第十四番 法隆寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗総本山
「尺寸王身釈像」
太子が都である飛鳥から移り住んだ斑鳩宮が法隆寺です。
斑鳩宮から飛鳥まで太子は愛馬の甲斐黒駒に乗って20kmほどの太子道を
通いました。太子の入滅後、太子の皇子である山背大兄王はここ斑鳩宮において
蘇我入鹿の襲撃をうけ自決、太子の一族(上宮王家)は滅亡して血脈は絶えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c2/c5d79dcba9141193436b7d079bdb2b1c.jpg)
第十五番 中宮寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「太子往生天寿国」
斑鳩宮のあった法隆寺夢殿(東院伽藍)の横にある尼門跡寺院が中宮寺です。
ご本尊は有名な弥勒菩薩(如意輪観音菩薩)
太子入滅後に橘妃が織らせた「天寿国曼荼羅繍帳」は国宝で複製は本堂で拝見できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a5/df09f934556dc7ec889e24c02da305d2.jpg)
第十六番 法輪寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「山背王誕生水」
ここの地名は斑鳩町三井といいますが太子が掘らせた井戸があることから
「三井」といわれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/94/1d26c8121231c0eb00618ce726f4b821.jpg)
第十七番 法起寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「法華経講讃岡本宮」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/99/ad55f8394b3fe6f72a610999ea015f25.jpg)
第十八番 成福寺(跡)奈良県斑鳩町
「田村皇子問太子之病」
太子の別荘である葦垣宮のあった跡に創建された成福寺ですが、現在は廃寺となって
跡地はフェンスで囲まれて宝篋印塔と祠のみが残る写真のような具合になっています。
ご朱印は法隆寺で頂きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cf/9ae1cc54253cde4690a4eed55e7ddbc5.jpg)
以上、斑鳩五ヶ寺でした。
「尺寸王身釈像」
太子が都である飛鳥から移り住んだ斑鳩宮が法隆寺です。
斑鳩宮から飛鳥まで太子は愛馬の甲斐黒駒に乗って20kmほどの太子道を
通いました。太子の入滅後、太子の皇子である山背大兄王はここ斑鳩宮において
蘇我入鹿の襲撃をうけ自決、太子の一族(上宮王家)は滅亡して血脈は絶えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c2/c5d79dcba9141193436b7d079bdb2b1c.jpg)
第十五番 中宮寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「太子往生天寿国」
斑鳩宮のあった法隆寺夢殿(東院伽藍)の横にある尼門跡寺院が中宮寺です。
ご本尊は有名な弥勒菩薩(如意輪観音菩薩)
太子入滅後に橘妃が織らせた「天寿国曼荼羅繍帳」は国宝で複製は本堂で拝見できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a5/df09f934556dc7ec889e24c02da305d2.jpg)
第十六番 法輪寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「山背王誕生水」
ここの地名は斑鳩町三井といいますが太子が掘らせた井戸があることから
「三井」といわれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/94/1d26c8121231c0eb00618ce726f4b821.jpg)
第十七番 法起寺 奈良県斑鳩町 聖徳宗
「法華経講讃岡本宮」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/99/ad55f8394b3fe6f72a610999ea015f25.jpg)
第十八番 成福寺(跡)奈良県斑鳩町
「田村皇子問太子之病」
太子の別荘である葦垣宮のあった跡に創建された成福寺ですが、現在は廃寺となって
跡地はフェンスで囲まれて宝篋印塔と祠のみが残る写真のような具合になっています。
ご朱印は法隆寺で頂きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cf/9ae1cc54253cde4690a4eed55e7ddbc5.jpg)
以上、斑鳩五ヶ寺でした。