黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

京都国博特別展覧会~京都御所ゆかりの至宝~

2009-01-31 22:30:45 | 歴史
今日は京都国立博物館で開催中の特別展「京都御所ゆかりの至宝」の観覧に
行ってきました。

いつもはJR二条駅から地下鉄で入洛しますが、京都国博は東山七条にあるので
JR京都駅まで乗って行きます。電車を降りてJR京都駅ビル2Fにある「観光案内所」へ。


この案内所はおすすめです。ガイドブックがなくてもここに行けば無料のマップが
たくさんあるし、リアルタイムでの催しものの案内や情報を丁寧に教えてくれます。
各所の前売券や割引券などもあって、僕も国博へと行く前にここで割引前売券を
買いました。そして東山七条の三十三間堂の前にある国博へ。

京都国博の明治28年竣工の特別展示館はその建物自体が重要文化財です。




特別展のテーマは「甦る宮廷文化の美」ということで主に近世の天皇にまつわる
絵画・書・刀剣・仏具・装束・工芸品などが約100点以上展示されていました。

個人的に特に興味を持ったのは天皇の宸翰(しんかん=天皇勅筆の書)と装束です。
宸翰は和歌懐紙などが展示されていましたが、後陽成天皇が豊臣秀吉の朝鮮渡海を
強く引きとめた消息(=手紙)や後水尾上皇が修学院離宮への行幸を幕府へ迫った
長文の消息、霊元法皇による下御霊社への願文など歴史的に有名な書の前では
けっこう長い時間立ち止まって見入りました。

装束は東福門院(=後水尾天皇に輿入れした中宮和子、徳川秀忠の娘)の十二単を
はじめ後水尾天皇や霊元天皇などの装束など江戸時代のものが展示されていまして
さすがに傷みも見受けられましたが、紋様や色彩はもちろん残っていて大変興味深く見ました。

土曜日なので入館者も時間が経つにつれて多くなりましたが、開館直後から入館していたので
一通りはゆっくりと見れて良かったです。展示品替えが2月にあるのでその後にあと1回
は行ってみたいですね。

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公家鑑・武鑑

2009-01-24 19:44:41 | 歴史
古書店で古典籍(明治以前に発行された書籍)を買うことがありますが、
今まで収集したものの中で「公家鑑」「武鑑」というものがあります。
現在でも「TVスター名鑑」ってありますが、それと同じくそれぞれ
公家衆の名鑑、大名衆の名鑑です。



まずは公家鑑である「雲上明覧」上下二巻。僕の所有しているのは安政6年(1859)
に発行されたものです。上巻は禁裏御所(天皇)・宮家・門跡、下巻は堂上公家です。
では中を見てみましょう。
当時の天皇は孝明天皇です。明治天皇の父帝です。幕府に攘夷実行を強く求めました。


後に将軍家茂に降嫁することになる和宮と明治天皇となる祐宮。共にまだ幼名です。


五摂家のうち鷹司家の頁。安政六年当時は大老井伊直弼による安政の大獄の真っ最中
ですが、婚縁で水戸家と繋がりのある鷹司家もあおりを受けて政通と輔熙が辞官落飾
となります。そのことも明記されています。


一方、大名の名鑑である「武鑑」 携帯用なのか小サイズのものもあります。
日光参詣の折の行列次第だと見受けますが、武具が図入りで明記されています。
行列を見てどこの家中かすぐにわかるようになっています。天保13年(1842)発行


全大名家を収攬した武鑑にはさらに詳しく各家の系図・石高・居城・江戸屋敷・
江戸屋敷の上級家臣・武具図などがこと細かに書かれていて、この一冊で大名家の
あらゆる情報がわかるようになっています。




さてこのような公家鑑や武鑑は誰がどのような用途で持っていたんでしょうね。
公家鑑は元々は真宗本願寺が信者向けに配布していたとも言われていますが。
京都・大坂・江戸・名古屋などで売られていたみたいです。


公家や大名の家臣たちを始め、御用商人や宿場の人々は実用的に重宝しただろうし、
さらには大名行列を見物する一般庶民なども武鑑を見ながら「あれは尾張様の行列だ」とか
言っていたかもしれませんね。

