ちょっと数日更新をサボっていましたけど、今日は山科3門跡の最後の
随心院門跡です。このお寺は一般的にはそんなに名の通った有名なお寺では
ないと思うのですが、僕も今回初めて参拝して思ったのは
お寺の風情・建築物・庭園・お寺の人の応対・・・すべて良かったです。
お寺の人には申しわけないですけど、人も少なくて落ち着いてゆっくりと
拝観できたのも良かったです。この季節において超穴場なお寺でしたね。
随心院は平安中期の正暦2年(991)の創建にして、真言宗善通寺派の
大本山です。善通寺は香川県のお寺ですね。こちらも門跡寺院ですが
五摂家のうち九条家・二条家から門跡を迎える「摂家門跡」になります。
したがって建築物も両家ゆかりのものが現在まで残っております。
薬医門。薬医門の奥に玄関。九条家からの寄進。
拝観者の入り口である庫裡(くり)は二条家の政所を移築したもの。
政所とは摂関家の家政を司ったところです。家臣である諸大夫や侍が詰めていました。
能の間(手前)と表書院。いずれも九条家からの寄進。
表書院・能の間から見た庭園と本堂。寒い山科でしたが書院には陽があたって
暖かくて1時間半ぐらいのんびり庭園を眺めながら日向ぼっこしてました。
本堂前から庭園を見ると床に紅葉と青葉がうつって美しかったです。
洛北岩倉実相院の床もみじみたいな感じですね。
ところでこの随心院のある場所はかつては世界三大美女のひとりであり六歌仙のひとり
として「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」という
百人一首にある歌でも有名な歌人である小野小町が住んでいたところと伝えられて
います。それゆえに小野小町の伝説にちなんだ遺跡も残っています。
小野小町が化粧に使った「化粧の井戸」
小野小町に寄せられた数多くの恋文を納めたとされる「文塚」
←こちらにもどーぞ!
随心院門跡です。このお寺は一般的にはそんなに名の通った有名なお寺では
ないと思うのですが、僕も今回初めて参拝して思ったのは
お寺の風情・建築物・庭園・お寺の人の応対・・・すべて良かったです。
お寺の人には申しわけないですけど、人も少なくて落ち着いてゆっくりと
拝観できたのも良かったです。この季節において超穴場なお寺でしたね。
随心院は平安中期の正暦2年(991)の創建にして、真言宗善通寺派の
大本山です。善通寺は香川県のお寺ですね。こちらも門跡寺院ですが
五摂家のうち九条家・二条家から門跡を迎える「摂家門跡」になります。
したがって建築物も両家ゆかりのものが現在まで残っております。
薬医門。薬医門の奥に玄関。九条家からの寄進。
拝観者の入り口である庫裡(くり)は二条家の政所を移築したもの。
政所とは摂関家の家政を司ったところです。家臣である諸大夫や侍が詰めていました。
能の間(手前)と表書院。いずれも九条家からの寄進。
表書院・能の間から見た庭園と本堂。寒い山科でしたが書院には陽があたって
暖かくて1時間半ぐらいのんびり庭園を眺めながら日向ぼっこしてました。
本堂前から庭園を見ると床に紅葉と青葉がうつって美しかったです。
洛北岩倉実相院の床もみじみたいな感じですね。
ところでこの随心院のある場所はかつては世界三大美女のひとりであり六歌仙のひとり
として「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」という
百人一首にある歌でも有名な歌人である小野小町が住んでいたところと伝えられて
います。それゆえに小野小町の伝説にちなんだ遺跡も残っています。
小野小町が化粧に使った「化粧の井戸」
小野小町に寄せられた数多くの恋文を納めたとされる「文塚」
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