黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

【南都】 初詣 奈良編 主に唐招提寺

2014-01-13 13:04:11 | 奈良の寺社
今冬、一番の寒波到来と言われたこの週末に南都初詣に出かけました。夜明け前から出かけましたので
それはもう寒い寒い。外は氷点下、電車の中でもマフラーなしではいられない寒さ。ガクブル・・・。

そんな寒さの中、午前8時すぎに近鉄西ノ京駅到着。西ノ京駅前にはすぐに薬師寺がありますが、
現在は白鳳の東塔が修復中で完全に覆われて見えません。今回は薬師寺には入らずに唐招提寺へ。
そもそもくろこまが寺院めぐりを始めたのは今からもう10年以上前の平成15年、その1番最初が
西ノ京で薬師寺と唐招提寺でした。当時は薬師寺の大講堂が落慶間近、そして唐招提寺は
金堂が修理中で仏像もともに遷座されておりました。薬師寺にはその後何度が訪れましたが、
唐招提寺はその10年前以来となります。開門は午前8時半、それまでは南大門越しに金堂を拝します。

   



金堂内の仏像群はさすがでした。圧倒されました。真数千手の千手観音(実存は953手)、光背に千の仏をもつ盧舎那仏(実存は864体)、
そして薬師如来立像。薬師如来立像のみは奈良国立博物館で拝観したことがありますが、千手と盧舎那仏は初めてです。
このほかにも四天王像や梵天・帝釈天像もすべて奈良時代造立。もちろんすべて国宝指定されております。

金堂の後方には講堂。こちらの建物は平城宮の東朝集殿を移築改造したものです。朝集殿とは平たく言えば待合室のこと。
奈良朝時代に朝廷に出仕する官吏たちが出勤時に御門が開くまでの間の待機所で、朝集殿時代は壁のない吹きさらしの
建物だったそうです。講堂内に立ってはるか1300年前の空気を感じるのもいいかもですね。




この他にも境内には奈良時代に建てられた経蔵と宝蔵、鎌倉時代に建てられた礼堂と東室、鼓楼(舎利殿とも)がある。

左が宝蔵で右が経蔵。経蔵がやや小さいがともに奈良時代の校倉である。



礼堂、棟続きで通路を挟んで東室。礼堂には蔀戸がはめこまれている。


鼓楼と礼堂と宝蔵


金堂前の水盤は本庄因幡守資宗(桂昌院の弟)の寄進             かつての戒壇院。今は石段のみが残る。          
   

御影堂の建物は南都にあった一乗院門跡の宸殿で重文だが拝観はできない。玄関のみ外から見ることができる。


御影堂との並びにある本坊や鑑真和上御廟道の鄙びた感じの土壁がこれまたいい雰囲気。
  



このあと、南都に入って今年最初の西国参りで第9番の南円堂にお参りし、さらに春日大社にも詣でて最後は橿原へ。
そして橿原神宮参拝。家の神棚に奉祀する御神札をいただいて、今回の奈良初詣はおわりました。




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飛鳥坐神社 ちんちん鈴

2013-06-04 09:47:40 | 奈良の寺社
今年の節分2月3日にも明日香村には行っていて、その時にお参りしようと思っていたのが飛鳥坐神社。
でもこの日は2月の第1日曜でこの神社の祭礼にしてキングオブ奇祭といわれる「おんだ祭り」の日だったので、
当然境内は人々で埋め尽くされるだろうから回避して今回が始めてのお参りとなりました。

実際2月3日の午後に近くの飛鳥寺へ行ってバスで橿原神宮駅に戻ろうとしたら、おんだ祭り帰りの人々で
バス輸送が追いついてない状況だったのだけど、今回は神社の境内にも人がいなくて大変静か。

この飛鳥坐神社、「あすかざじんじゃ」と読みそうになるけど訓読みで「あすかにいますじんじゃ」という。
神社の由緒書によると創建はわからないほど古く、大国主命の子である事代主神がこの地に鎮座したとされ、
神主家は大神臣飛鳥直(おおみわのあそんあすかのあたい)の氏姓を崇神天皇から受け、以来現在は87代目に
あたるらしい。境内の規模はそう大きくない。こじんまりとした丘に本殿は建つ。




 

小さい神社ではあるが、先述のおんだ祭が奇祭として有名なのに加えて、いわゆる性器崇拝で有名な神社である。
そもそもおんだ祭からして天狗とおたふくの公開チョメチョメなのだから。




授与所は鳥居のそばにある。無人だったのでインターホンを押すと宮司の奥さんが出てきてくれた。
この奥さん、4月に放送されたごぶごぶに出てはった人だ。ごぶごぶのステッカーもある!


