ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

車窓に和む

2014-05-18 19:00:55 | 日記
山を越えたら、
みどり の風合いが違った。

もう、新緑ではない。
軽やかさと躍動感は薄れてるけど、
しっかりと存在感のあって、みどりに勢いがある。

当たり前だけど、季節が先んじている。
水を張った田んぼは、田植えが終わっているところがおおい。

山にはまだ残雪があった。
時々山桜も咲いていた。
リンゴやフジの花が咲き始め、桐の花も見た。

久しぶりの車窓を堪能♪
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心 ふわふわ

2014-05-17 08:49:57 | 日記


雨に洗われて
みどり が 歓んでいる

淡い みどり
黄色っぽい みどり
鮮烈な みどり
まばらな みどり
繁った みどり
躍ってる みどり
ドッシリしてる みどり

この時期は
どんな みどりたちも 生き生き やさしい

心弾み、和やかになる
眺めているだけで しあわせ
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曇り時々雨 時々 痛い

2014-05-16 11:39:06 | 日記
ったく、いい加減にして!!
と言いたくなる。

気候が不安定なせいか、
両足首が時々、悲鳴を上げる。

歩くときにズキン、
ジッとしててもジーンと病んでくる。

こっちが大丈夫と思えば、今度はそっち。
一番痛い箇所に、気を取られる。

久しぶりに整形外科で受診したけど、
今のところは様子見して、そのうち落ち着いてくるでしょう…と、
いつもと同じ見立て。
もっと酷くなれば手術という方法もあるらしいが、
まだその段階ではない。

断続的な痛みだから、できるだけ鎮痛剤を飲まないようにしている。
一番酷いときに比べれば、少しは楽だからと
自分を慰めるしかないか~(^^;

この週末はテニスしないことにして正解だったかな。
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「紫匂う」「晋平の矢立」「降りしきる」

2014-05-15 11:48:08 | 
「紫匂う」 葉室麟  講談社  2014.4.15

 紫のにほえる妹をにくくあらば 人妻ゆゑに吾恋ひめやも

 心極流の達人ながら、凡庸な郡方勤めに留まる蔵太。
 二人の子供とともに穏やかに暮す、その妻・澪。
 藩校の秀才と謳われ、側用人にまで出世した笙平。

 隣同士で育った澪と笙平は、かつて一度だけ契りをかわした仲だった。
 かつての想い人との再会が、澪の心を揺らす。
 今、ここで、心のままに生きられたなら――
 黒島藩を揺るがす政争の嵐の中、三人の想いは交錯する・・・

 澪を気に入っている藩主の生母・芳光院との会話。
 
  「あってはならぬはずが、あるのが恋やもしれぬ」
  「殿御にとって、恋は身をあやまる煩悩に過ぎぬかもしれぬが、女子は煩悩を縁(よすが)として
  生きねばならぬ定めを負うておるようじゃ」
  「女子はひとをいとおしゅう思うてこそ、生きて参ることができよう。されば恋の煩悩こそが
  女子の生きる縁と言うて憚りはなかろう」
  「いとおしき者のためには、わが身を炎に焼かれてでも進むのが女子でありましょうぞ」
  
 揺るがない蔵太の存在感がひとしおだ。

  「憲法に〈一息の抜き〉という考えがござる。何事も追い詰めてはならぬ、一息だけ、隙間を
  空けておいた方がよいとの諭しでござろうか」

  「こうして山に入って星を眺めていると、ひとのなすことはせせこましく、あまりにも小さいという
  気がしてくる」
  「わたくしには、ひとの生きていく様がせつなくていとおしいと、あらためて思われてございます」
  「澪がいま申したことはわたしが思っているのと同じであろう。小さいがゆえにせつなくもあり、
  いとおしくもある」

 笙平が罠にかかって追われる身となってすぐ離縁し、婚姻前から通じていた国家老の元に戻った志津。
 家老・宮内との会話。

  「かように黒瀬様にお仕えいたそうと思いましたのも、ひとつには昔の女子に未練がましい思いを
  抱いている葛西が厭わしかったからでございます」
  「かといって女子のためにわが身を捨てるほどの思いはなく、その癖、いつまでも忘れかねて
  思いを捨てることもできぬひとです」

