黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

京都山科 随心院門跡 小野小町

2008-11-29 10:28:54 | 京都の寺社・御所・離宮
ちょっと数日更新をサボっていましたけど、今日は山科3門跡の最後の
随心院門跡です。このお寺は一般的にはそんなに名の通った有名なお寺では
ないと思うのですが、僕も今回初めて参拝して思ったのは
お寺の風情・建築物・庭園・お寺の人の応対・・・すべて良かったです。
お寺の人には申しわけないですけど、人も少なくて落ち着いてゆっくりと
拝観できたのも良かったです。この季節において超穴場なお寺でしたね。

随心院は平安中期の正暦2年(991)の創建にして、真言宗善通寺派の
大本山です。善通寺は香川県のお寺ですね。こちらも門跡寺院ですが
五摂家のうち九条家・二条家から門跡を迎える「摂家門跡」になります。
したがって建築物も両家ゆかりのものが現在まで残っております。

薬医門。薬医門の奥に玄関。九条家からの寄進。


拝観者の入り口である庫裡(くり)は二条家の政所を移築したもの。
政所とは摂関家の家政を司ったところです。家臣である諸大夫や侍が詰めていました。


能の間(手前)と表書院。いずれも九条家からの寄進。


表書院・能の間から見た庭園と本堂。寒い山科でしたが書院には陽があたって
暖かくて1時間半ぐらいのんびり庭園を眺めながら日向ぼっこしてました。




本堂前から庭園を見ると床に紅葉と青葉がうつって美しかったです。
洛北岩倉実相院の床もみじみたいな感じですね。


ところでこの随心院のある場所はかつては世界三大美女のひとりであり六歌仙のひとり
として「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」という
百人一首にある歌でも有名な歌人である小野小町が住んでいたところと伝えられて
います。それゆえに小野小町の伝説にちなんだ遺跡も残っています。
小野小町が化粧に使った「化粧の井戸」


小野小町に寄せられた数多くの恋文を納めたとされる「文塚」


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京都山科 勧修寺門跡

2008-11-25 07:59:03 | 京都の寺社・御所・離宮
さて今日は山科の勧修寺(かじゅうじ)門跡について書きます。
勧修寺は地下鉄山科駅から2駅離れた小野駅の近くにあります。
こちらは平安前期の醍醐天皇の創建による1100年余りの歴史を
誇る真言宗の門跡寺院です。

勧修寺も江戸時代に禁裏から下賜された殿舎が残る寺院なので期待して
行ったのですが、残念ながら庭園拝観と建物は外から観れるだけ・・・
ということでちょっと残念でした。
明正女帝の旧殿である宸殿。非公開。


後西院天皇の旧殿である書院の玄関。非公開。


十一面観音をご本尊とする本堂。霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもの。


昭和6年に建てられた観音堂。手前は蓮の池ですがこの時期は枯れいて無残・・・。
梅雨時に行くととても美しいと思われます。


庭園奥に結界があってこんな札が・・・。一体なにが「大いに危険」なんだろ?
この先に行きましたけど、結局なにが危険なのかはわからなかった・・・。不気味。


この勧修寺は新聞にも紅葉情報が載るお寺なんですけど、実際は大して
紅葉が多いようには見えなかったです。無いことはないけど少ない。
人も毘沙門堂に比べて格段に少なかったです。
明日はこの勧修寺から歩いて10分ほどのところにある随心院門跡について書きます。


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京都山科 毘沙門堂門跡

2008-11-24 18:32:54 | 京都の寺社・御所・離宮
さて順番が逆になりましたが、今日は22日に参拝した山科の毘沙門堂に
ついて書きます。

去年の紅葉シーズンは清水寺・嵯峨野など人出の多いところに
行きましたが、今年は観光地を全く避けて山科に行きました。
山科は京都市内ですが東山によって山一つ隔てた地です。

地下鉄山科駅から徒歩約15分ほどで毘沙門堂に到着。
朝8時前なので人もまばらでした。
毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のうちの一寺で創建は大宝3年(703)、
現在の山科の地には江戸時代の寛文5年(1665)に移りました。
毘沙門天をご本尊とする本堂や仁王門もこの時の建立になります。




後西院天皇の御座所を移築した宸殿と玄関。けっこうオープンなお寺で宸殿内部の
部屋にも入ることが出来て狩野派の手による襖絵などを間近で鑑賞できます。


弁天堂のまわりの紅葉はさすが名所と称されるだけに充分な美しさでした。
写真の下手さはご勘弁をw






観音堂のある「晩翠園」という名の庭園も紅葉いっぱいでした。


旅行雑誌などでよく見かける毘沙門堂を紹介する写真は↓この勅使門への階段の紅葉のトンネル。
まだ紅葉7分ほどでしたが、来週ぐらいには落ち葉が紅葉の絨毯と化してさらに美しくなるでしょうね。