以下、くろこまと奥さんの会話・・・。
黒駒「ごぶごぶ出てましたねー」
奥さん「深夜ですけど若い人がようけー(多く)見ておられるんですねー」

ごぶごぶによると笑い飯の哲夫とこの神社の娘さんが同級生らしくて、その縁でも浜ちゃん・東野・哲夫が
ロケに来たみたい。そして3人も買っていった「ちんちん鈴」・・・。

黒駒「あのー、鈴ください・・・」 (ちんちんは言えんかった・・・)
奥さん「はい、どれになさいます?」 (3種類ある)
黒駒「じゃあ、右のと真ん中のをひとつずつ」
奥さん「あーごめんなさい。右のは今売り切れててないんです。あの放送からいっぱい人が来られて
    買っていかれてね」


まさかの売り切れ。さすがテレビの影響は大きいな。売り切れていたのは薬がかかっていて色模様が
ついている鈴。そしてくろこまが頂いたのは素焼き風の鈴。


このちんちん鈴、どこで製造してるんだろ?とぐぐってみたら地元明日香村の工房のようだ。工房のブログ
あって、それによるとおんだ祭前後も売り切れで増産体勢に入っていたみたい。さらにごぶごぶ効果で
例年1年分の数が1ヶ月で売れたとか。予約待ちもあるそうで神主さんが何百個でもいいから早く作って!
と依頼中・・・ってすごいなー。今も必死でどんどん焼いておられることだろう。

飛鳥坐神社のまわりはのどかな田園で神社の前には休憩スペースがある。そこでバス待ちのために
しばらく座っていたら、数人、さらにまた数人と神社へ入っていって授与所に向かう。出てきたそれらの
人の手には神社の白い紙封筒。おそらくちんちん鈴。また売れた。早く増産を!

さて、今回お参りの大神神社と飛鳥坐神社のご朱印。


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三輪明神 大神神社へ

2013-06-03 09:02:15 | 奈良の寺社
遠くからでもはっきりと見える大鳥居、いつかはくぐりたいと思っていた大和国一ノ宮にして旧官幣大社の
大神神社(三輪明神)に今回初めて参拝しました。長谷寺からの帰りに近鉄桜井で下車。タイミング良く
駅前のロータリーに停車していたバスに乗り込み10分ほどであの大鳥居前に到着。耐久性は1300年ほどにもなる
対候性鋼板の高さ32.2mの日本一の鳥居。近くに寄ってももちろんとてつもなくでかいですなー。実際は車道を
挟んでの鳥居なので下は車がバンバン通ります。実は一の鳥居ではないそうで、この大鳥居のでかさに
気をとられて真の一の鳥居を見過ごしてしまいました・・・。


この大鳥居から15分ほど歩いて見えてくるのが二の鳥居。この前までは車道なのでこの二の鳥居から先が
静寂な参道となるのです。


二の鳥居からの参道を歩きながら心を整えて本殿へ!・・・となるところ、実はこの大神神社にはご神体の在わす
本殿はなく、本殿と見間違う立派な殿舎は拝殿。三輪山自体をご神体とするためそれをお納めする本殿が
ないのは至極当然ということだ。三輪山は前掲写真の大鳥居の先に見える山である。


拝殿の奥に三ツ鳥居があり、さらに三輪山自体にも参拝登山が出来るそうだが時間の都合で拝殿からの
参拝のみで退がった。二の鳥居まで戻ったところで右に行く。その先に大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)
という摂社があるが、こちらは明治初年までは大神神社の神宮寺だったそうでかつてのご本尊は聖林寺の
あの国宝十一面観音だったとか。残る建物は重文指定された室町時代以来のもので「神社」といいながら
まったくお寺のお堂である。若宮社とも称する。




