黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

聖徳太子ご遺跡霊場 

2007-08-16 00:21:34 | 聖徳太子巡礼
本日は「聖徳太子ご遺跡霊場」を紹介していきます。
西国霊場や四国霊場など昔からある霊場と異なり戦後に創設された
比較的新しい霊場ですが、現在は霊場会も解散してその存在を知る人も
少ないのではないでしょうか。しかし霊場寺院に参拝して頂くご朱印と
題字はいずれも太子霊場としてのオリジナルのもので細々とながらも
続いています。中には廃寺になった寺院や住職兼任の大変小さな寺院も
ありますが、いずれもがかつては大伽藍を誇った大寺であったり飛鳥の世
から続く寺院であったりと由緒深い寺院ばかりです。

僕は平成15年の8月12日、ちょうど4年前のお盆前からこの霊場巡礼を
始めて平成18年の2月2日に満願、2年半の思い出深い巡礼でした。
それではまずは第一番霊場である四天王寺から始めます。

聖徳太子ご遺蹟霊場 河内・摂津

2007-08-15 23:09:54 | 聖徳太子巡礼
第一番 荒陵山 四天王寺 大阪市天王寺区 和宗
「太子髪中四天王」
大阪のシンボルのひとつである四天王寺。ここから巡礼は始まりました。



第二番 神妙椋樹山 大聖勝軍寺 大阪府八尾市 真言宗
「下之太子」
物部・蘇我氏の古戦場で太子が追いつめられたときに隠れたという椋の木が
あるお寺です。写真はその椋の木で割れ目に太子像がチラリと見えますよ。
かつては聖武天皇から「大聖勝軍鎮護国家寺」の称号を賜った大寺でしたが
現在は小さな境内のお寺です。一帯の地名は「太子堂」で名残を留めています。



第三番 蓮土山 道明寺 大阪府藤井寺市 真言宗
「木木患樹」(木患は一文字)
道明寺粉で名前は有名ですね。菅原道真公ともゆかりの深い尼寺です。
太子を開基としてご本尊に菅公手彫と伝わる国宝十一面観音菩薩を頂く寺院です。



第四番 向原山 西琳寺 大阪府羽曳野市 真言宗
「河内史帰仏之寺」
欽明天皇の時代、蘇我稲目の開基と伝わる古寺でここもかつては七堂伽藍の大寺院
でしたが、現在は住宅地の一角にある大変小さなお寺です。しかし門前には江戸期に
建てられたという「本朝仏事最初・・・」「欽明天皇草建・・・」などど彫られた
石柱が由緒を物語っています。



第五番 青龍山 野中寺 大阪府羽曳野市 真言宗
「中之太子」
羽曳野は古墳の多い土地ですが、この野中寺の近くにも大古墳がたくさんあります。
太子の命令で蘇我馬子がつくったとされる寺院で境内には大寺院だった頃の礎石跡が
残っています。毎月18日は重文の弥勒菩薩が公開されて僕が参拝した時も住職の
説明で拝観をしました。



第六番 磯長山 叡福寺(聖徳太子御廟) 大阪府太子町 単立
「上之太子」
聖徳太子の御廟所があるお寺です。太子三大聖地(橘寺・法隆寺・叡福寺)のひとつ
です。太子町という地名や駅を降りたすぐに「聖徳太子御廟」という大石柱が
あることからもここが聖地であることを表わしています。また近くには推古天皇御陵を
はじめ御陵が点在していて「王家の谷」ともいわれています。
写真は叡福寺境内の奥にある太子の御廟です(宮内庁管轄)



以上、河内・摂津の霊場六ヶ寺でした。

聖徳太子ご遺跡霊場 飛鳥

2007-08-14 23:09:34 | 聖徳太子巡礼
第七番 霊鷲山 世尊寺 奈良県大淀町 曹洞宗
「南海夜光之霊木」
奈良県の大淀町の比曽という人家少ない田舎にある現在は曹洞宗のお寺ですが
太子が父帝用明天皇のために建立したと伝わる寺で境内は国指定史跡です。
大津の三井寺にはこの世尊寺にかつてあった東塔が移築されて残っています。
写真は境内の太子堂。



第八番 佛頭山 橘寺 奈良県明日香村 天台宗
「太子誕生所橘之宮」
太子誕生の地とされる橘宮跡にたつ橘寺です。まわりはのどかな田園です。
新西国観音霊場でもありますね。



第九番 定林寺(跡)奈良県明日香村
「太子建立第六院」
太子建立七ヶ寺(『聖徳太子伝略』)のうちのひとつですが現在は廃寺で
写真のような跡地があり国史跡に指定されています。でもなんか薄気味悪い
ただの草っぱらでしたけど・・・。手前に小さなお堂があります。
ご朱印は近くの「専称寺」で頂戴しました。



第十番 医王山 金剛寺 奈良県明日香村 浄土宗
「鞍作止利創建寺」
聖徳太子の時代に活躍した仏師止利一族の建立の寺院と伝えられますが
現在は明日香村の斜面にある小さなお寺です。車で坂道を登っていくと
とんでもない細道に入り込みにっちもさっちもいかなくなったことが
思い出されます・・・。



