遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

昭和歌謡曲の軌跡(29)名作(文学)歌謡

2008-09-30 | 富山昭和詩史の流れの中で
昭和初期、精力的に作品を発表した菊池寛の大衆小説は数多く映画化され、主題歌としてつくられた文芸歌謡も人気を博しました。先のようなものです。

◇「明眸禍の唄」(曽我直子/昭和4)-『婦女界』連載作品・松竹映画「明眸禍」の主題歌。歌詞は吉井勇。
◇「不壊の白球」(四谷文子/昭和4)-朝日新聞連載作品・松竹映画化。
◇「有憂鼻の歌}(平井美奈子/昭和6)-報知新聞連載作品・松竹映画化。
◇「未来花の歌」(渡辺光子/昭和8)-日活映画「未来花」主題歌。
◇「白い椿の歌」(楠木繁夫/昭和10)-入江プロ「貞操問答」主題歌。
◇「慈悲心鳥」(楠木繁夫/昭和11)-日活映画「慈悲心鳥」主題歌。「白い椿の歌」とともに楠木繁夫の代表的な作品。
◇「美しき鷹」(由利あけみ/昭和12)-毎日新聞連載作品・東宝映画「美しき鷹」の主題歌。この小説の映画化は三者競作となった。

その菊池寛とモデル問題でトラブルをおこした広津和郎の『女給』の主題歌「女給の唄」(羽衣歌子/昭和6)」も忘れられない。
また、牧逸馬の「この太陽」も日活で映画化、同名の唄(佐藤千夜子/昭和5)を生んだし、『主婦の友』連載の小島政二郎の「人妻椿」は松竹で映画化され、その主題歌「人妻椿」(昭和11)は、松平晃のヒットナンバーとなりました。

さらに、吉屋信子の「良人の貞操」の映画化(昭和12)があり、群司次郎正の『侍ニッポン』は伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演で映画化され、徳山環の昭和8年ヒット曲「侍ニッポン」を生んだし、この作家の〝ニッポン四部作〟の「ミス・ニッポン」はその前年、内田吐夢のメガホンで映画化され、四家文子の歌った同名の主題歌が世にでました。

また題名だけ羅列すれば、「祗園小唄」(昭和8)「千鳥格子」(市丸/昭和8)
「祗園囃子」(小唄勝太郎・三島一声/昭和8)等多くあります。

昭和8年に林不忘が世に送った「丹下左膳」があります。『お伝地獄』の主題歌「お伝地獄の唄」つくられたし、『雪之丞変化』が長谷川一夫主演で映画化されて、東海林太郎の「むらさき小唄」ができ、その前年、行友李風の『月形半平太』が松竹で映画化されたとき、東海林太郎の「月形半平太の唄」がつくられています。

流す涙が お芝居ならば
何の苦労も あるまいに
濡れて燕の なく声は
あはれ浮名の 女形
(佐藤惣之助作詞、阿部武雄作曲「むらさき小唄」)

獅子文六のユーモア小説『悦ちゃん』が昭和12年日活で映画化。吉川英治の『宮本武蔵』が片岡知恵蔵の武蔵、宮城千賀子のお通で昭和15年に日活で映画化されたときには樋口静雄の「武蔵の唄」が生まれています。

教えてよパパ 教えてよママ
パパとママ ママとパパ
どっちが先に 言ったのよ
パパはママが 好きだって
ママはパパが 好きだって
(獅子文六作詞、鈴木哲夫作曲「パパ・ママ・ソング」)

十一谷義三郎や川村花菱など多くの作家によって描かれた唐人お吉を主題にしたものには、「唐人お吉の唄」(「黒船編」佐藤智弥子・「明烏編」二三吉/昭和10年)をはじめ、「下田しぐれ」(東海林太郎/昭和19)、「唐人お吉」(新橋喜代三/昭和10)、「黒船情話」(上原敏/昭和12)等があり、現在でも、天津羽衣の「お吉物語」のようなお吉をテーマにした唄がつくられています。