この毘沙門堂には観光客というより写真が趣味という人が多いように見かけました。
みんな立派なカメラをお持ちでしたから。僕が寺を出ようとする午前9時半頃には
続々と寺へ向かう人が多くなりました。
さて明日は山科駅から2駅むこうの小野にある勧修寺門跡について書きます。

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西国巡礼 今熊野観音寺 六波羅蜜寺 六角堂頂法寺

2008-11-23 23:53:54 | 西国三十三所巡礼
昨日は山科の門跡寺院、今日も早朝から洛中の西国寺院にお参りしました。
昨日と今日の順番が逆になりますが、まずは今日の西国巡礼から。

今日は第十五番観音寺・第十七番六波羅蜜寺・第十八番六角堂の3ヶ寺、
いずれもご本尊開帳にあわせてお参りです。

まずは観音寺。午前7時過ぎにJR東福寺で下車。東福寺といえば
昨日は紅葉見物客が開門前に1000人も行列するほどの混雑ぶり
だったそうですが、今日もそのくらいだったんでしょうか?
とにかく京都市内は地下鉄もバスも街も人であふれかえっていましたが。

観音寺は皇室御寺の泉涌寺の山内にあります。
ここも境内の紅葉が見ごろでした。


堂内に入るとご本尊の十一面観音(室町後期作)がはっきりと拝観できます。
さらに間近で拝観したければ志納料(200円)を納めてご本尊御前へ。
せっかくなので間近で拝観しました。
この時に受付で言い争いをする声が・・・。そういうのは観音さまの前では
やめて欲しいですね。しかも若い坊さんと受付のおじさんだし・・・。
朝早くから観音さまとの縁を結びに来ている私たち一般参拝者の気持ちにも
なってくださいよ。

次にバスに乗って五条坂まで行き六波羅蜜寺へ。
清水寺への参道である五条坂はもちろん人多いです。駐車場も7時前には
満車だったとか・・・。そういえば去年もそうだった。

六波羅蜜寺は住宅街にあって、探して歩いていると突然現れて
「あっ、ここか!」と言いたくなるようなお寺ですが、
歴史の教科書に載っている像や仏像が多くあります。
本堂に入ると比較的大きな十一面観音がどどーんと存在感大きく
いらっしゃいました。像高258cmだとか。
平安中期の作ですが、12年に1度しか開帳されない秘仏であるためか
金箔が多く残る仏像でした。

室町初期に再建された本堂は昭和の修理以来の朱塗り・極彩色が印象的。


近くにある元禄年間に建てられた路傍の石標


さて次に六角堂。ここのご本尊の如意輪観音は公式開帳として一般の人々の前に
そのお姿を現すのが明治初年より136年ぶりということで、今回のご開帳で最も
期待したお寺です。内陣拝観は1000円。普段は内陣に入ることさえないので
これでも貴重です。いざご本尊の前へ。

ちっちゃい!!!
前もって知りえた情報で約5.5センチだとは知っていましたけど
実際に拝観するとやはり小さい。お前立ちの脇から見る感じなんで
正面からの拝観はできません。双眼鏡は使用OKということですが、
持ってなかったし・・・。
この聖徳太子のご持仏だったと伝わるご本尊は秘仏ゆえに謎も多くて
平安時代以来の古記録にも異なる記述(腕の数・大きさ・像形)があるそうです。

結局、小さすぎて肉眼では確認できなかったんですが写真を見る限りに
おいては六臂(6本の腕)で観音さま自体は1寸8分(約5.5cm)
台座を含めて3寸(約9cm)、これで大きさと腕の数は確定。
あとはいつの時代の作かということになりますが、僕は仏像の知識は
あまりないのですが、それでも顔の表情からして飛鳥・白鳳時代のものとは
明らかに違うことはわかります。今回の開帳で専門家の評価が出るといいんですが
おそらく平安時代以降の作かと思われますね。

内陣参拝は今日はそんなに人も多くなくて人がくればちょっと脇にそれて
人が途切れるとまた間近に行って・・・ということで割合じっくり拝観できました。
外陣からも大変小さくですが、拝観はできました。

隣接のWEST21ビルから見た六角堂


今回の内陣参拝で頂いた観音寺と六角堂の散華


京都は人いっぱい。鴨川沿いも紅葉してます。


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