2011年06月27日08時11分
日刊ゲンダイから古賀茂明氏の処分についてどう思うかとコメントを求めてきた。
古賀茂明氏とは民主党政権の公務員改革案を批判して左遷された経済産業省の現役官僚のことである。
左遷されてもめげずに政府批判を続け、とうとう「日本中枢の崩壊」(講談社)という本を出版し国民前で官僚に屈した民主党政権の内情を告発し、このままでは日本はダメになると警鐘を鳴らした。
さすがに経産省も放置できず、7月15日をもって古賀氏をさせることにしたと報じられた。これに対し古賀氏は理不尽であると抵抗しているという。
この一連の顛末について、「同様の経験をお持ちの」天木さんのコメントを聞かせて欲しいという。
そのコメントを求めてきた日刊ゲンダイの記者の念頭には、私が古賀氏を全面的に支持し、古賀氏に退職を迫る政府を批判するだろうという事があったに違いない。
それを日刊ゲンダイ紙上に掲載する予定稿が出来ていたに違いない。
しかし私のコメントはまったく異なったものであった。
すなわち、「経産省が彼に辞職を迫るのは当然だ。むしろ遅すぎたぐらいだ。古賀氏が辞職命令を拒否するのは筋違いだ。それを甘受し、官僚を辞めた立場で政府批判を行なうべきだ」
果たして日刊ゲンダイの記者はこの私のコメントを正しく理解しただろうか。
今日(6月27日)発売の日刊ゲンダイ(日付は6月28日付)に、私のコメントがどのように正確に反映されるのだろうか。
私の考えは明快である。
すなわち、民主党政権の公務員制度改革が腰砕けに終わったことは古賀氏の批判するとおりであり彼を恫喝した仙谷官房長官の卑劣さは許されない暴挙だ。私もそれを強く批判してきた。
そして古賀氏が出版した「日本中枢の崩壊」で書かれている官僚組織の卑劣さと、その官僚組織に膝を屈した民主党政権の情けなさにも全面的に同意する。
私はあの本を隅から隅まで読んだ。
その事を世に問うた古賀氏の決断と覚悟の凄さには敬服する。
しかしそれならばこそ、退職勧告を受け入れ、きっぱりと官僚から身を引いて徹底的に政府批判をすべきなのだ。
確かに私は小泉首相のイラク戦争支持を批判した。しかしそれはあくまでも内部における批判であり政策提言であった。
それにもかかわらず退職を迫られた。こんな理不尽なことはなかった。
これ以上政府内部にとどまって政策を内部から変えようとしてもそれが無理だと知ったからこそ、その理不尽な退職勧告を甘受し、外務省を離れてから「さらば外務省」を上梓して外務省と対決して生きる第二の人生を選んだのである。
古賀氏は違う。現職中に政府の公務員制度改革批判を雑誌に掲載し、その後も官僚を続けながら政府の政策批判を繰り返した。
これはおかしい。
公務員の職務遵守規則に反する行為だ。
経産省は古賀氏を呼びつけて注意し、それを聞き入れないのなら解雇する正当な権利がある。
あたりまえだろう。
どこの組織に、その組織の根幹を否定する事を公然と言って許される組織があるだろうか。
民間企業でこのような者がいたら即刻首だ。
むしろ経産省が世論の反発を恐れ解雇処分できなかったことが生温いぐらいだ。
ここまで政府を批判し続けながらなお官僚にとどまり、座敷牢に入れられている身を世間にさらして同情を買うような真似を続ける古賀氏は間違っている。
古賀氏は潔く辞職し、正面から政府批判を行なうのだ。
その時は私は誰よりも強い味方となって古賀氏を応援する。
古賀氏を利用した「みんなの党」だ。古賀氏は「みんなの党」に来る選挙で最優先に公認し、当選させろと要求する権利がある。
「みんなの党」に頼み込んで政治家になり、政治家になって堂々と公務員制度改革を実現するのだ。
政治家になって公務員改革を売りにしている「みんなの党」が本物であるか、それとも偽物なのか、 それを見抜いて「みんなの党」を正しく導くのだ。
私は渡辺喜美や江田憲司の公務員批判は本物ではないと思っている。
本気で公務員改革をする気なら私のところにまず頭を下げて教えを請うはずだ。
それどころか私を警戒し、敵視しているようでは彼らもまたしょせんは官僚の仲間ということである。