さてこのあと奈良市内へ戻り、今回は宿泊。新大宮駅前のスーパーホテルにて。部屋が8階の東向きだった
ので部屋の窓から約2キロ先の東大寺大仏殿と興福寺五重塔が同時に遠望できるという絶好のロケーション
の部屋でした。朝目覚めての眺望に感動。



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東大寺法華堂へ

2013-06-02 14:02:05 | 奈良の寺社
東大寺法華堂は平成22年から3年がかりで堂内の修理と仏像の修復が行われていましたが、
このたびその修理を終え先日から公開が再開されたので、金曜日の朝から拝観に行って参りました。

法華堂が開くのは午前7時半。深夜2時起きで始発に乗って奈良には6時半すぎに入り、東大寺には7時前に
到着。昼間は観光客でいっぱいの大仏殿前もご覧のとおりの人ひとりいない状態。なかなか貴重な時間帯ですよ。


 





大仏殿を左に見ながら緩やかな坂を上ると法華堂と二月堂が目の前に。


この時点でまだ法華堂は開いていないので、先に二月堂に参って勤行をする。朝の清々しい空気の中で
読経をするのはこれまた気分が乗ってくるというか気持ちがいい。先日に梅雨入りして天気予報もはじめは
あまりよろしくなかったけど、晴れモードご覧のとおりの快晴に!


さてそうこうするうちに法華堂が開いたので1番乗りで受付へ。新しく敷かれた檜のすのこの香りが
靴を脱ぐ間にも鼻をくすぐり、さらに期待を高めていざ堂内へ!


あ、やっぱし すっかすか・・・。


これが予想していたとおりの第一印象ですわな、以前の法華堂内を拝観した者としては。そう、修理前に
ご本尊の不空羂索観音を中心に所狭しと林立していた仏像は十六仏尊。そのうち地震で転倒破壊の危険性が
ある塑像の日光月光両菩薩・吉祥天・弁財天・不動明王二童子・地蔵菩薩の六尊が東大寺ミュージアムへと
移されて、残ったのが本尊・四天王・金剛力士・梵天・帝釈天と背面厨子内の執金剛神の十尊である。
さすがにその数の差は目にしてすぐわかりますな。

まずは勤行ののちにじっくりと拝観。今回の修復で埃が払われ退色施術もされたそうだが、天平の色と
模様を間近で目で見て歴史の長さも感じられるというのは大変贅沢で幸せなことだ。しばしその空間、空気感を
これまた新しくなった畳に腰掛けて堪能する。そうしているうちに第一印象のすっかすか感もどうでも良く
なってきて、これはこれでしっくりと感じてきたのである。

入堂して1時間も経った頃、ようやく外がガヤガヤと騒がしくなってきたので法華堂を後にした。

外では鹿先輩たちがのんびりと・・・。


最後に大仏殿の横からバージョン。でかい・・・。東大寺はやはりスケールがでかい。



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神武天皇 畝傍御陵参拝

2013-02-09 19:29:08 | 奈良の寺社
皇紀2673年の紀元節を前に畝傍御陵に参拝してきました。
その前に明日香村の天皇御陵もいくつか巡りましたのでそれを先に!

飛鳥駅に程近いところにある欽明天皇の檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)
 





すぐそばには皇極・孝徳天皇の母である吉備姫王の墳墓もあり、墓域には猿石が4体。


左から「女」「山王権現」                       「法師」「男」
 
・・・と銘打たれてはいるけれど、見た目ほとんどわからん(笑) 法師、男は揉み手をしている商人
みたいでなかなかユーモラスな石像さんですな。

明日香村の中心に向かって歩くと見えてくるのが天武天皇と持統天皇の檜隈大内陵




そうそう、先日の新聞で中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所ともされる飛鳥時代の石敷きが飛鳥寺前で
発掘されたって報じていたのでこれも行ってきましたよ。手前は蘇我入鹿の首塚。


畑の下にこんなのがあったのですね。明日香村まだまだ恐るべし!


明日香村から橿原神宮前駅にいく道の途中に石川池に浮かぶようにしてある孝元天皇の剣池嶋上陵
(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)


そして神武天皇の畝傍御陵へ。
畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)






夕暮れ時で誰一人いない中、玉砂利を踏みしめ参道を進み御陵前にて日本国への感謝を胸に参拝しました。


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