今回もまた、
大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合い願います。
『磐城誌料歳時民俗記』には、
江戸時代から明治時代の初めにかけての
いわき地域の人々の暮らしや民俗などが
極めて丹念に記録されています。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月9日の項には
次のような記述があります。
是日 厩村兜明神ノ例祭ナリ。
相傳フ、義家東征、此ニ宿シ、
厩ヲタテラレシヨリ村ノ名トナルト。
此ニ鹿島ノ神ヲ勧請シタル社アリシハ、
義家ノ兜ヲ奉納セラレシヨリ兜明神トイフトゾ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
旧暦9月9日
内郷の御厩(みまや)に鎮座する兜明神で例祭が行われる。
伝えでは、源義家が東国平定の際、
この地に宿泊し、馬屋を設けたことが
「厩」という村の名の起源であるとされている。
また、この地に鹿島神を祀る神社があるが、
義家が兜を奉納したという故事に由来し、
人々は「兜明神」と呼び習わしている。
本文の内容と掲載されている写真は関係がありません。
因みに、写真は山形の月山で撮影したものです。
大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合い願います。
『磐城誌料歳時民俗記』には、
江戸時代から明治時代の初めにかけての
いわき地域の人々の暮らしや民俗などが
極めて丹念に記録されています。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦9月9日の項には
次のような記述があります。
是日 厩村兜明神ノ例祭ナリ。
相傳フ、義家東征、此ニ宿シ、
厩ヲタテラレシヨリ村ノ名トナルト。
此ニ鹿島ノ神ヲ勧請シタル社アリシハ、
義家ノ兜ヲ奉納セラレシヨリ兜明神トイフトゾ。
これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。
旧暦9月9日
内郷の御厩(みまや)に鎮座する兜明神で例祭が行われる。
伝えでは、源義家が東国平定の際、
この地に宿泊し、馬屋を設けたことが
「厩」という村の名の起源であるとされている。
また、この地に鹿島神を祀る神社があるが、
義家が兜を奉納したという故事に由来し、
人々は「兜明神」と呼び習わしている。
本文の内容と掲載されている写真は関係がありません。
因みに、写真は山形の月山で撮影したものです。