さらには、川口松太郎。川端康成などの作家の作品が映画化されてその主題歌がつくられることになるのですが、次回とします。


昭和歌謡曲の軌跡(28)台詞入り歌謡②

2008-09-29 | 富山昭和詩史の流れの中で
前者のケースとしては次のようなものが挙げられます。

◇「さらば愛児」(松島詩子/昭和12年)ー入江プロ・PCL共同作品「からゆきさん」
◇「初すがた」(東海林太郎・田中絹代/昭和12年)
◇「春琴抄」(高田浩吉・田中絹代/昭和12年)
◇「小町恋塚」(東海林太郎・夏川静江/昭和12年)
◇「春香伝」(上原敏・田中絹代/昭和12年)
◇「花散る校庭」(轟夕起子/昭和14年)
◇「小雨の丘」(小夜福子/昭和15年)
◇「湖畔の宿」(高峰三枝子/昭和15年)
◇「無情の花」(二葉あき子・桑野道子/昭和15年)ー松竹映画「愛の暴風」の主題歌
◇「娘浪曲師」(美ち奴・山路ふみ子/昭和15年)
◇「浜町河岸」(如月俊夫・田中絹代/昭和16年)
◇「煙草屋の娘」(高峰秀子/昭和16年)

後者としては、次のような作品があります。

◇「進軍第一歩」(樋口静雄・松島詩子/昭和13年)
◇「霧の上海」(松島詩子/昭和13年)
◇「愛馬の歌」(上原敏・佐野周二/昭和13年)
◇「純情月夜」(結城道子・佐野周二/昭和13年)
◇「想い出の月影」(月村光子・伏見信子/昭和13年)
◇「島の星月夜」(ミス・コロムビア・高杉早苗/昭和13年)
◇「誰か泣かざる」(伊藤久男・夏川大二郎/昭和14年)
◇「暁の塹壕」(上原敏・矢島英子/昭和14年)
◇「一尺の土」(青山伸・中田弘二/昭和15年)
◇「只今帰って参りました」(上原便・佐野周二/昭和15年)
◇「上陸の夜」(田端義夫・佐野周二/秀和15年)
◇「バタビアの夜は更けて」(灰田勝彦/昭和17年)
◇「密林の夢」(鳴海信輔・静田錦波/昭和17年)

また、更に両曲を取り入れた「石松ぶし」(美ち奴・広沢虎造)や「榛名しぐれ」(東海林太郎・木村友衛)のような作品もうまれた。
この台詞入り歌謡は、歌詞だけでは検閲にひっかかる酔うな表現も台詞でカバ^できるという積極的な利点ももっていました。

そのことはいわゆる名作歌謡や、文芸家用にも共通して云えることでした。(次回にします)


また名作歌謡は、次にまわします。

水掛け論。

2008-09-28 | 雑記(その他)
お互いに自分の言い訳ばかりを主張して相手のことを聴かず、いつまでも果てしなく続く争いのことを「水掛け論」といいいますが、「水」のつく表現はなぜか良くないものが多い。何故だろうか?

子供がプールであそんでいて水のかけっこになったりする。「水を浴びせる」とか「水を差す」とか、よく話しもまとまらなかったりするときに使う。

さらに親しい者だけのなかに他人が入らないのを「水入らず」といったり、相撲での長引いた時に「力水」ととらせたり、「水入り」といったりする。
また「水くさい」は塩気の利いていないことであり、薄めるのを「水で割る」という。

水掛け論であらそったら、あとは「水に流す」ということで感情のもつれを忘れ去ることである。又「年寄りの冷や水」というが、この水もよくない。

日本は農耕民族だから田畑に水を引くということでのトラブルも耐えなかったかも知れない。だから「我田引水」なんて言葉も生まれる。「命の水」とはいえ言葉では案外軽く扱われているのが不思議である。

どうも「水っぽい話」ですみません(ペコッ)

昭和歌謡曲の軌跡(27)台詞入り歌謡

2008-09-28 | 富山昭和詩史の流れの中で
しかし、映画俳優で歌の分野で成功したのは、戦前以前では、「大江戸出世小唄」を昭和10年に大ヒットさせた高田浩吉と、「宵待草」で昭和13年にレコーディングした高峰三枝子ぐらいで、後は愛嬌の域をでなかったといわれています。

そこで生まれたのが、俳優には台詞を受け持たせて人気歌手とドッキングさせるという方法でした。

台詞入りの走りは「緑の地平線の(楠木繁夫)とカップリングの「ゆかりの歌」(ディク・ミネ)といわれていていますが、昭和11年に東海林太郎の歌に田中絹代の台詞という当代の人気者が顔を合わせた「雨の夜船」というタンゴ調のが話題を呼び、翌12年には、このジャンルの最高傑作といわれた同じコンビの「すみだ川」が発売されます。永井荷風の「すみだ川」に題材をとったもので東海林太郎ポリドール専属三周年記念盤として制作されたものです。

