『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦9月10日 鹿島明神例祭 

2007年10月14日 | 歴史
今回もまた、
大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

『磐城誌料歳時民俗記』には、
江戸時代から明治時代の初めにかけての
いわき地域の人々の暮らしや民俗などが
極めて丹念に記録されています。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月10日の項には
次のような記述があります。

十日 城南一里廿四甼、上矢田村ニ鹿島明神ノ例祭アリ。祭神ハ三代實録、貞觀八年ニ載スル所ノ常陸鹿島大神ノ苗裔神。磐城十一社ノ一ナリ。其餘、鹿島小社各村ニアリト雖モ、今皆辨ジ難シ。景雲二年建立、即延喜式内磐城七座ノ一ナリ。社北ニ千本ノ松原アリ。傳ヘテ、鹿島、香取、坂戸ノ三神降臨アリシ時、馬ニ秣カヒシ處ナリトテ草飼ノ千本松トイフ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

旧暦9月10日
磐城平城の南6.5㌔、上矢田村に鎮座する鹿島明神で
例祭が行われる。
祭神は『三代実録』の貞観8(866)年の項に記載があるように
常陸の鹿島大神の流れを汲むものである。
この鹿島明神は景雲2(768)年の建立で、
「磐城十一社」の一つであり、
また、『延喜式』に記載がある「磐城七社」の一つでもある。
ところで、
いわき地域にはたくさんの集落に鹿島神社が祭られているが、
その来歴についてはわからないところが多い。
鹿島明神の北側には、
たくさんの松が生えている原があるが、
神代の昔、鹿島神、香取神、坂戸神の3柱の神々が
降臨になられた際、
ここで馬に草を食べさせたと伝えられ、
「草飼の千本松」と言われている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旧暦9月9日 内郷 兜神社の... | トップ | 旧暦9月13日 住吉神社の流... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事