黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

西国第五番 葛井寺 参詣

2009-11-30 20:13:48 | 西国三十三所巡礼
さて、施福寺から予定外に叡福寺にも参拝して次には西国第五番の葛井寺(ふじいてら)へと向かいます。
葛井寺へは2年前の夏以来2回目の参詣になります。前回の参拝記はこちら

葛井寺へは前回は電車を乗り継いで参詣したが、今回は車。問題は駐車場だった。お寺の周辺にあるのは
わかっていたが、道が狭くてどうにもわからず、2周ほどしたあとに結局葛井寺の近くにある
辛国神社という神社の参拝者用駐車場に駐車させてもらった。ただ駐車するだけでは申し訳ないので
拝殿にて参拝した後に葛井寺へと向う。葛井寺は前回の参拝記にも書いたとおり、商店街の中にある
極めて庶民的なお寺である。商店街側にある西門は豊臣秀頼寄進で重要文化財にも指定されている門であるが
気をつけて見ていなければうっかりと見逃してしまうところである。

境内もそう大きくはない。しかしこの寺名である「葛井寺」が字こそ変化したがそのまま「藤井寺市」と
西国札所寺院としては唯一、行政市名となっている。門前町も含めその存在は昔から大きかったのであろう。
また真数千手として国宝に指定されている本尊の十一面千手観音は天平時代に造られた仏像で、寺の創建が
奈良時代にまで遡る古い歴史を持つ寺院であることを物語っている。

境内は開放されているので、常時近所の人達の憩いの場や通り道になっており、参詣の人も相まって
人が絶えることはない。そういう境内の雰囲気は茨木市にある西国第22番の総持寺にも似たところがあるが、
場所柄商店街の中に位置する葛井寺の方がより庶民的である印象は強い。本堂は江戸期に復興されたが
これも重要文化財である。




境内には本堂の他に阿弥陀二十五菩薩堂、大師堂、護摩堂などがあり、手を合わせて祈る人々が見かけられ
篤い信仰で支えられている寺なんだと感じた。

御朱印・ご詠歌護符・本尊御影・梵字札




参拝日時:平成21年11月28日(土)午後0時~午後0時半

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聖徳太子御廟 叡福寺 参詣

2009-11-29 11:16:51 | 聖徳太子巡礼
施福寺を出て、次に向かうのは西国第五番の葛井寺です。国道170号線を北進していると「喜志」という
地名の表示板が見えてきました。喜志・・・喜志・・・、ん~何か聞き覚えのある地名やな~・・・と
考えていると、思い出しました。喜志は聖徳太子御廟のある叡福寺への最寄り駅の名前!・・・ということは
叡福寺はこの近くか? それでナビで調べてみると、その地点からわずか5kmほどの距離。これは参詣しなきゃ!
ということで急遽予定を追加して叡福寺に向かいました。では参拝記を。前回の参拝記はこちらで。

叡福寺の最寄り駅である近鉄喜志駅の周辺は一般的な商店街で人や車の往来が多い街である。以前訪れた
時にはだんじり祭の最中で勇壮なだんじりが駅前に繰り出していた。だんじりは岸和田のが有名であるが、
その周辺地域でも同様の山車が出る祭りが多くあるみたいだ。駅前には「聖徳太子磯長御廟」と刻まれた
立派な石柱が建っている。斑鳩のJR法隆寺駅前にも同様に「聖徳太子御旧蹟」と刻まれた石柱があるが、
どちらも聖徳太子ゆかりの地であることへの誇りがあらわれている。

喜志駅からは巡回バスが出ていて、これまでの参詣ではこのバスに乗車して叡福寺に向かったのだが
今回は自家用車。喜志駅あたりから数分して太子町内へと入りやがて叡福寺の多宝塔(重文)の相輪が見えてくる。
自家用車は門前脇駐車場が無料で利用できる。駐車場のみならず境内も開放されている。


南大門をくぐると広い境内一面に白砂がきれいに敷き詰められていて、いささか遠慮気味にその上を歩き
境内を進んで、まずは太子の本地仏である如意輪観音を本尊とする金堂や太子を本尊とする聖霊殿にお参り、
最後に正面奥の御廟所を参拝した。境内では植木職人さんが剪定をしていて、敷き詰められた白砂は
掃き清められている。美しく整えられた境内は聖徳太子御廟を守護するという叡福寺の務めの気持ちが現われて
いるようで、参詣する者にとってもある種の心地よい緊張感をもたらすのである。


