黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

西国第十番 三室戸寺 ご本尊開帳参詣

2009-10-31 23:04:27 | 西国三十三所巡礼
連休初日の今日は朝から宇治・醍醐に行って三室戸寺と醍醐寺に参詣しました。どちらもご本尊開帳中です。
まずは宇治の三室戸寺。ここにはもう今回で4回目です。JR宇治駅から案内板も見ずに行けますよ。



梅雨時はあじさい満開で彩られる庭園も花が咲かないとちょっと物足りない?


開帳塔婆の建つ本堂前。蓮の花がないとちょっと物足りない?




こちらのご本尊は飛鳥時代の作と伝えられる千手観音ですが、84年ぶりの開帳だということです。
前回開帳は大正と明治の境目ぐらいですか? 拝観した人で存命している人いるかな?
千手観音と言われていますが、実際は二臂(2本の手)像です。室町時代までは二丈(約6m)の千手観音像と
その胎内仏が祀られていて、現在に残る本尊はこの二臂の胎内仏だということですが、二丈千手観音と二臂胎内仏は
一体のものとして二臂胎内仏も千手観音と称してきたそうです。ちなみに二丈千手観音像は室町時代の火災で
焼失してしまいました。この二臂胎内仏が今回84年ぶりの開帳となったわけですが、胎内仏なので1尺2寸
(約36cm)の小像です。

ご朱印・詠歌護符・ご本尊御影・梵字札




今日は朝から晴天でしたが、宇治市内では源氏物語にちなんだ宇治十帖スタンプラリーとかいうのを
やっていて多くの人がスタンプ求めてウォーキングしていました。ご苦労さん。

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さようなら馬頭さま、またお目にかかる日まで~西国第二十九番松尾寺

2009-10-20 21:32:14 | 西国三十三所巡礼
長命寺・観音正寺の参詣のあと、琵琶湖大橋を渡って湖西を走り、若狭に抜けてそのまま地元の舞鶴へ。
夕暮れ近い午後4時頃に松尾寺へ到着しました。去年の9月から1年以上にわたって77年ぶりのご開帳となった
松尾寺のご本尊の馬頭さん、今月の23日に閉帳されるのを前に最後に3度目の拝観をしました。




笑顔の馬頭さんともこれで33年間お別れです。次にお目にかかれるのは33年後。33年後かぁ・・・。
何してるかな?楽しく生きていれればいいけどね。その頃には西国も何巡もしてて特任先達になってるかな?

西国三十番の竹生島への石標。すいぶんとおおまかですね。


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西国第三十二番 観音正寺 参詣

2009-10-18 11:35:45 | 西国三十三所巡礼
ふくらはぎ、筋肉痛です(苦笑) やはり長命寺の808段は只者じゃない。
さて、長命寺から距離にして約15キロのほどの繖山(きぬがさやま)山頂にある観音正寺へと向かいます。

前回は麓から雪の残る道を歩いて行きましたが、今回は時間の関係もあって車で一気に山門前まで。
しかしこの山門前の駐車場が一般車とタクシーでごったかえしていて、にっちもさっちもいかない状況に
なっていましたね。ワゴンタイプの車など大きな車は切り返しに大変です。警備員か誘導係を増員しなきゃ。

山寺ですが、駐車場同様に境内も人で多かったです。団参や山登りの人もいたんで余計にですが。
本堂内も人多かったです。こちらの本尊は平成16年新造で常時開帳ですが、胎内仏を開帳するのと
本尊のお身拭いができるのが内陣参拝の特典でした。本堂前の開帳塔婆。


ご朱印・ご詠歌符・御影・梵字札




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西国第三十一番 長命寺 ご本尊開帳参詣

2009-10-17 19:38:26 | 西国三十三所巡礼
今日は早朝に家を出発して近江八幡の長命寺、観音正寺、そして帰路に地元の松尾寺に参詣しました。
今日は長命寺の参拝記を書きます。長命寺へは平成20年1月以来2回目の参詣になります。
その時の記事(←クリック)もあわせてお読みください。