銀杏がえしに 黒じゅすかけて
泣いて別れた すみだ川
思ひ出します 観音さまの
秋の日暮の 鐘の声
  あぁそうだったわねぇ あなたが二十、わたしが十七の時よ
  いつも清元のお稽古から帰ってくると、あなたは竹屋の渡し場で待ってて居てくれたわ ねぇ
  そうして二人の姿が水に映るのをながめながら
  ニッコリわらって淋しく別れた
  ほんとにはなかい恋だったわねぇ
  (佐藤惣之助作詞、山田栄一作曲「すみだ川」)

又この「すみだ川」の続編とも云うべき「築地明石町」(藤田まさと作詞)を同じコンビで昭和14年に出しています。
さらに東海林太郎には、台詞入り歌謡を語るうえで逸することの出来ない佐野周二とのコンビによる「上海の街角で」があります。この歌の特徴は軍国歌謡的な匂いのある台詞入り歌謡の最初のものでもありました。

リラの花散る キャバレーで逢ふて
今宵別れる 街の角
紅の月さえ 瞼ににじむ
夢の四馬路が 懐かしや
  おい、もう泣くな。あれをごらん。ほんのりと紅の月が出ているじゃないか。  なにもかもあの晩の通りだ。去年はしめて君に逢ったのも丁度リラの花咲く頃
  今年別れるのも、又リラの花散る晩だ。
  そして場所も、やっぱりkの四馬路だったなァ。
  あれから一年、激しい戦火をあびたが、今日は日本軍の手で平和がやってきた。
  ホラお聞き、ネ、昔ながらの支那音楽も聞こえるじゃないか……
  (佐藤惣之助作詞、山田栄一作曲「上海の街角で」)

戦時体制下にあって、このジャンルは、名作に題材をとった映画のストーリーによったりするものと、戦場の兵士の体験や留守家族の心情をテーマーにとったものとの二つに分けられますが、次回にします。

昭和歌謡曲の軌跡(26)映画と流行歌④

2008-09-27 | 富山昭和詩史の流れの中で
このような風潮にいち早く対応対応したのが東宝でした。「上海陸戦隊」(監督熊谷久虎、大日方伝・月田一郎・原節子主演)や、阿部豊監督の「燃ゆる大空」などがその代表作であります。この「燃ゆる大空」の主題歌は佐藤惣之助の詞に山田耕筰が曲をつけ霧島昇・藤山一郎が歌ったもので、陸軍省選定となりヒットしました。

燃ゆる大空 気流だ 雲だ
騰(あが)るぞ 翔るぞ
疾風のごとく
爆音正しく 高度を持して
輝くつばさよ 光華(ひかり)と勢(きそ)え
航空日本 空低く われら
(佐藤惣之助作詞、山田耕筰作曲「燃ゆる大空」)

その後、娯楽要素の強い作品として満英スターの李香蘭(現在の山口淑子)と長谷川一夫のコンビによる「白蘭の歌」(昭和14)、「支那の夜」「熱砂の誓い」(共に15年)が連続ヒットとなりそれぞれの主題歌が愛唱された。

あの山 川辺にも
尊き血潮は 染みている
その血の中に 咲いた花
かぐわし君は 百蘭の花
「白蘭の歌」主題歌(久米正雄作詞、竹岡信幸作曲「白蘭の歌」) 


君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 恋の歌
水の蘇州の 花散る春を
おしむか柳が すすりなく
「支那の夜」主題歌(西条八十作詞、服部良一作曲「蘇州夜曲」)

これらの映画で得た李香蘭の人気はすさまじく、昭和16念2月11日、二度目の来日でたった日劇の舞台に寄せる人々の期待も大きかったといわれています。
松竹も、李香蘭に佐野周二を配し野村浩将監督で「蘇州の夜」を鳥秀和17年の正月映画として封切り、李香蘭がうたった同名主題歌はヒットとなります。

15年に内閣情報部が局に昇格し、出版、レコード、映画、演劇、新聞、雑誌、等の指導監督が厳しくなった中で、灰田勝彦が歌った「新雪」が、昭和17年に世に出たのは希有なことと言われています。