 見晴らしのいい場所での蔵太の言葉。

  「そうだ。これが〈天の目〉で見る風景だな」
  「山の頂から遠くを見下ろしているうちに、なにやらひとの日々の暮らしがいとおしく思えて
  くるのだ。なでそうなのかはわからぬが、百姓や町人が懸命に働いて暮らしを立てておる姿が
  尊いものに思え、心に感ずるところがあった」

 お城が高き建物であるのは

  「政事をなすものは、高きところより領民の暮らしを眺めて、平安で裕にひとびとが生きていけるように
  治めたいとの心を持つためであろうと、わたしは思っておる」

 それに対し、笙平が「さて、それはどうでしょうか」と口を開いた。

  「ひとは高きところに登れば、見下ろして目に入るすべてが自分の物であるような心持になるのでは
  ごさいますまいか。実際、家老にまで登り詰めた黒瀬様は、おのれの下に従っているものは、
  いかようにしてもよいと思われるようになったのですから」

 蔵太は続ける。

  「(略) われらは山より下を見下ろしたおりに、すべての風景をいとおしく思い、心が安らぎます。
  してみると、高きお城に登っておのれの権勢にしか思いがいたらぬ者は、慈しみの心だけでなく、
  安らぎも知らぬ哀れなおひとかもしれませんな」

 蔵太の案内で、芳光院の元に辿り着こうと山道を行きながら、澪は自分をみつめる。

  怜悧でおとなしげに見える笙平は、時に後先を考えないで思い切ったことをする。
  笙平は思いがけない大胆さを秘めているのではなく、ただ軽はずみな性格かもしれない。

 笙平と蔵太の間で揺れる澪に、蔵太が言う。

  「ひとは誰も様々な思いを抱いて生きておる。そなたの胸にもいろいろな思いがあろう。もし、
  そなたの心持が葛西殿へ通じておるのであれば、心に従ってい繰るのを止められぬ。とわたしは
  思った。しかし、そうでないのならば、わたしとともに生きて参ろう。たいしたことはしてやれぬ
  かもしれぬが、危ういおりに、ひとりでは死なせぬ。ともに死ぬことぐらいはできるぞ」

 芳光院の使いに蔵太と澪の子供・由喜が応える言葉がすごい。

  「わたくしどもの父と母はなすべきことを知っていると存じます。それゆえ、案じるのは無用だと
  思っております」
  「父は、いつ何時、何が起ころうともあわてずに事に当たる心構えをしておかねばならぬと
  口癖のように申しております」

 「奸悪なる者に負けてもよいと申すか」という芳光院への、蔵太の応えも潔い。

  「勝ち負けで申しますならば、正義派邪に勝ち申す。ただ、邪は負けを認めずにあがくのだと存じます」

 澪は、夫の深い心に思い至る。

  「夫は変わらぬひとでございますから」
  蔵太は何があろうと自らを偽らず、いつ何時も変わらない。
  そのことが悲しいほど尊いと澪には思えた。

 国家老の意を汲んだ志津が澪に自害を迫る。

  「若き日の葛西様とのことを、わたくしは過ちとは思うておりませぬ。わが心に添うたことで
  ございましたゆえ」
  「此度、窮地に陥られた葛西様をお助けいたしたいと思いましたのも、夫ある身であれば不謹慎と
  謗られましょうが、わたくしは自らの心に正直に従ったまでです」

 どうすればひとは迷わずに生きられるのか、という澪に、蔵太は言う。

  「わたしにもわからぬ。ただ、迷ったら、おのれの心に問うてみることだとわたしは思っている」
  「智恵を働かせようとすれば、迷いは深まるばかりだ。しかし、おのれにとってもっとも大切だ
  と思うものを心は寸分違わず知っている、とわたしは信じておる」

 思いの外、引用が長くなった。
 書き写してみて、平仮名が多いことに改めて気づく。
 この物語に合った文字遣い。

 蔵太のように生きたいものだ・・・  


「晋平の矢立」 山本一力  徳間書店  2009.4.30

 大火に見舞われた江戸。
 蔵の取り壊しを生業とする"伊豆晋"の活躍と、収蔵品にまつまる因縁話。
 一力さんならではの人情といなせの世界。


「降りしきる」  北原亞以子  講談社  1991.4.24

 江戸から明治へ――。
 生きる証を手さぐりしてけなげに生きる女たち。

 そう、そうだよなぁ~
 思い通りになることなんて、そうそうあるもんじゃない。
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「世界のエリートの「失敗力」」「ありふれた愛じゃない」「地域発ヒット商品のデザイン」