長命寺は10月中は61年ぶりのご本尊開帳期間ということで、麓の駐車場も警備員さんが配置される盛況ぶりです。
僕も今回は麓から808段の石段を登って入山することにしました。


登り口脇にはかつて穀物倉だったという穀屋寺があり聖徳太子を本尊としています。


いつの時代に造られた石段なんでしょうか?お寺のご住職に聞けば良かったとちょっと後悔しています。
急ぎ気味で登れば15分ほどで境内に着きました。下りのとき足がガクガクしていましたけど(笑)


長命寺のご本尊は前述のとおり、昭和24年以来61年ぶりのご開帳です。室町時代建立の本堂の厨子の中に
中央に千手観音(平安後期)、向かって右手に十一面観音(平安初期)左手に聖観音(鎌倉時代)が安置されていて
三尊一体でご本尊とします。本堂とともに重要文化財です。いささか薄暗い堂内の厨子の中で千手観音は
非常に気高く品のある表情の仏さまでした。十一面観音は千手観音より少しふっくらとした面持ち、
聖観音は照明が暗いうえに像色もいささか黒色に近いため視覚的にはあまりわかりませんでしたね。
厨子の左右にはそれぞれ大きな不動明王と毘沙門天(重文)が脇侍として祀られていました。


三仏堂・鐘楼。長命寺は景観の美しいお寺です。


境内から琵琶湖を望む。昔は琵琶湖を船で渡って参詣するのが一般的だったそうです。


ご朱印とご詠歌符・御影・梵字札。内陣拝観では参詣曼荼羅(桃山時代)の絵葉書とお守りが配布されます。






このあと、観音正寺へと向かいます。

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若狭 小浜 神宮寺~東大寺二月堂お水送りの寺~

2009-10-11 18:40:17 | 若狭・丹後の寺社
妙楽寺を後にして次に神宮寺に向かいました。車で10分もかからない距離です。「神宮寺」という
まさに神仏習合を現す寺名ですが、創建は奈良時代の和銅7年(714)に遡るとされ、鎌倉時代に
同地の若狭彦神社の別当寺となり神宮寺と改称されました。このお寺は東大寺二月堂の修ニ会のお水取りで
二月堂ご本尊の観音さまに献ずるお香水の水源の井戸があるお寺としても有名で毎年3月2日には
東大寺二月堂のお香水の井戸である若狭井へ水を送るというお水送りの行事が行なわれます。

ぽつんと立つ仁王門は鎌倉時代末の建築で重要文化財です。


同じく鎌倉時代末期作の仁王さま。




仁王門をくぐると芝生の参道があり、その先に境内があります。横は畑ですね。


神宮寺本堂。室町時代末の建築で重要文化財。入母屋造桧皮葺の屋根です。


堂内は外陣と内陣が格子戸で完全に仕切られています。ご本尊は薬師如来で伝奈良時代~鎌倉時代の
仏像・神像が多く安置されています。外陣で般若心経や普門品などを読経していたら内陣でお供え物を並べていた
ご住職?副住職?が「なにかご祈願されてるの?」「いいえ、特には・・・」「いや~お経を読んではるし、
もうお坊さんになったらええのに?」「い、いやそんな( ̄▽ ̄;)」などというやりとりした後に
「内陣に入ってお参りください」とラッキーにも内陣に入れてもらえて仕切りなく間近で尊像を拝観しました。

苔が美しく秋には紅葉も見どころのひとつとなるそうです。藁葺きのお茶屋も風情あり。




境内の隅にある「閼伽井戸」(あかいど) 東大寺二月堂へのお水送りの水源の井戸。




毎年3月2日にこの井戸の霊水を神宮寺から約2km離れたところにある遠敷川の鵜の瀬という場所に流し込み、
(これがお水送り)10日間かかって東大寺二月堂の若狭井に湧き出て、その霊水を汲み上げて二月堂ご本尊の
十一面観音にお香水として献ずる(これがお水取り)というものです。

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