紫けむる 新雪の
峰ふり仰ぐ この心
麓の丘の 小草を敷けば
草の青さが 目に沁みる
(佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲「新雪」)

昭和16年~17年、朝日新聞に連載された藤島恒夫の小説を大映映画で制作した時の主題歌。宝塚の月丘夢路が映画会入りした第一回作品。五所平之助が二年ぶりにメガホンをとったことも話題となった。流行歌が何らかの意味で国策的ないし軍国的表現をもたなければならなかった時期であったからこそ、この歌は人々の口から口へと歌い継がれていったのだったと云えましょう。





昭和歌謡曲の軌跡(25)映画と流行歌③

2008-09-26 | 富山昭和詩史の流れの中で
昭和13年から15年にかけて、新興キネマが制作した主な女性映画とその主題歌にはざっと次のようなものがあります。

◇「新月の歌」(久松静児監督、高野由美・立花晃・美鳩まり主演)ー主題歌「新月の歌」(松島詩子)
◇「歌姫懺悔」(久松静児監督、千代香:逢初夢子・立花晃主演)ー主題歌「白衣の蔭に」(樋口静雄)
◇「母」(田中重雄監督、山路ふみ子・新田実・真山くみ子主演)主題歌ー「母のゆく道」(三門順子)
◇「燦めく星座」(曽根千晴監督、菅井一郎、淡島みどり主演)ー主題歌「燦めく星座ー夏子の唄」(沢雅子)
◇「海棠の歌」(深田修造監督、真山くみ子・高野由美・新田実主演)-主題歌「海棠の歌」(林伊佐緒)
◇「若妻」(伊那精一監督、清水将夫・新田実・真山くみ子主演9ー主題歌「親鳩小鳩」(岡晴夫)
◇「夢ならぬ恋」(深田修造監督、黒田記代・美鳩まり・淡島みどり・宇佐見淳・新田実主演)-主題歌「男のゆく道」(児玉好雄)
◇「嵐に立つ女」(青山三郎監督、真山くみ子・杉山美子・高野由美主演)ー主題歌「嵐に立つ女」(松島詩子)
◇「愛憎の海」(久松静児監督、新田実・真山くみ子主演)ー主題歌「二人のゆく人生」(松島詩子・樋口静雄)
◇「女性本願」(田中重雄監督、黒田記代・美鳩まり・小柴幹治・植村謙二郎主演)-主題歌「女性本願」(楠木繁夫・水原美也子)

雨に嵐に たたかれて
歩む茨の 道はるか
じっと見あげる 乙女の胸に
せめて輝け 愛の星
(野村俊夫作詞、飯田三郎作曲「燦めく星座ー夏子の唄」)

東宝は制作方針にかなり違った立場を示したが、それでも次の作品があるし、杉狂児、星玲子を主軸にコミカルな大衆路線に特徴をもっていた日活もまた、女性映画全盛に影響は受けています。

〈東宝〉
◇「女の教室」~主題歌「女の教室」(中村淑子)
◇「東京の女性}~主題歌「東京の女性~節子の歌」(二葉あき子)
◇「新妻鏡」~主題歌「新妻鏡(霧島昇・二葉あき子)と「目ンない千鳥」(霧島昇・松原操)
〈日活〉
◇「転落の詩集」~主題歌「街の椿姫」(青山伸)
◇「女は泣かず」~主題歌「女は泣かず」(ディック・ミネ)

花散れば散れ 鉄の窓 鉄の窓
詩集の文字を 血で書きし
女は街の 椿姫
涙も涸れて 明暗の
二すじ道に 咲いた花
(島田馨也作詞、杉原泰蔵作曲「街の椿姫」)

(以下つづく)


昭和歌謡曲軒席(24)映画と流行歌②

2008-09-25 | 富山昭和詩史の流れの中で
こうしたおり、松竹大船撮影所から予想もしない大ヒット作が生まれました。それが「愛染かつら」でした。

原作は川口松太郎が昭和12年1月から『婦人倶楽部』に連載したもので、典型的なメロドラマです。野村浩将監督、上原兼・田中絹代のコンビで映画化されると熱狂的な人気を得、万城目正作曲の主題歌「旅の夜風」も大ヒットとなえいます。

花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く
(西条八十作詞、万城目正作曲「旅の夜風」)

