大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦10月10日の項には、
次のような記述もあります。
十日 「鍬からき」トテ、五、七人ヅヽ思ヒ々々ニ集リ、酒食ヲ饗ス。是ハ耕作ノ鋤鍬ニテ思ハズ殺セル土中ノ虫ノ供養ナリトゾ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
陰暦10月10日 「鍬(くわ)からき」といって、
五、七人ずつ思い思いに集まり、
酒を飲み、御馳走を食べる。
この「鍬からき」という習俗には、
農作業のなかで鋤(すき)や鍬(くわ)などで
知らず知らずのうちに殺してしまった
土の中の虫たちへの供養の意味が込められている。
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦10月10日の項には、
次のような記述もあります。
十日 「鍬からき」トテ、五、七人ヅヽ思ヒ々々ニ集リ、酒食ヲ饗ス。是ハ耕作ノ鋤鍬ニテ思ハズ殺セル土中ノ虫ノ供養ナリトゾ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
陰暦10月10日 「鍬(くわ)からき」といって、
五、七人ずつ思い思いに集まり、
酒を飲み、御馳走を食べる。
この「鍬からき」という習俗には、
農作業のなかで鋤(すき)や鍬(くわ)などで
知らず知らずのうちに殺してしまった
土の中の虫たちへの供養の意味が込められている。