橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

「白い巨塔」と無差別殺人と

2019-06-03 03:14:55 | がん徒然草
録画&Tverで白い巨塔をみた。駄作との声もあり、岡田准一が適役なのかという感じもあり、確かに突っ込みどころもある気もしたが、自分ががん患者という立場で見ると、演出を超えて、勝手に自分の人生に重ねていろいろ考えるから、じっと見てしまった。

それにしても、白い巨塔って、こんな裁判中心のお話だったっけ?と思いながら、本当のことを言えない辛さを抱えて生きることについて考えた。

私はまだまだ生きるつもりではいるけれど、それゆえかもしれないが、このところ、人生におけるいろんなわだかまりを解消したいという思いに駆られている。がんという病はそういう辛さを解消した先でなんとかなるのではないかとさえ考えている。

誤解や恐れや勇気のなさで、本当の気持ちをいえなくて、また、自分のプライドや甘えのせいで、おかしなことになってしまった関係性が人生の中にはたくさんある。すべてうまくいくことなどないだろうけど、本当はこう思っているということを自分の中で認めて、できることなら伝えて、残りの人生を生きたいと思う。

本当はわかりあいたいのにわかりあえない人がたくさんいる。
自分の臨終を囲むのはどういう人たちなのだろうか・・。
白い巨塔の財前の臨終のシーンを見ながら、そんなことを考えた。

自分の臨終を囲む人を想像することはなかなかに辛いことだ。
まだ、少し先のことだけに(先かどうかは不明だが)、より想像がつかず、不安の原因にもなる。

先日、無差別殺人を起こし自らの命も絶った容疑者は私と同い年。
人生の先も見えてくる年代だ。
彼は自分の臨終を囲む人について考えたことがあっただろうか。
臨終にそばにいて欲しい人(いてくれないにしても)さえ想像ができない人生というのは辛いに違いない。容疑者に同情するわけではない。彼は絶対的にやってはいけないことをやった。しかし、そうした辛さを胸に秘め、日々生きている人はほかにもたくさんいるはずだ。そうした辛さがどうすれば少しでも和らぐのだろうと思う。

飛躍しすぎと言われるかもしれないが、私が目指す火鉢カフェというのはそういうことも考える場所であったらいいと思う。

白い巨塔からあまりに飛躍しすぎだけれど、最終話の臨終のシーンを見ていたら、こんなことを考えてしまいましたとさ。

がんになって、不安を抱えて、今やっぱり一番に思うことは、素直にならないとダメだなあということだったりするのです。もう、財前のように名声や富を求める気持ちはとうにないから、まだ間に合うかもしれないって思います。

白い巨塔、まだTverで見られるけど、さすがに全5話は長いです。
私の世代には田宮二郎と山本学の白い巨塔が印象に残っているけど、youtubeに残る映像を見てみると、演技は拙いし、思ったほどではない。子供の時の印象を増幅して、記憶は改ざんされている。自分の身の回りのことに関しても、記憶は改ざんされているのだろうなあ・・。

白い巨塔とがんについてはまだ語りたいこともあるが、それはまた別の機会に。

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