この曲を吹き込んだ霧島昇、ミスコロムビア(松原操)のふたりを〝愛染コンビ〟と呼びこうしたメロドラマを〝愛染調〟とよぶようになったほどのヒット振りでした。またサブの「悲しき子守歌」(ミス・コロムビア)もヒットします。 

この大ヒットは翌14年「続愛染かつら」「愛染かつら完結編」の制作をうながし、それぞれ主題歌「愛染夜曲」「朝月夕月」および「愛染草紙」「曠野の夜風」が発表され。いわゆる愛染三部作と呼ばれました。

この映画の成功で松竹映画は主にコロムビアと提携してそれぞれ主題歌をつけます。

◇「純情二重奏」(佐々木康監督、高峰三枝子・木暮実千代・細川俊夫主演~~主題歌「純情二重奏}(霧島昇・高峰三枝子)
◇「新女性問答」(佐々木康監督、三宅邦子、・桑野通子主演)~主題歌「純情の岡」二葉あき子)
◇「春雷」(佐々木康監督、川崎弘子・木暮実千代・田中絹代・夏川大二郎主演)~主題歌「古き花園」(二葉あき子)
◇「母の唄」(佐々木康監督、田仲絹代・川崎弘子・三宅邦子・高峰三枝子主演)~主題歌{母の唄」(ミス・コロムビア)
◇「愛の暴風」(野村浩将監督、上原謙・佐分利信・桑野通子・水戸光子主演)~主題歌{相呼ぶ唄」(霧島昇・菊池章子)
◇「四季の夢」(原研吉監督、夏川大二郎・桑野通子・三浦光子主演)~主題歌「別れゆく花」(霧島昇・松原操)
◇「花の雷雨」(佐々木康監督、佐分利信、・徳大寺伸・水戸光子・木暮実千代)~主題歌「思ひ出夜曲」(霧島昇・奥山彩子)
◇「新女性連盟」(原研吉監督、高峰三枝子・徳大寺伸・坪内美子主演)~主題歌「乙女の戦士」
◇「女性の覚悟」(渋谷実・原研吉監督、桑野通子・田中絹代・水戸光子・川崎弘子・高峯三枝子・森川まさみ・三宅邦子・坪内美子主演)~主題歌「乙女の首途」
(松原操・奥山彩子)
◇「母は強し」(佐々木啓祐監督、川崎弘子・徳大寺伸主演)~主題歌「涙のすみれ」(霧島昇・二葉あき子)
◇「新妻問答」(野村浩将監督、上原謙・桑野通子・三浦光子主演)~主題歌「新妻模様」(霧島昇・松原操)
◇「愛染椿」(佐々木康監督、夏川大二郎・田中絹代・水戸光子主演)~主題歌「愛の紅椿」(霧島昇・田中絹代)

以上、、コロムビアで発売した昭和13年からの二年間でこれほどの作品があります。この一連の女性映画の大半は成功したといわれています。(更にこの項つづく)

昭和歌謡曲の軌跡(23)映画と流行歌

2008-09-24 | 富山昭和詩史の流れの中で
昭和6年の「マダムと女房」の成功は弁士たちのストライキをはねとばして、映画界はトーキー時代への道へと歩き始めます。トーキーが歌謡曲(当時は流行歌なので、この先しばらくは「流行歌」と書きます)都営が之むすびつきをより緊密にしたことは当然でしょう。
ポリドールは昭和7年に松竹と契約して映画主題歌のために二年間松竹レーベルのレコードを発売したし、テイチクに移った古賀政男は主として日活と組み、数多くの主題歌を書きました。

松竹レコードは「優曇華(うどんげ)の唄」「花嫁の寝言」「赤城の子守唄」「月形半平太の唄」などをうんだし、古賀政男を擁したテイチクからは次のようなひっとが生まれています。

