ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

ぐるぐる回る婿と頭が三つの嫁

2020年10月09日 | 作品を書いたで
 阪神電車今津駅のほど近くに居酒屋せんべろ屋がある。うんと大衆的な居酒屋だ。千円だせばべろべろに酔っぱらえるということでつけられた屋号とのこと。
 気さくで豪快な人柄で料理上手な大将と、明るくって元気でかわいいアルバイト店員のみっちゃん目当てに、今夜も呑んべいたちが集う。
「社長、どうも」
 一杯目の生中を飲み干して、みっちゃんにおかわりを注文しようとした吉永鉄工所の吉永は後ろから声をかけられた。
 ふりむくと。多くの酔漢の赤い顔の中によく見知った顔がある。
「どうも」
 吾妻産業の平岡だ。吉永の会社に溶接用の材料、器具などを納品している会社の営業だ。「社長もこんなところで飲むんですか」
「こんなところで悪かったな」
「あ、大将、チューハイ。それにドテ煮込み」 平岡のオーダーを聞いたあと、入れ替わりにみっちゃんが来た。
「みっちゃん。生中おかわり。それに串カツ盛り合わせ」
「社長、そっちへ行っていいですか」
 平岡が吉永の前に座った。
「社長つったって小さな鉄工所のオヤジなんや。貧乏人なんやで。ま、乾杯」
 吉永とグラスを合わせた平岡は、急に改まった顔になった。
「社長、いや、吉永さん。お願いがあります」
「なんや。ウチのNCをレーザーに替えろって話やったらあかんで」
「いやいや仕事の話やないんです」
「なんや」
 平岡がチューハイを一気に飲み干した。
「チューハイおかわり」
 みっちゃんがおかわりのチューハイを持ってきた。それにも口をつけて半分ほど飲む。
「なんやねん。いいたいことがあるんやたら早よいえ」
 おかわりの残り半分も飲んだ。チューハイ二杯を短時間で開けた平岡は赤い顔をしながら、吉永の顔をみないで小さな声でいった。
「結婚させてください」
「結婚するんか。そらおめでと。けど、なんでワシに頼むんや」
「社長のお許しがないと結婚できないんです」
「なにわけわからんことゆうとる。ワシはあんたのオヤジやないで」
「いいえ、これからオヤジになっていただくんです」
「わけの判らんことゆうなって。そんなことよりも軟鋼用の溶接棒はよ入れてえや」
「あ、あ、あの件ですが、N製鉄からK製鋼にメーカーを替えていいですか」
「単価を安してくれるんやったらええで」
「単価は同じですが、K製鋼の方が納期は早いんです」
「しゃあないな。そしたらK製鋼でええわ」
 平岡は話をそらされた。おかしい。吉永社長はこういう酒の席で仕事の話はしない人のはずだ。
「あの社長、さっきの件ですが」
「さっきの件ってなんや。溶接棒の件か」
「いえ違うんです」
「なにがちゃうねん」
「ぼくの結婚のことです」
「そうやったな。おめでと。おおい、みっちゃん。生中もういっぱい。で、式はいつや。ワシも出席させてもらうで」
「みっちゃん、チュウーハイもう一杯」
 平岡は三杯目のチュウハイも一気にあけた。
「おい、だいじょうぶか」
「聡美さんと結婚します」
「さとみってウチの聡美か」
「はい。おとうさん」
「ワシはきみにおとうさんと呼ばれる覚えはないで」
 吉永は取り乱した。手に持っていたビアグラスを床に落とした。
「あ、みっちゃんほうきとちりとり持ってきて」
 大将が寄ってきた。
「すまん大将、グラス壊してしもうた」
「グラスぐらいええよ。それよりケガせんかったか」
「あ、大将、わたしがやります」
 みっちゃんが壊れたグラスを掃除した。
「ごめんなみっちゃん。生中もう一杯」
 吉永も生ビール中ジョッキをいっきにあけた。
「聡美はまだ学生やで二十歳やで。お前、いつの間に聡美と」
「夏にプールに泳ぎに行ったら、聡美さんも来てたんです」
「ほんで、お前、聡美の水着姿を見ていかれてしもたわけやな」
「そんなんじゃないんです」
 吉永も平岡も顔が真っ赤で目がすわっている。
「ともかくあかん」
「なんであかんのんです」
 二人とも立ち上がって大きな声でどなりあった。
「なんや。どうした」
 大将がやってきた。隣のテーブルで飲んでいた二人も吉永と平岡を囲んだ。喜六、清八の二人だ。
「ぼく、結婚するんです」
「そらおめでと。お祝いやワシの酒も飲んでええな」
 清八が、持ってる徳利の酒を平岡のチュウハイのグラスに注いだ。その酒も平岡は一気にあけた。
「ぼく、さとみと結婚するんや」
 ぐでんぐでんだ。
「ゆるさん」
 吉永もぐでんぐでんだ。
「みっちゃん」
 大将がめくばせした。
「はい」
 みっちゃんが店の外にでた。
 すぐ戻ってきた。若い女の子を連れてきた。
「さとみちゃん」
「聡美」
 聡美は吉永の横を通り過ぎ平岡の横に立って彼の手を握った。
「おとうさん、わたし、この人と結婚します」
「おまえは、まだまだがきんちょやないか。ワシの目が黒いうちは、そんなことはゆるさん」
「おとうさん、さとみさんを絶対しあわせにします」
「おまえに、おとうさんといわれる覚えはないわい。そんなことやっとるヒマあんねんやったら、とっとと溶接棒納品せえ」
「おやっさん、がんこなことゆわんと認めてやりいな」喜六がいった。
「そや、似合いのみょうとやないか」清八も同調した。
「社長、いや、おとうさん、昨日、聡美さんと病院に行きました」
「なんや、なんの病気や、それともどっかケガしたんか」
「内科や外科やないんです」
「ええかげん往生したらどうや」 
 大将が吉永にいった。
「このみっちゃんと聡美ちゃんは親友なんやで」
「あたし、聡美ちゃんと平岡さんから相談されたんです」
「なんや。おまえ、みっちゃんになに相談したんや」
「あのう、わたし・・・」
 聡美がしゃべろうとすのを平岡が止めた。
「ぼくからいう」
「もうええ。病院ちゅうのんは産婦人科やろ。で、何ヶ月や」
「三ヶ月です」
 立っていた吉永はヘタヘタと座り込んだ。
「かわいそうに思わんか大将」
「なにがかわいそうやねん。めでたいやないか」
「ワシ、ジジになる年やないで」
「社長、いや、おとうさん」
「しゃあないな。こんなグルグル回るヤツでもさとみの婿にしてやるか」
「頭が三つあるけど聡美さんをしあわせにします」
「条件が一つだけある」
「なんです」
「一発だけ殴らせろ」
「はい」
 吉永は拳で平岡のあごを軽くたたいた。
「さっ、親子で乾杯せえ」
 大将が吉永と平岡と聡美に盃を持たせて呉春を継いだ。
「さ、親子酒や」
「なあ、婿どの。ウチのNCもだいぶ古いレーザーに替えよう思うねん」
「それはいいです。レーザーですと酸素もガスも使いませんしノロもでません」
「こら、こんなとこで仕事の話すんな」
 大将が笑いながらどなった。