Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

ドラえもんの宗教的人間学

2009-08-02 02:20:18 | 哲学・形而上学:宗教・超心理・神秘学
ドラえもんについて考えていたのだが、のび太はジャイアンよりも悪人であると悟った。ジャイアンは悪ガキのように描かれているが、かあちゃんが怖い事から店の手伝いをちゃんとする。親を敬い、親孝行の出来る少年である。戦前の修身の教科書ならば見本とされるような小学生に違いない。小学校に通い勉学に励みながら家業である青果店を黙々と手伝うのである。殊勝な子供である。のび太を苛めるが、ガキ大将だけはあって、映画版では頼もしい存在として欠かせない。ここにジャイアンの良さがある。ジャイアンはのび太やスネ夫には手を出すが、出来杉君やしずかちゃんには決して手を出さない。一本筋が通っているのである。ただのいじめっ子ではなく、相手を選んでからかっているのである。

一方ののび太は宿題はしないし、お手伝いも中途半端である。何かとお手伝いをサボる方法ばかりを考えている。懲りないのは親を敬い畏れる心が皆無だからであろう。さらに悪い事に、困ったことがあれば自分で問題を解決せずにドラえもんに泣きつく。問題が解決すればしたで、今度は問題解決以上にドラえもんの道具を積極的に使って悪事を働く。極めて自己中心的で極悪非道である。さらにはいたずらの相手として、密かに想いを寄せるしずかちゃんまでをも対象としようとする。思慮分別のまるでない、稚拙な精神性が伺える。

一方のドラえもんはのび太のこうした全てを知りながら、これを包み・許し・与える存在である。菩薩様か聖母マリアのようなとろかすような母性愛でもってダメ人間を見守っている。そのタイムスパンとあるや未来の世紀から出向く程であるから、相当に気長で懐の広さを持っている。とにかく母性的に与え続けるドラえもんの愛に気が付き目覚めたのか、のび太は勉強をして工学部に入って大発明をするらしいのだが、回心のプロセスにはこうしたとろかすような愛が無いと駄目なのであろうか。

ドラえもんの悪人のび太への愛には宗教性すら漂う。悪人正機説を現代科学とテクノロジーで脚色したのがドラえもんなのかも知れない。有難い事である。

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