◇「東京ラプソディ」(藤山一郎/昭和11年)~このヒットがPCL「東京ラプソディ」(伏水修監督)という映画を生んだ。
◇「男の純情」(藤山一郎/昭和11年)~日活映画「魂」(渡辺邦男監督、岡譲二主演)の主題歌。
◇「愛の小窓」(ディック・ミネ/昭和11年)~同右
◇「女の階級」(楠木繁夫/昭和11年)~日活映画「女の階級」(江川宇礼雄・岡譲二・星玲子主演)の主題歌。
◇「回想譜」(藤山一郎/昭和11年)~同右
◇「人生の並木道」(ディック・ミネ/昭和12年)~「検事とその妹」(岡譲二・原節子主演)の主題歌。
◇「青い背広で」(藤山一郎/昭和12年)~唄のヒット後に映画化。
◇「あぁそれなのに」(美ち奴/昭和11年)~「ウチの女房にゃ髭がある」(千葉泰樹監督、杉狂児・星玲子主演)主題歌。この歌は美ち奴をスターダムに押し上げた。映画の封切り翌12年。)
◇「燦めく星座」(灰田勝彦/昭和15年)~「秀子の応援団」の主題歌(高峯秀子主演)の主題歌。灰田勝彦の人気を不動のものにした曲。実はB面でA面「青春グラウンド」はヒットしなかった。

泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い 二人して
故郷を捨てた 甲斐がない
(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲「人生の並木道」)

空にゃ今日も アドバルン
さぞかし会社で 今頃は
おいそがしいと 思うたに
あゝそれなのに それなのに
ねぇおこるのは おこるのは
あたりまえでしょう
(星野貞志作詞、古賀政男作曲「あゝそれなのに」)
 
また、人気女優伏見直江の妹である伏見信子が日活から松竹に遺跡、五所平之助のメガホンで「十九の春」を制作、松竹は主題歌を生け持つコロンビアとタイアップして、今の美人コンテストともいえるイベントを実施して話題をつくり、またミス・コロムビアの歌った主題歌「十九の春」は若き日のディック・ミネがイントロにハワイアン・ギターをひき、昭和8年のヒット曲となりました。

このように多くの映画主題歌が生まれた昭和初期はその大半が女性映画によるメロドラマ歌謡としてて大量生産されることになり、単に量的なめんだけではなく、映画と主題歌との緊密な関係も著しくたかまり、以後映画主題歌に大きな影響をあたえたことも見過ごすことはできません。
(この項つづく)

昭和歌謡曲の軌跡(22)股旅もの③

2008-09-23 | 富山昭和詩史の流れの中で
月は雲間に 赤城はしぐれ
恋に嘆きの 峠を行けば
泣いてくれるか
泣いてくれるか はぐれ鳥
(久保田宵二作詞、竹岡信幸作曲「赤城しぐれ」)
この歌は直接には国定通事を主題としておらず、曲想にスマートさが加味されていますが、聴く人々には忠治赤城落ちを連想していたといわれます。

以後、昭和13年~15年には次のような股旅歌謡が生まれています。

◇「石松旅だより」(上原敏/昭和13)
◇「赤城月夜」(塩勝る/昭和13)
◇「鴛鴦道中」(上原敏・青葉笙子/昭和13)日活映画「鴛鴦道中」マキノ正博監督、片岡千恵蔵村田千栄子主演)の主題歌。
◇「旅姿三人男」(ディック・ミネ/昭和13)清水の次郎長の子分である大政・小政・森の石松の三人を歌いこんでいる。
◇「名月赤城山」(東海林太郎/昭和14)国定忠治と日光の円蔵との交流を主題とし、この唄のでたあと組田彰造監督第一回作品として原健作・大倉千代子主演で映画化された。
◇「大利根月夜」(田端義夫/昭和14)飯岡の助五郎、笹川の繁蔵の抗争のなかで死んだといわれる平手造酒を主人公としている。
◇「里恋峠」(田端義夫/昭和14)
◇「親恋道中」(上原敏/昭和14)
◇「妻恋旅姿」(上原敏/昭和13)ポリドール・松竹提携作品「弥次喜多怪談道中」(高田浩吉主演)の主題歌。
◇「お島千太郎旅歌」(伊藤久男・二葉あき子/昭和15)東宝作品「蛇姫様」(衣笠貞之助監督、長谷川一夫・山田五十鈴ほかオールキャスト)の主題歌。伊藤久男のレパートリーでの中で唯一の道中ものである。
◇「街道石松ぶし」(鶴田六郎・美ち奴/昭和15)マキノ正博監督、片岡千恵蔵
・轟夕起子主演の「続清水港」
◇「吉良の仁吉」(美ち奴/昭和15)広沢虎造の節を取り入れた〝虎造くずし〟
の代表作。慶応2年4月8日の荒神山での出入りで死んだ吉良の仁吉を歌っている。
◇「鴛鴦道中」(上原敏・青葉笙子/昭和15年)「弥次喜多六十四州唄栗毛」(古野栄作監督、高田浩吉主演)の主題歌。
◇「黄昏道中」(東海林太郎/昭和15)「女次郎長」(大曽根辰夫監督、川崎弘子主演)の主題歌。