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東大寺法華堂(三月堂)拝観記

2009-01-18 18:45:48 | 奈良の寺社
古都奈良にも現存する奈良時代の建築物というのは薬師寺東塔や唐招提寺講堂など
6ヶ所しかありませんが、そのうちのひとつが東大寺法華堂です。


法華堂は入り口のある前方が礼堂、後方が正堂と内部で分かれていて
後方の正堂建築が天平年間(奈良時代)創建で前方礼堂は鎌倉初期の建築になります。
側面から見れば礼堂(右側)と正堂(左側)がわかります。


不空羂索(ふくうけんさく)観音を本尊とする仏像群は正堂に安置されています。
堂内へは脱靴して入堂。堂内はカーペットが敷いてあって壁際には座るスペースが
あり仏像拝観にはたいへん有り難いお堂です。

入口でいきなり高さ3m超の持国天のガンとばしに遭いますw
ばっちり睨まれてます。「いやいや、怪しいものではありませんので・・・」と
少し目をそらしながら入堂すると、圧倒されます・・・仏像群の迫力に。
数も多いけど(秘仏あわせて16尊)ドでかくて近いんですよね。

本尊の不空羂索観音は決してスリムとはいえない豊満な体で大変厳しい表情をされています。
三つ目です。すごい存在感ですね。本尊をとりまく諸尊もたとえ1体だけでも
迫力あります。油断していたら睨まれています。金剛力士の阿形を見てたら
吽形にギロッて睨まれました。

そんな仏尊の中、見て右側に不動明王三尊像(室町期)がちょこんと安置されていて
本来なら不動明王が最も恐ろしい存在なのに小さいので可愛く見えます。
こんがら・せいたかの二童子がさらに可愛い。左側には地蔵さんもおられます。

不動明王と地蔵以外の仏尊はすべて天平時代の作で乾漆像か塑像ですが、外見からは
素人目には区別がつきませんでした。本尊には金箔が残り、他の諸尊にも彩色や金箔が
所々残っているのが目視できます。1300年の歳月を経て、奈良時代の人々が
信仰した仏尊を同じ場所で拝観できるというのは大変ありがたいことです。
時を忘れてずっと拝観していたい法華堂の仏さまたちです。

法華堂のパンフレット


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寺院カテゴリーを細分化しました

2009-01-18 10:59:37 | Weblog
寺院カテゴリーを細分化しました。

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都七福神巡りその5~京都ゑびす神社~

2009-01-17 19:01:22 | 京都の寺社・御所・離宮
六波羅蜜寺を出て再び大和大路の雑踏の中へ突入!ゑびす神社へ。
実はこのゑびす神社、僕が京都に住んでいた頃に宮司さんに雅楽を
習いに行っていたことがあります。でも10年ぶりです。

さて、鳥居からはみだしている参拝者の列に並びます。
そもそもこの行列はなんなのか? 背伸びしてみてみると拝殿正面で
お参りしたい人の列でした。拝殿に向かって左側がどうやらご朱印所みたい
なので左寄りに並んで10分ほどでやっとこさご朱印所前に出たかと思うと
左側は笹の授与所でした_| ̄|○ ご朱印所は反対の右側・・・。
それでほぼ強制的に拝殿うしろから帰り道へと流されて境内から一旦出ざるを
得なくなり、結局再び鳥居前から並びなおすことになったのであります・・・。

そして2回目になんとかご朱印所に到着!10日えびすでごったがえす拝殿前。


神楽舞と舞妓?芸妓?さんが華を添えてます。


さて、これで午前9時から始めた都七福神巡りは7時間かけて午後4時にすべて
結願することができました。最後になりましたが七福神の功徳を書きます。
ー都七福神ー
ゑびす神社  ゑびす神 商売繁盛・旅行安全・豊漁の守護神
松ヶ崎大黒天 大黒天  財福の神・商売繁盛
教王護国寺  毘沙門天 十種の福
六波羅蜜寺  弁財天  音楽の神・金運・財運の神
赤山禅院   福禄寿神 幸福・高禄・長寿の神
革堂     寿老人  福財・子宝・諸病平癒・長寿
萬福寺    布袋尊  弥勒菩薩の化身

萬福寺の大護符(色紙)に七福神すべてのご朱印が集まりました。


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