叡福寺と道を挟んで正面の向かい合わせに新西国霊場札所である西方院がある。太子遷化の後に
3人の乳母たちがこの地で太子の菩提を弔ったという。


叡福寺のある太子町の東方は奈良県との県境で斑鳩とは直線距離にして10km超ほどである。
また北方には羽曳野・藤井寺・八尾があり旧国名では河内国だが、かつて蘇我氏と敵対した物部氏の
本領地があったため、両者の戦場ともなり、その由縁から太子ゆかりの寺院も多く点在する。
上之太子の叡福寺、中之太子の野中寺、下之太子の大聖勝軍寺をはじめ、蘇我稲目が建立したと
伝えられる西淋寺や菅公との縁もある道明寺などもこの地域にある。太子との結びつきが強い地域である。

参拝日時:平成21年11月28日(土)午前10時半~午前11時

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西国第四番 施福寺 参詣

2009-11-28 18:53:18 | 西国三十三所巡礼
今日はまたもや午前3時半起きで大阪府和泉市の槇尾山にある施福寺を参詣しました。施福寺には2回目ですが
前回は西国ツアーで団体として参加しました。今回はひとりで車にて槇尾山まで行きます。それでは参拝記を。

早暁の大阪市内を通り抜け国道170号線を南下する頃にはすっかり明るくなって車の往来も多くなった。
そして槇尾山口から施福寺に行くだけのような細い車道をしばらく走ると、やがて施福寺の参道入り口前の
駐車場に到着する。ここからは車は入れず徒歩にて施福寺へと向かう。


しばらく歩くと山中にひっそりと建っている山門が現われる。


見上げるとスズメバチの大きな巣が・・・。


山門をくぐると、すぐに境内があるわけではない。ここから石段を境内まで登る。


以前は最大の難所といわれた上醍醐寺が火災にて札所を下醍醐としている現在は、この施福寺が最大の
難所と言えよう。石段は急坂でしかも不揃いであるため、非常に歩きにくいのである。ハイキング登山の道としても
多くの人が行き来する参道である。僕が入山した時間は午前8時前と割合早い時間であるが、驚いたことに
もう下ってくる人がいる。しかもお年寄りが多く、中には脚が悪いのかびっこをひいているお年寄りも見かける。
それでも歩き慣れている感じに見えるのは、地元の人でほぼ毎日のように登っている人たちなのであろう。


この朝の気温12℃と暖かくはない中、Tシャツ+白衣の軽装ながら石段を休みなく登り始めるとさすがに
汗をかくほど暑くなってきた。観音杖を手にして体を支えながら登っても脚は半端なくしんどい。
しかし弘法大師空海上人が剃髪した場の跡と伝わる愛染堂まで来ると境内まであとひと息である。


施福寺本堂。小さな境内に小さな本堂である。かつて織田信長の焼き討ちにあったこともある施福寺の
現在の伽藍は江戸末期安政年間に再建。ご本尊は弥勒菩薩で脇侍である十一面千手千眼観世音菩薩が
西国札所本尊である。通常は秘仏であるが毎年5月に開帳される。


ご本尊の弥勒菩薩の背中合わせに後堂には馬頭観音がお祀りしてある。馬頭観音は旅の無事安穏を祈願する
観音さま。山中を歩く巡礼者には守護菩薩となる。


団体参拝がいなければひっそりとした山寺で参詣者よりハイキング登山者の方を多く見かける。登りは登りの
しんどさがあるが、帰りの下りも急坂ゆえに気が抜けない。油断すると雨で湿った落ち葉で足を滑らしそうになる。
いささか踏ん張って下りなくてはならないのでこれもしんどいのである。登りの所要時間は約25分、下りは雨が
降り出しそうだったので多少急いで約15分で元の駐車場に戻れた。

ご朱印・ご詠歌護符・本尊御影・梵字札。




参拝日時:平成21年11月28日午前7時50分~午前9時半 

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京都国博特別展~日蓮と法華の名宝~

2009-11-26 21:33:34 | 仏教・神道・寺社一般
先の金曜日に京都国立博物館の特別展「日蓮と法華の名宝」を観覧してきました。金曜日でしたが、
こちらもけっこうな人出でなかなか人が進まなかったコーナーもありました。日蓮上人が「立正安国論」を
奏進してから750年という節目の年での記念展覧会です。

日蓮上人といえばやはり「法華経」なので、歴代天皇の宸筆の法華経を始め、法華経曼荼羅や日蓮宗本尊曼荼羅
などが数多く出品、また近世には本阿弥光悦や俵屋宗達など京都の一流文化人の多くが日蓮宗信徒だったので
そのほとんどが国宝か重文に指定されている書や絵画や茶碗などの工芸品が出品されていました。

また最も人がたかっていたのは日蓮上人真筆の「立正安国論」です。日蓮上人はこの書の名を冠して「立正大師」
という大師号を勅賜されています。なかなか見ごたえのある展覧会でした。


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