このような股旅演歌も戦争の激化により、検閲の目が光り、みち奴の「石松ぶし」や「三代の盃」にみられるように、明るい浪曲調か、あるいは任侠を絶対服従する点から捉えた忍耐を強調する内容に変質して行かざるを得なくなります。

そのような中で昭和18年、小畑実・藤原亮子のデュエットで「勘太郎月夜唄」がヒットし、ビクターレコードでは初の股旅歌謡の成功作となりました。
三村伸太郎・八住利雄協同脚本、滝沢英輔監督、長谷川一郎・山田五十鈴主演の東宝映画「伊那の勘太郎」の主題歌です。
(*「伊那の勘太郎」は、監督稲垣浩の仇名「イナカン」からとったフイクションの人物。映画、唄のヒットにより、伊那市で勘太郎の墓が見つかるという騒ぎまでおきたというエピソードもあります))

影か柳か 勘太郎さんか
伊那は七谷 糸ひく煙り
棄てて別れた 故郷の月に
偲ぶ今宵の ほととぎす
(佐伯孝夫作詞、清水保雄作曲)「勘太郎月夜唄」)

この唄を挽歌のようにして、戦後のある時期までこのジャンルは途絶えてしまう。

(この項終わり)

昭和歌謡曲の軌跡(21)股旅もの②

2008-09-22 | 富山昭和詩史の流れの中で
帰国後は生田長江に心酔、請うてその弟子となります。おそらく少年期から青年期におけるタイル句での生活が、その描く股旅ものに独自の哀愁をもたらしているのでしょうか。
藤田まさとについては池田憲一の著書で、次のように書かれてある。

昭和46年、鶴田浩二の「傷だらけの人生」を出したあとで、直接聞いた話だそうですがが「大自然の中での人間の存在など、ほんとにちいさなものだし、宿命とか運命とかを勝手に変えることもできない。しかし、だからこそ逆に、人生というものに愛着を覚える。」といい、「私が股旅ものを書くとき念頭にあるのは、いつも背広を着てネクタイを締めているサラリーマンだ。現代に視点を置かず、現在の息づかいをしていない旅人なんて、誰が共感をもつものか」と語ったといいます。
こうした詩作態度はデビュー曲以来一貫していました。最初のヒット曲は東海林太郎、大村能章とのトリオで昭和10年に発売された「旅笠道中」です。

夜が冷たい 心が寒い
渡り鳥かよ 俺等の旅は
風の間に間に 吹きさらし

この唄は右太衛門プロ制作「東海の顔役」の主題歌で、若き日の清水の次郎長を描いています。
「旅笠道中」のヒットのあと映画主題歌が次々と作られる。「旅は鼻歌」(東海林太郎/昭和10年)、「さむらい鴉」(楠木繁夫/昭和10年)、「封印半次郎の歌」(楠木繁夫/昭和10年)、「いろは仁義」ヒットしたのは再録の上原敏(昭和13年)、等を得て昭和12年に「妻恋道中」が生まれます。

好いた女房に 三下り半を
投げて長脇差(ながどす) 永の旅
怨むまえぞえ 俺らのことは
またの浮世で 逢ふまでは
(藤田まさと作詞、阿部武雄作曲「妻恋道中」)

この歌で上原便が一躍有名になります。専修大学出身で、わかもと製薬宣伝部から、奨められて歌手の道に進み、この歌以後多くのヒット曲を出したが、太平洋戦争で戦病死してしまいます。
「妻恋道中」は映画主題歌ではなく。逆にヒットに便乗して映画が制作された。この12年「妻恋道中」の藤田まさと、阿部武雄、上原敏のトリオは「流転」もヒットさせた。(後年、藤田まさとはこの歌が一番のお気に入りだったといいます)

男 命を みすじの糸に
かけて三七 二十一目くずれ
浮世カルタの
浮世カルタの 浮き沈み

これは前年に、第一回千葉亀雄賞を受賞した井上靖の「流転」が松竹で映画がされて、その主題歌としてつくられた歌でした。
(以下、あと一回続きとします)