Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

映画「Being John Malkovich」の精神観 ② ~瞑想・輪廻転生、そして人間の神化へ~

2006-03-01 07:38:08 | 哲学・形而上学:宗教・超心理・神秘学
「Being John Malkovich」と言う映画について先日述べたが、ここからが真骨頂である。John Malkovichの認識・情動が変遷を遂げていくのである。少しその変遷を見てみよう。John Malkovichを通して人間の霊的進化について垣間見る事が出来るようだ。

①まず第一段階は「瞑想的段階」である。John Malkovichの視点を持つ事の出来る穴を通してJohn Malkovichの認識・情動を支配するようになり、ついにはJohn Malkovich自身と一体化する。相手との一致、主客の一体化の段階においては主体が客体となり、客体を意のままに動かす事が可能だと言う。スターウォーズのジェダイの教義では、物体をサイコキネーシスを使って動かしてしまう段階だ。

②次に、登場人物はJohn Malkovichに成るだけではなく、John Malkovichに成るための「PORTAL」(門)を通して新たな肉体を獲得していたのである。不老不死は人間の永遠の夢とされるが、それがこのJohn MalkovichのPORTALを通して実現可能なのである。人々はこのPORTALと言うトンネルを潜ってまぶしい光を見たとき、つまりJohn Malkovichの視野が見えた時に新たな肉体を獲得する。これは新しい身体への移動を意味するから、「輪廻転生」を示唆している。キリスト教の教義でもA.D.550年の会議で公式に削除されたとあるが、理由は「輪廻転生」を教義として教えると人々が「また来世で地上に戻ってから頑張るからいいや。」と怠けだしたからだと言う。事実、輪廻転生の教義を未だに有するヒンズー教徒にはこうした大らかさと怠けたところがある。

③最後は、John Malkovich自身が自分に成るPORTALに入ってしまうのである。そこで見えた世界は何か?映画の大団円の部分だが、これが深かった。世界内の生命を持つ被造物が、全てJohn Malkovichに成ってしまうのである。John MalkovichがJohn Malkovichになる。John Malkovichが他者としてのJohn Malkovichの肉体に入り込む。肉体とは神の宮(新約聖書)である。神の宮である肉体を通じて、彼は世界を、被造物を見る。存在が瞑想的段階を超えて、創られた筈の自己の存在の内奥に入り込んだとき、世界はその「存在・主体」そのものだったと気が付くのである。被造物を通して究極存在である神を知るのである。世界の被造物すべてが自己と究極的には同じであり、一体化が可能なのである。そしてその被造物は全て意志を持ち、恙無く制御されているのである。宇宙の存在全てには神のエネルゲイアが満ち満ちていると言うが、まさにこの段階でJohn Malkovichはそれを象徴的に悟る。一切は存在であるが、意識を持っているのだ。これはある意味では「汎神論的段階」とも言えよう。私はここで、ではこれら全ての諸存在の創造主は誰か?と究極的に哲学的・神学的問いを己に訊ねてしまったが。

「超越的認識」“他者"がJohn Malkovichの認識・情動を体験する
「瞑想的段階」John Malkovichそのものに成り切る
「輪廻転生」John Malkovich(PORTAL)を通して新しい身体を獲得する
「汎神論的段階」John Malkovichが彼のPORTALを通ると世界が彼自身だと悟る

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