしの流れを追い越し
赤い小さなヨコエビのただならぬ発生とは、
二重の許されざるもの、だがそれは
人か組織か、不明のまま答えなき循環性が
近海の小魚を食い荒らす。


……無縁を装う。
神の手があろうとなかろうと
不運を乗り越える道筋は一向に見えず、
厳冬期の雪のひとひらにも
許せないものの欺瞞に溶ける誠意はあるか
今朝は一瞬にして
光の中に還る天のしずくがある。


……問いは無縁のまぼろし(の死者)
あるいは、
永久に滞留することばの圧縮
その悲鳴!



現代詩「はながい」

2010-09-05 | 現代詩作品
はながい*



祖母が「ばたばた茶」を立てると
隣近所から集まる笑顔が
炉端に後生の身をさらして和やかだった


あれから近所の笑顔も
祖母ともども雲の彼方へ
いま、ふり向く少年の日の肌寒く


無言を装って流れる朝の小川
取り壊した古い家の炉端あたりに佇むと
香ばしい「ばたばた茶」が立ちあがり
急に
牛の突進だ!


雪解け水に混じる
死者たちの声
牛の鼻輪、鼻繋、花籠、  
川の綱を手離したのは誰だ
想像力の欠如のしぶきに打たれる          
むづかしい言葉は、罪だ



* 牛の鼻に通す環状の木。はなぎ。


現代詩「水府まで」

2010-09-04 | 現代詩作品
水府まで



波に乗って異界へ
無意識な漂流は椰子の実ばかりか
洗剤用のポリの容器に
すり減った歯ブラシ
毀れかけた椅子や
へこんだバケツなどが渚へと
必死で脱出する(意志を偲ばせ、
運の悪い
人々の、それは
荒野にはじめて鉄道レールを引いた時に
流しただろう泪まで連れてくる


日本海沿いの
仮定空間の霧ふかい夢隣りを走る
遺失物と区別が着かない車内に
行旅死亡人という
漂流がある
死んでなおその先の世界で生き直す
漂流のひとの
仮の栖であればなおさら
他人に見えない、見せない
無意識のさみしさは
錆びた鉄路に蔓延する雑草の不安な愛か。


金沢発上野行きの
夜行列車「北陸」「能登」が
静かに冥土に至り
新生ふるさと喪失者たちは
命の細い文学ように泪にくれて
動画に明け暮れる作家だと思いこむ負傷
郷土という特権的な幽霊の
水府もあるか
泪の種子の発火点から風媒花のように
いつか地中に根を張る
不安な花の日もあるのだきっと、


それどころか
個人の幸福度を追求するには
わがままでなければうまくいかないと
遠慮知らずで
とりかえしのつかない支線を乗り換える
行旅死亡人の悲運な生涯と
どこが違うのか
その泪の漂流化(天涯孤独の?)
その泪という水平線の運の悪さか、
耳で看るしかない
波と波でつながる自由という不安な贈り物ばかり



*昨日は少し小雨があったので今朝はいくぶん涼しめです。



現代詩「無用の威嚇」

2010-09-03 | 現代詩作品
無用の威嚇



下駄箱の隅に追いやられたものとはいえ、
当分は裸足の人生が消えてしまうことはないだろう。
ゲタ、ゲタと笑おうと、ソーリ、ソーリーと叫ぼうと
無用は存在の否定にはあらずだ


靴下やアンダーを身につけないという
露悪趣味には関心はない、だが
美しいものは美しいといえなくなったらおしまいと、
得意げに「つぶやき」を発信つづけるよりはましだろうか。


下駄や草履の感想が詩になるわけではない
裸足になって砂浜を駈けても、向こう岸まで泳いでも、
溺れる者を救えるとは限らないはずだ。。
無用なものの威嚇する淋しさは
誰にも向かわず、詩になるとはかぎらない。


読む者の思いこみで生死を区切られる、詩とは
無限の遠さをめざすものだから。
つま先一歩か二歩ぐらいの新しさは
下駄箱の隅にさがしてどうなるわけでもない。



現代詩「そらまめ」

2010-09-02 | 現代詩作品
そらまめ



空豆は
他の豆よりも
大きく 空とぶ豆と
呼んだ頃は
淡い緑の空にはじけて
いくつもの
物語も、まだ
浅草への道も 知らず


上野の音楽短期大学の
濃紺の女学生が
神聖な
藤棚をくぐって
毎朝、家の前を通る
その集団を 祖母と一緒に
二階から眺めていた
幼い頃


上野の家から
ひとりそろそろ
合羽橋通りをぬけて
入谷へと
はじめてたどった日よ
どこかで
空豆、そーらまめよと
呼び止めている人がいた


いろんな声を振り切り 
合羽橋通りから
入谷の鬼子母神をぬけて
浅い夢の道に
空豆を一個づつ撒きながら
あゆんだ日
みちしるべからも遠く
大人になって


あの幇間の「計らうこと」の
美学を 聞いて
映画吉原炎上の遊女の 
悲哀と反骨
下町の
泪の底意地をしって
どこ吹く風が
ほんとに恥ずかしかったよ
(空も飛べずに 雨に打たれていた
 古い記憶の中の 緑の珠玉はいずこへ)







現代詩「ミモザの憂愁」

2010-09-01 | 現代詩作品
ミモザの憂愁



ほら、きれいな夕日よ
母の声が
ミモザの花の黄色い闇を伝って
降りかかる
夕日の向こうに
いきなり台東区役所の裏の借家が
迫り上がる


そんな昭和の歌も
空耳か、
花の生涯、目下母も
とわの留守中


目蓋が過去をめぐり
雨の夜の上野駅で
不審な男が尾行する魔の手から逃れた
母と母の背中で三歳のぼくの
途方もない恐怖が、
なぜ、恐竜のような絶滅を
装っていたのか


ミモザの過剰な声が光り
空耳か、
底意地の甘さか、
鄙びた郵便局の先の


角を曲がると
葦の原の上に海が浮かぶ
むき出しの鉄骨が現代の根源を組みはじめている
その骨の思想の先端に突き刺さり
血に染まる
波よ風よ
風景は日々変わり
言葉も死ぬ
五月闇という措辞は
戯れすぎだ



*今日から9月ですね。今朝はいくぶん涼しいのですが、
でもまだまだ残暑の方はきびしいようですね。体調には気をつけましょう。