黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

いまどきのはやり?

2007-08-21 10:41:08 | Weblog
あ~あ、今日で10連休も終わりっす(´;ω;`)
休みすぎで体も頭も完全に休眠状態。復帰はムリぽ・・・。
気分転換に朝ちょっと車で街の中を走っておりました。
気付いたことが・・・。うちの地元の内科医院と歯科医院の多いこと!

知らぬ間にあちこちに新しい医院ができていて、こりゃ病気しても
困らんわい。
さらに気付いたことが・・・。その新しい医院のほとんど100%が
末尾に「クリニック」ってつけてる。
例えば「山田内科医院」じゃなくて「山田内科クリニック」
例えば「吉田歯科医院」じゃなくて「吉田歯科クリニック」
さらに「吉田歯科クリニック」じゃなくて「よしだ歯科クリニック」

これって業界のはやりなのかな?
クニリックっていう響きは一昔前なら美容整形外科とかヘタすりゃ
いかがわしいビデオのタイトルを連想させるんだけど。
まあ、それはいいか・・・。


ヘキサゴン

2007-08-20 16:43:10 | 歴史

ヘキサゴンをこの前何気に見てたら「徳川将軍の名前を答えなさい」っていう問題があって
「源綱吉」って誰かが書いてたら不正解だった。
「源綱吉」は正解ですよー!ってか江戸時代的には源綱吉のほうがより正解ですっ!
明治時代以前では源綱吉ということはあっても徳川綱吉なんていわないですから。

う~ん、これは歴史教育の浅さと時代劇のせいか・・・。


叡福寺(聖徳太子ご廟所)と道明寺

2007-08-19 19:02:56 | 聖徳太子巡礼
さて西國第五番の葛井寺にお参りした後に近くにある叡福寺と道明寺にも
お参りしました。2つのお寺とも聖徳太子ゆかりのお寺であることは先日も
書き込みましたが、特に叡福寺はその境内に太子のご廟所(磯長陵)があるので
太子信仰の三大聖地のひとつとして重要なお寺です。
ここに来るのは4年ぶり2回目ですね。

叡福寺はその名も「太子町」にあります。町内には「上宮太子高校」に「太子温泉」
に地名も「太子四ツ辻」やら「上之太子」やらと全体が太子一色といっても
過言ではないです。

叡福寺の南大門からみた聖徳廟(額は岸元総理大臣の書)



うしろのこんもりとした森が太子の陵墓です。



向かいにある西方院参道石段から撮影した叡福寺。左から多宝塔(重文・江戸初期)
金堂(ご本尊は如意輪観音、江戸中期)南大門(昭和の再建)



次にお参りしたのが道明寺です。ここはかつて菅原道真公の叔母が住持していた尼寺で
道真公が彫ったといわれる十一面観世音菩薩像(国宝・平安中期)がご本尊です。
その菅公御作の真偽はともかく、昨日は観音縁日ということで普段は秘仏のご本尊が
ご開帳されていましたのでこれもじっくりとゆっくりと拝観しました。前回参拝した時は
団体参拝にかちあってしまって拝観どころじゃなかったですから。
1メートルほどの小さな像ですがふっくらとした面持ちのたいへん美しいお姿の
観音さまです。みとれてしまいましたね・・・。

写真は道明寺の鐘楼門。楼上に梵鐘があります。



ご本尊安置の本堂。そう大きくはないですがご本尊の他にも太子像をはじめ多くの
仏像を安置しています。かつては七堂伽藍の大寺でした。



道真公没後の天神信仰で境内に天満宮を勧請した神仏習合のお寺でしたが明治維新の
神仏離合でお寺のほうが移築されました。下の写真は「道明寺天満宮」
道明寺より社域もひろく立派な本殿でした。菅公ゆかりの地ということで数ある天満宮の
中でも重要なお社だと思います。



さて藤井寺市は古墳が多いことでも知られていますがこの道明寺の近くにも古墳が
点在しています。でも古墳って上空から見ないと形がわからないですね。
下の写真は「允恭天皇陵」ですが空堀にもっこりした森だとしか・・・。
遥拝所は反対側だったので暑くて行きませんでした。


西國第五番札所 紫雲山 葛井寺

2007-08-18 22:58:36 | 西国三十三所巡礼
今日は酷暑の中、河内国(大阪府)藤井寺の西國札所「葛井寺」(ふじいでら)と
聖徳太子御廟所の「叡福寺」、「道明寺」にお参りしてきました。
叡福寺と道明寺は明日のブログで書くことにして今日は「葛井寺」について
書きましょう。

こんな暑い日になんで行ったかというと今日は18日、観音様の縁日で普段は秘仏の
「十一面千手千眼観世音菩薩」がご開帳になるからです。
葛井寺は近鉄藤井寺駅から徒歩5分ぐらい。商店街の中?にあります。



商店街から行くといきなり重文の四脚門が現れますが、今日は縁日だからなのか
露店がすでに出ていたので写真はナシ!下の写真は南大門にあたる仁王門です。
どっしりとした風格のある門でした(江戸後期建立)



夜中の3時半に家を出て開扉前の8時前には到着しましたが、すでに地元の人たちが
数人お参りしていました。境内は無料なので自由に人が行き来してます。
馴染みやすいお寺ですね。写真は本堂(江戸中期建立)



ご本尊は千手観音ですが、この観音像は本当に手が千本あることで有名です。
千手観音像の多くは一手を二五手と考えて合掌と合わせて42手としますが
葛井寺の千手観音はリアル千手です。像高は1.5m程でさほど大きくないですが
小さな手が光背のように出ています。写真はもちろん撮影NGなのでコチラで。

朝早く行ったのでゆっくりとほぼ独り占め状態で拝観できました。
これで西國観音霊場の大阪はすべて制覇! いよいよ大詰めです。
明日は叡福寺と道明寺をUPします。

京都 五山送り火

2007-08-17 10:26:31 | Weblog
昨日、初めて京都の五山送り火をみてきました。
京都に住んでいる時もお盆の時期は帰省していて京都には
いなかったので初めてですね。

お盆で迎えた先祖の御霊を再び冥土へ送るともし火である「送り火」の
起源は諸説がありますが室町末期~江戸初期に始まり定着していったものと
いわれています。
お盆の宗教行事であって「山焼き」ではないので「大文字焼き」などと
いうのは誤りです。

僕がいたのは北大路通の賀茂川沿い。午後8時に東山の如意ヶ嶽に「大」の字が
一気に灯されました。写真ではちょっと小さいですけど、実際は大きく明るく
見えます。



ショーじゃないので花火大会のような華やかさはありませんが祇園祭に始まった京都の
夏の終わりの風物詩です(とはいってもこの日の京都は38度を越す猛暑・・・)

この「大」の字の他にも「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の文字や形が
京都を囲む北方の山々に順次灯されます。そして灯されてから約30分ほどで
やがて火は静かに消えていくのです。