2014-05-14 12:18:13 | 
「世界のエリートの「失敗力」」 佐藤智恵  PHPビジネス新書  2014.2.3

 2月3日に第1刷発行で、4月2日には第5刷を重ねている。
 1回で何刷の部数かわからないが、結構売れているってことだ。

 著者は1970年生まれ。灯台教養学部卒業後、NHK入局。報道番組や音楽番組のディレクターとして7年間勤務。
 2000年1月、コロンビア大学大学院。翌年MBA取得。経営コンサルタント。

 副題は
 ――彼らが〈最悪の経験>から得たものとは――

 合格基準は「失敗から学べる人」
 コンフォートゾーンを抜け出し、挑戦せよ。

 リーダーが失敗する要因は二つ
 ①人から学ぼうとしない (Inability to Learn)
 ②誰も相談する人がいない (Isolation)

 一番大切なのは「謙虚さを忘れるな」

 失敗からは多くを効率よく学べる。人の成功体験を聞いて学べることは実は少ない。
 なぜ成功したのかという成功要因を分析しても、自分からは雲の上の人の話のようで、
 真似するにも真似しようがない。しかし、失敗は違う。「この日とも自分と同じ人間なのだ」と
 共感する。そして、一つの失敗から多くを学べるのだ。

 例えば組織の中で、自分が関わっている事業などが失敗したとき、何よりも「自分の身を守る」ことが大切。
 犯人探しと責任のなすりつけ合いが始まる。そんな時、黙っていたら、全部、自分の責任にされてしまう。
 そこで、自分から「すぐに」情報発信していくことが必要。誰よりも早く、状況を関係者に
 説明して回るのだ。
 「こういう問題が起こっているが、いま、自分はこのように対処している」などと客観的に事実を話し、
 決して軽々しく「自分の責任です」などと言ってはいけない。
 失敗しても、「自分に非をあえて認めるな」。そのかわりに、「いま、こういう対応をしています」と
 説明する。
 こうして説明してまわっている間に、味方は思ったよりも多く、自分の責任を責める人だけでないことに
 気づく。そして人に助言を求めている中で善後策を講じることもできる。
 組織の失敗は個人の失敗ではない。
 そこに気づき、当事者として組織に早く情報をシェアして、早く味方を増やすことが、
 正しい立ち直り方。

 グーぐるでは、『最高でなく、最低限を満たせ』という考え方がある。
 ユーザーからのクレームや要望は、想定内。それをフィードバックして生かし、改良していく。
 こうした修正過程をグーグルでは「ローンチ&イテレート」(商品を市場に出して、改善してまた出す
 ということを反復すること)と呼ぶ。
 ちょっとしたクレームを恐れていたら、製品を出すのが送れ、逆に後悔することになる。
 グーグルでは、こうしたユーザーからのクレームは、失敗というよりは改善の指摘。
 つまり、失敗というよりは学びのプロセス。
 グーグルには、確固たるプロダクトがあるから、少しぐらい新規のプロダクトで失敗しても
 会社の経営は磐石。つまり、挑戦できる環境が整っている。失敗を恐れて、新しいプロダクトに
 挑戦しないことが、最大の失敗。

 三井物産では、投資などで失敗しても、その後異動して重要なポジションをまかされることがよくある。
 それは、失敗自体はさまざまな要因で起こってしまった事実ではあるが、それまでの取り組みとか、
 失敗自体から得られた経験とか、その人の良い面が認められたのだと思う。だから、若い人には
 失敗や周囲からの評判を恐れずに行動に移していただきたい。逆にもっと『失敗を恐れて何もしない
 ほうが許されない社風』になってもいいくらい。

 仕事の失敗はすべて解決できる。
 新人時代の失敗として最も悔いが残るのは「挑戦できたのに挑戦しなかった失敗」

 むやみに謝罪しない。
 自分のミスが原因で、周りの人に迷惑をかけてしまったとき、日本人であれば、潔く謝罪しなくては、
 と考えるのが常だろう。謝ってしまったほうが、周りの人から協力してもらいやすくなるし、
 早く失敗を修復できる、と考えてしまいがち。
 しかし、謝罪は、時として自分にも会社にも大きな損害をもたらすことになる。
 スタンフォードのジェフリー・フェファー教授が述べているとおり、謝罪する=非を認めるという行為には、
 周りから責任をなすりつけられるというリスクがともなう。日本人美徳が、海外では通用しないことは
 多々ある。
 トヨタの田上さんも、対外的に状況を説明する時は、むやみに誤らないことが鉄則という。
 「アジアのパートナー企業との交渉で、謝罪は時としてリスクとなります。責任がすべてこちらにあると
 認めることになりますから。それよりも、客観的な事実を相手に示すことです」