古賀茂明氏とは民主党政権の公務員改革案を批判して左遷された経済産業省の現役官僚のことである。
左遷されてもめげずに政府批判を続け、とうとう「日本中枢の崩壊」(講談社)という本を出版し国民前で官僚に屈した民主党政権の内情を告発し、このままでは日本はダメになると警鐘を鳴らした。
さすがに経産省も放置できず、7月15日をもって古賀氏をさせることにしたと報じられた。これに対し古賀氏は理不尽であると抵抗しているという。
この一連の顛末について、「同様の経験をお持ちの」天木さんのコメントを聞かせて欲しいという。
そのコメントを求めてきた日刊ゲンダイの記者の念頭には、私が古賀氏を全面的に支持し、古賀氏に退職を迫る政府を批判するだろうという事があったに違いない。
それを日刊ゲンダイ紙上に掲載する予定稿が出来ていたに違いない。
しかし私のコメントはまったく異なったものであった。
すなわち、「経産省が彼に辞職を迫るのは当然だ。むしろ遅すぎたぐらいだ。古賀氏が辞職命令を拒否するのは筋違いだ。それを甘受し、官僚を辞めた立場で政府批判を行なうべきだ」
果たして日刊ゲンダイの記者はこの私のコメントを正しく理解しただろうか。
今日(6月27日)発売の日刊ゲンダイ(日付は6月28日付)に、私のコメントがどのように正確に反映されるのだろうか。
私の考えは明快である。
すなわち、民主党政権の公務員制度改革が腰砕けに終わったことは古賀氏の批判するとおりであり彼を恫喝した仙谷官房長官の卑劣さは許されない暴挙だ。私もそれを強く批判してきた。
そして古賀氏が出版した「日本中枢の崩壊」で書かれている官僚組織の卑劣さと、その官僚組織に膝を屈した民主党政権の情けなさにも全面的に同意する。
私はあの本を隅から隅まで読んだ。
その事を世に問うた古賀氏の決断と覚悟の凄さには敬服する。
しかしそれならばこそ、退職勧告を受け入れ、きっぱりと官僚から身を引いて徹底的に政府批判をすべきなのだ。
確かに私は小泉首相のイラク戦争支持を批判した。しかしそれはあくまでも内部における批判であり政策提言であった。
それにもかかわらず退職を迫られた。こんな理不尽なことはなかった。
これ以上政府内部にとどまって政策を内部から変えようとしてもそれが無理だと知ったからこそ、その理不尽な退職勧告を甘受し、外務省を離れてから「さらば外務省」を上梓して外務省と対決して生きる第二の人生を選んだのである。
古賀氏は違う。現職中に政府の公務員制度改革批判を雑誌に掲載し、その後も官僚を続けながら政府の政策批判を繰り返した。
これはおかしい。
公務員の職務遵守規則に反する行為だ。
経産省は古賀氏を呼びつけて注意し、それを聞き入れないのなら解雇する正当な権利がある。
あたりまえだろう。
どこの組織に、その組織の根幹を否定する事を公然と言って許される組織があるだろうか。
民間企業でこのような者がいたら即刻首だ。
むしろ経産省が世論の反発を恐れ解雇処分できなかったことが生温いぐらいだ。
ここまで政府を批判し続けながらなお官僚にとどまり、座敷牢に入れられている身を世間にさらして同情を買うような真似を続ける古賀氏は間違っている。
古賀氏は潔く辞職し、正面から政府批判を行なうのだ。
その時は私は誰よりも強い味方となって古賀氏を応援する。
古賀氏を利用した「みんなの党」だ。古賀氏は「みんなの党」に来る選挙で最優先に公認し、当選させろと要求する権利がある。
「みんなの党」に頼み込んで政治家になり、政治家になって堂々と公務員制度改革を実現するのだ。
政治家になって公務員改革を売りにしている「みんなの党」が本物であるか、それとも偽物なのか、 それを見抜いて「みんなの党」を正しく導くのだ。
私は渡辺喜美や江田憲司の公務員批判は本物ではないと思っている。
本気で公務員改革をする気なら私のところにまず頭を下げて教えを請うはずだ。
それどころか私を警戒し、敵視しているようでは彼らもまたしょせんは官僚の仲間ということである。
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