Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

シュヴァイツァーの遺言

2008-02-01 02:58:25 | 臨床医学
かのシュヴァイツァー博士は学位取得の後に30歳で医師を志し、医学校を卒業すると病院はおろか近代的医師も不在のアフリカの地へと旅立ったと言う。あれから何年か経ったが、現在アフリカの近代化、平和や調和、そして繁栄の象徴でもあったと言えるケニアが荒れている。事情はともかく警官隊が発砲して死傷者が多数出ている。シュヴァイツァー博士が見たら何と言うであろうか?

シュヴァイツァー博士は超人的な体力と精神力で勉学に励み学位取得を成し遂げた。それから間もなく音楽活動なども続けながら医学を修得してすぐにアフリカでの臨床業務を始めた。卒後研修だの何だのと言うものが無かったのであろうか、それとも医学校で習う事柄で事足りたのであろうか、すぐに実践の場へと向かった彼には生命への畏敬の念が常にあったと言う。動物も違った人種も全ては造物主の造りしところ、同様に尊いと言う気持ちからであろうか。

私は時折大公園を散策する。目的は樹幹の小鳥を愛で、池のカメを覗き込み、芝生の小犬と遊ぶ為である。人間の言語が通じないが、互いに生命エネルギーは伝わる。人間で「気」と言うものとどうも同じようなエネルギーを感ずる。言語が通じないもの程、気には敏感であるように思う。子供、小動物、恋人達、相対する決闘者・・・。生命の畏敬とは万物に共通する何かを見出し、己の宇宙内の地位を同等に或いは低くする姿勢であるように思う。単に呼吸が停止するだけでも私達の生命は奪い得る程に脆弱である。文明の中の都市生活は人間をして万能感を生ぜしめ、これを傲慢にする。

シュヴァイツァー先生が御存命であれば、現代医療や国際紛争や社会問題を見て何と云われるであろうか。最後に我々に何を託したかったのか、それを聞いてみたい気がする。

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