第十一番 鳥形山 飛鳥寺 奈良県明日香村 真言宗
「止利佛師丈六釈迦」
明日香村観光コースで絶対に入る日本最古の本格寺院です。
ご本尊は日本最古の「飛鳥大仏」
最古ですが傷だらけなので国宝ではなくて重文です。
でもそんなことどうでもいいんです。傷だらけだけど銀杏形のやさしいまなざしで
参拝者を迎えてくれます。とっても近くで拝観できて写真もOK!
寺を出てすぐに蘇我入鹿の首塚があるのも歴史舞台ならでは・・・。
写真は飛鳥大仏を安置する本堂。



第十二番 太子山 向原寺 奈良県明日香村 浄土真宗
「佛法根源精舎」
明日香村の甘樫丘にあるお寺です。かつて蘇我稲目の屋敷があり、後には太子が
摂政として政務をみた「豊浦宮」が建てたれた地とされています。



第十三番 日向寺 奈良県橿原市 浄土宗
「太子造寺九院之一」
太子霊場は大変小さなお寺が多いのですが、ここは極めつけでした。
普通の家です、外観は。しかもご住職は兼任らしくて行った時は誰もいなくて
住んでいる気配すらなかったです。後日封書にてご朱印を送って頂きました。



以上、飛鳥の七ヶ寺でした。

聖徳太子ご遺跡霊場 斑鳩

2007-08-13 23:09:12 | 聖徳太子巡礼
第十四番 法隆寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗総本山
「尺寸王身釈像」
太子が都である飛鳥から移り住んだ斑鳩宮が法隆寺です。
斑鳩宮から飛鳥まで太子は愛馬の甲斐黒駒に乗って20kmほどの太子道を
通いました。太子の入滅後、太子の皇子である山背大兄王はここ斑鳩宮において
蘇我入鹿の襲撃をうけ自決、太子の一族(上宮王家)は滅亡して血脈は絶えました。



第十五番 中宮寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「太子往生天寿国」
斑鳩宮のあった法隆寺夢殿(東院伽藍)の横にある尼門跡寺院が中宮寺です。
ご本尊は有名な弥勒菩薩(如意輪観音菩薩)
太子入滅後に橘妃が織らせた「天寿国曼荼羅繍帳」は国宝で複製は本堂で拝見できます。



第十六番 法輪寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「山背王誕生水」
ここの地名は斑鳩町三井といいますが太子が掘らせた井戸があることから
「三井」といわれています。



第十七番 法起寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「法華経講讃岡本宮」



第十八番 成福寺(跡)奈良県斑鳩町
「田村皇子問太子之病」
太子の別荘である葦垣宮のあった跡に創建された成福寺ですが、現在は廃寺となって
跡地はフェンスで囲まれて宝篋印塔と祠のみが残る写真のような具合になっています。
ご朱印は法隆寺で頂きます。



以上、斑鳩五ヶ寺でした。

聖徳太子ご遺跡霊場 南都・大和

2007-08-12 23:08:53 | 聖徳太子巡礼
第十九番 片岡山 達磨寺 奈良県王寺町 臨済宗
「飢人相見伝説地」
『日本書紀』によると太子が倒れている飢人に食料と衣類を与えたが
飢人は翌日には死んでいて、それを悲しんだ太子が塚を築かせた。
しかし数日後には屍はなく太子の衣のみが残っていたという・・・。
この塚が後に寺院となったというのが「達磨寺」です。



第二十番 信貴山 朝護孫子寺 奈良県平群町 真言宗
「四天王毘沙門天」
朝護孫子寺という寺名より信貴山という山号の方が有名な寺院ですね。
聖徳太子霊場では唯一の舞台造りの本堂です。



第二十一番 平群山施鹿薗院 平隆寺 奈良県三郷町 融仏念仏宗
「施鹿園」
太子が犬にかみ殺された鹿の菩提を弔うために建てたお堂が始まりと伝わるお寺ですが
このお寺を探し当てるのがこの巡礼で一番難しかったです。自動車では絶対に
行けません・・・。「えっ?こんなところに?」っていう場所にあるお寺です。



第二十二番 熊凝山 額安寺 奈良県大和郡山市 真言宗
「太子熊凝道場」
太子の学問所「熊凝精舎」跡に建つ額安寺ですが、僕が参拝に訪れた平成16年10月
の時点では境内は工事中状態でした。とてもお寺の境内とは思えなかったんですけど
修復は終ったんでしょうかね。それでもプレハブのような寺務所でご朱印を頂きました。
写真は境内前の宝篋印塔。文応元年(1260)記銘の大変古いものです。



第二十三番 三論學山 大安寺 奈良県奈良市 真言宗
「太子遺願大寺」
奈良駅から「大安寺」行きというバスが出ているほどに奈良では有名なお寺です。
1月22日には無病息災祈願の青竹に入れたお酒が振舞われて賑わいます。

 

以上、南都・大和の五ヶ寺でした。