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「磐余池」か、堤跡発見 日本書紀・万葉の最古ダム

2011-12-16 20:47:42 | 日記

 日本書紀や万葉集に登場しながら所在地が不明だった古代のダム「磐余池(いわれいけ)」とみられる6世紀の池の堤跡が奈良県橿原市東池尻町で見つかり、橿原市教育委員会が15日発表した。

 池は国内最古で、堤跡の上では、大型建物跡も発見された。磐余池のほとりに造ったとされる聖徳太子の父・用明天皇の「磐余池辺双槻宮(いけのべのなみつきのみや)」の可能性を指摘する研究者もおり、飛鳥時代以前に大和王権の中心地にもなった「磐余」地域の歴史を解明する大きな手掛かりとなる。

 市教委によると、見つかった堤跡は80メートル分。低い丘陵の上に土を積み重ねた構造で、高さは池の外側で約3メートルと推定。堤は周辺地形から、全長330メートル、最大幅55メートルの規模とみられるという。池の面積は8万平方メートル前後とみられ、これまで最古とされた7世紀初めの大阪府・狭山池の3分の1程度の池だったらしい。

 大型建物は南北17メートル以上、東西4メートル。時期が6世紀後半ごろで、用明天皇の「磐余池辺双槻宮」の時期と重なる。

 朝鮮半島由来の大壁建物と呼ばれる6世紀後半以前の建物跡も見つかり、土木技術にたけた渡来系集団が池を造ったとみている。

 日本書紀などは、「磐余」の地名を冠した4人の天皇の宮や池にまつわる物語を伝える。万葉集は、謀反の罪に問われた天武天皇の子、大津皇子が磐余池の堤で詠んだとする辞世の歌(巻3・416)を載せる。

 調査した平岩欣太文化財課保存係長は「調査地西側にも建物が想定される。継続調査で池の実態を明らかにしていきたい」と話す。

 現地見学会は17日午前9時~午後3時。

 <和田萃・京都教育大名誉教授(古代史)の話>現場周辺は池を造るのに適した場所。池にまつわる小字名も残り、磐余池とみて間違いないと思う。大型建物跡は池を眺めたテラスのような施設の可能性もある。

 <上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話>東アジアの宮殿庭園をモデルにした池で、見る場所で変化する景観を天皇が楽しんだのだと思う。当時は有名な池だったので、大津皇子もここで歌を詠んだのではないか。

(中日新聞)


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