『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦12月  寒念仏

2008年04月03日 | 歴史
天保12(1841)年に、
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。
「寒念仏」についてのものだ。

寒念佛アリ。同行ヲ催シ、村里ヲ廻ル。
若輩淳蕐ノ同行ハ、鉦ニ笛、太皷、三味線ヲイル。
是ハ佛像、堂宇建立、修覆ノ為メニ米銭ヲ集ムルナリ。
又、七、八歳ヨリ十二歳位ノ子供、寒夜ニ鉦打鳴シ、
其里近ク念佛シ廻リ、夜更(ヨフケ)帰リ、集リテ、
受タル米ヲ粥ニ煮ル。
是ハ小兒ノ游戯、寒念佛ニ倣フナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦12月には、寒念仏が催される。
多くの人たちが集団になり、村々を巡り歩く。
青年たちは鉦や笛、太鼓、三味線を奏でながら、村々を巡る。
これは仏像の造営、修理や、
お寺やお堂の建立、修理に必要な資金を
集めるために行われるものである。
また、7、8歳から12歳ぐらいの子どもたちも、
鉦を打ち鳴らし、村内を念仏を唱えながら廻り、
夜更けに、寄進された米を煮て、粥にして食べる。
これは子どもたちの楽しみごとになっており、
本当の寒念仏ではなく、
それを真似たものである。
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