 失敗因分析をする。
 自分の失敗を受け入れた上で、内省する。

 成功はエネルギーを与えてくれるが、同時に、自分を慢心させてしまうきっかけともなる。
 そして、その慢心が続く後、積もり積もって取り返しがない大きな失敗となる。
 自信を持つことは必要だが、自分への絶対的な行程は、人間を成長させない。
 失敗から学んだ人間は、総じて謙虚だ。謙虚な姿勢は、相手の心を開くことができる。
 すると、そこに情報が入ってくる。人が集まってくる。

 「やみくもに挑戦して失敗しろ」という意味ではなく、自分の置かれている場が挑戦できる場が
 どうかを見極めた上で、「ミスからのコンフォートゾーンを抜け出る挑戦をする」という意味。
 朝鮮には失敗がつきもの。失敗したときに正しく立ち直ることも、失敗力を鍛える上で大切。


「ありふれた愛じゃない」  村上由佳  文藝春秋  2014.3.30
 
 未熟だがまっすぐな年下彼氏との婚約に満足していたはずの真奈は、真珠の買い付けにいった
 タヒチで、社会不適合だが危険なほど官能的だった元カレと再会する。
 揺れる心と身体。

 帯に 
 ――だめだ、もう。こらえることなんてできない。
  この男が欲しい。こんなことは罪だと、
  彼も自分も誰かのものだと、わかっていても欲しい。
   今夜だけ。今夜だけだ。

 と、いかにも扇情的な言葉があったが、
 読み終えて、フーンという感じ(^^; 
 
 バーテンダーのジョジョがいい。

 年下の彼への思いを語る真奈に言う。
 「少なくとも、あんたの側はとっくに終ってるわよ。今のあんたはね、彼を惜しんでいるんじゃないの、
 彼と一緒に過ごした思い出を惜しんでるの。結局、可愛いのは自分。今まで彼のために費やした
 自分の時間が惜しいから、もう終ってるってことを認めたくないだけよ。閉店時間なの
にいつまでも
 帰ろうとしない客みたい。往生際が悪いったらありゃしない」

 「英語でも、フランス語でも、それにタヒチの言葉でも、〈愛〉って単語はほぼひとつじゃない?
 loveにamour…タヒチ語だと here ね。だけどよく考えたら、loving somebody っていうことと、
 being in love ってこととは、似て非なるものなんじゃないかと思うのよ。誰かを心から想って大切に
 するのも素敵だけど、あたしは、 being in love の時の、頭のネジがぜんぶ跳んじゃう感じが好き」
 「あなたの言うそれはたぶん、日本語では〈恋〉って呼ばれてるものよ」

  どうかしてる、と互いに苦笑し合いながら、気がつけばまた躯(正しくは旧字体)をつないでいた。
  しても、しても、し足りなかった。
  こんなにもあからさまに相手の男を欲しいとおもったことなどなかった。抱いて欲しい、
  のではない。たた、つながるのが嬉しいのだ。命と命、互角に挑みあい、互いを満たし合いたい。
  その思いがきりきりと尖り、膨れ上がりすぎて、まるで自爆する間際のように心臓が苦しかった。

 この想いには共感(^^;


「地域発ヒット商品のデザイン」 斉藤香:編集 パイ インターナショナル 2014.3.22

 食べてみたいお菓子、食品、面白そうな製品が勢ぞろい。

 東京駅の駅弁タオルは、買ってみたい。
 新潟・滝沢生産組合の ツマリ・コメ――かわいらしい米型の容器に米が入ってワンコインという発想。
 高知・偉人イケメンプロジェクト
  例えば、「私の彼(カレー)は坂本龍馬、土方歳三などなど、ナイスアイディア。
  パッケージの絵がコミック・ゲーム風で、若い人たちが飛びつきそう。
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