大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月の項には、
次のような記述があります。
村里宅邉ニハ多ク榧(カヤ)及ビひうびヲ植ヘテ家圍(ヤガコヒ)トス。其實ヲ拾フモ是月ナリ。榧實ハ一處ニ集堆シ、莚(ムシロ)薦(コモ)ヲ覆ヒ、ひうびハ坎ヲ穿チ、莚席ヲ上下ニ覆フ。之ヲ「ねせる」トイフ。外殻ノ腐爛スル後ヲ待、竹籠ニ内(イ)レ、溪水ニ洗ヒ、敗穀ヲ流シ去リ、晴日ニ暴乾シテ貯フ。ひうびハ岩城ノ土ニテ、他方ニ希ナリ。窄シテ油ヲ採ル。燈ヲ點シ、極メテ明カ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
いわきの各村の家々では
屋敷の囲いにカヤやヒウビを植えていることが多い。
旧暦の9月になると、これらの木の実を拾う。
カヤの実は一か所に集め、筵やこもを被せ、
また、ヒウビは実に穴をあけ、筵で包む。
これを「ねせる」という。
しばらくすると、外側の硬い殻が腐る。
その後、それを竹籠に入れ、清流にさらし、
腐った外側の穀を流し除き、
次にそれを天日で乾かし、貯蔵する。
ヒウビはいわき地域の名産で、他ではあまり見られない。
これを絞り、油を取り、明かりに用いるが、とても明るい。
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月の項には、
次のような記述があります。
村里宅邉ニハ多ク榧(カヤ)及ビひうびヲ植ヘテ家圍(ヤガコヒ)トス。其實ヲ拾フモ是月ナリ。榧實ハ一處ニ集堆シ、莚(ムシロ)薦(コモ)ヲ覆ヒ、ひうびハ坎ヲ穿チ、莚席ヲ上下ニ覆フ。之ヲ「ねせる」トイフ。外殻ノ腐爛スル後ヲ待、竹籠ニ内(イ)レ、溪水ニ洗ヒ、敗穀ヲ流シ去リ、晴日ニ暴乾シテ貯フ。ひうびハ岩城ノ土ニテ、他方ニ希ナリ。窄シテ油ヲ採ル。燈ヲ點シ、極メテ明カ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
いわきの各村の家々では
屋敷の囲いにカヤやヒウビを植えていることが多い。
旧暦の9月になると、これらの木の実を拾う。
カヤの実は一か所に集め、筵やこもを被せ、
また、ヒウビは実に穴をあけ、筵で包む。
これを「ねせる」という。
しばらくすると、外側の硬い殻が腐る。
その後、それを竹籠に入れ、清流にさらし、
腐った外側の穀を流し除き、
次にそれを天日で乾かし、貯蔵する。
ヒウビはいわき地域の名産で、他ではあまり見られない。
これを絞り、油を取り、明かりに用いるが、とても明るい。