ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「蜩の記」「羽州ものがたり」「空白の桶狭間」「きなりの雲」

2012-09-24 11:46:48 | 
「蜩の記」 葉室麟 祥伝社 H23.11.10

 第146回直木賞作品。
 ようやく回って来た。

 幽閉先での家譜編纂と十年後の切腹を命じられた戸田秋谷。
 親友とのいざこざで隠居を命じられ、戸田の見張りと清書を命じられた檀野庄三郎。

 戸田は何を思うのか。
 家譜編纂の史料に垣間見える謎と今の藩はどう結び付くのか。。。
 村人たちとの関わりあいもさもありなんと描かれている。

 戸田の息子・郁太郎の友だち、百姓の源吉がよい。
 『おれは世の中には覚えていなくちゃなんねえことは、そんなに多くはねえような気が擂るんよ』
 『そらまあ、おとうやおかあ、お春(妹)のことは当たり前じゃけんど、他には郁太郎のことかなあ』
 『友達のことは覚えちょかんといけん。忘れんから、友達ちゃ』

 ラスト、いよいよ切腹を控えた秋谷が「もはや、この世に未練はござりませぬ」
 と言ったとき、
 僧・慶仙が「さて、それはいかぬな。まだ、覚悟が足らぬようじゃ」と。
 そして
 「未練がないと申すは、この世に残るものの心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。
  この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」
 と。
 成る程・・・

 
「羽州ものがたり」  菅野雪虫  角川書店 2011.1.30

 カドカワ 銀のさじシリーズ。

 アテルイの時代から70年以上経った、みちのく秋田。
 ひとつしか瞳をもたない鷹のアキとクラス少女・ムメは、
 都から来たばかりの少年・春名丸(元服してからは春雪)とであった。
 それが縁で春名丸の父・小野春風にさまざまなことを教わるムメ。
 野育ちの少年・カラスとの友情も育まれるが
 小野たちは半年で、都に戻っていく。

 飢饉の年、自ら生き延びることさえ難しいのに、税は過酷なままで。
 農民たちが立ち上がった。
 元慶(がんきょう)の乱 だそうだ。

 手を焼いた朝廷は、新しい役人を派遣する。
 小野春風と、春雪の姿もあった。

 「相手を嫌って何も知ろうとしなかった、強くはなれない。
  自分と違う相手を認めた者だけが強くなれるんだ」
 
 
「空白の桶狭間」 加藤廣 新潮社 2009.3.25

 この著者の75歳のデヴュー作「信長の棺」には唸った。
 素晴らしい発想と思ったモノだ。

 次の「秀吉の枷」で秀吉の出自を独自に仮定した。
 この本は、その流れ(と、思う)

 「山の民」の秀吉が桶狭間を演出したと。
 お話としては面白いが・・・

 山の民といえば五木寛之の「風の王国」を思い出した。
 久しぶりに読んでみようか。
 

「きなりの雲」 石田千  講談社 2012.1.26

 第146回、芥川賞候補作という。

 ひらがなが目立った。
 それが、独特の雰囲気を醸し出している。

 ふられて傷ついて、でも少しずつ日常を取りもどして生きていく。
 さみ子の周りの世界が描かれている。
 私も好きな編み物の繋がりがあったからか、何となく親近感だ(笑)

 今回の芥川賞と直木賞の読後感が良くなかったせいか、
 こっちの主人公の方が、生き方としてよっぽど納得。

 『ひとの手は、貸すより、借りるほうが、ずっと勇気がいる。』
 
 そうだよなぁ・・・  
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人肌

2012-09-23 20:21:53 | 戀(こい)
朝晩は寒いくらいだ。
ようやく平年並みという。

昨夜、彼が出先からこちらに来た。
朝の電話は、電波状態が悪くて上手く聞き取れず、
予定が終わったとおぼしき時間になっても連絡が来なくて
来るのか来ないのか、来るとすれば何時頃になるのかヤキモキしていた。
待ちきれず電話したら繋がったのだが、その前に妻には連絡したと言う。
先に電話するに至った諸々の事情はわかるが、ちょっと落ち込んだ。

落ち込んでると、マイナス思考がグルグル(^^;
私に構わず自宅に戻れば? とか、会っても食事だけにしよう とか
まあ、色々考えるわけだ(笑)

駅で迎えた。
こんな風に出迎えるのは随分ひさしぶり。
まだお腹も空いてなく、隠れ家に向かった。

彼の疲れがわかる。
私の体調もイマイチだ。

ちょっとだけ一緒に休むつもりかとも思ったが
アッという間に一糸まとわぬ姿になり、彼の頭は私の身体の中心に。
壺を知り尽くしている彼の前に、私はひとたまりもない(*^^*)
さっきまでの落ち込みもモヤモヤも、雲散霧消してしまう。

ホンの数日前まではあまりに暑くて、エアコンが効いてないと
ひとつ蒲団でも、少し離れたりしていたが、
今は人肌が心地よい。

燃え上がり燃焼したせいではなく、私の息が普段より熱いと言う。
風邪のひきかけかもしれないと。
彼しか気づくことができない心遣いだ。
体調イマイチはそのせいかと、その気づきに感謝。

当然、今日も会った。
気にかかっていたことを済ませて、ホテルでマッタリ♪
ラブホはお盆以来。
かな~り前から馴染みの場所で、だいぶ薄汚れていたのが、
ベッドや内装などがリニューアルされて綺麗になっていた♪

今日もクッタクタになるまで互いを満喫 O(≧▽≦)O
心身共にエネルギー充填だ!!

ホテル出掛けに、いささか気になることがあり、
彼の出発間際にも、気を揉むことがあったが、
今は頭の片隅にとどめておこう。
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一気に秋

2012-09-21 12:31:58 | 日記
今朝は肌寒いくらいだった。
一昨日、今日と雨だ。

これまでならお盆過ぎに感じる季節の変わり目を
今頃感じている。

若い頃から、この変わり目にセンチメンタルでナイーブになった。
繊細というのではない。
心細くて神経質な気持ちになる。

たまたま、過去の事実を振り返ってしまい、
余計に心がざわついている。

もっとシャキッとしなくては。
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「つながりすぎた世界」

2012-09-20 09:17:24 | 
ある日突然、何の変哲もない自分の「今」が街角の画面に流れる・・・
そんなSFがあったと記憶する。
詳細な個人情報を集めると、如何にもありそうなシーンにゾッとしたものだ。

恐らくデート中なのに、それぞれ携帯に見入っているカップルも多い。
ヒトとヒトとの生の触れ合いに費やす時間が少なくなっているように思う。
インターネットはもはや、なくてはならないが
このままでいいのだろうかと焦燥感すら覚えていて、この本に飛びついた。

筆者は1950年代に大学生、インテルなどに勤務し、コンピュータの発展とともに生きてきたと言っても過言ではない。
その彼が歴史を紐解き、警鐘を鳴らしている!!

副題は、
インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか。

 著者:ウィリアム・H・ダビドウ
 訳者;酒井泰介
 2012.4.19 ダイヤモンド社

原題は OVERCONNECTED (2011)
The Promise and Threat of the Internet

実に興味深く読んだ。

まずは訳者あとがきから、著者の分析・立論・主張をまとまる。
 
 物事には因果性・連鎖性があり、つながりを強化すると自己増殖的に反応が進む。ある程度までは
それが効率を高め、ひいては生産性の改善や透明性の向上につながる。だが物事の連鎖性を強めすぎると、
爆発的に連鎖反応が起こり、もはや手がつけられなくなる(「正のフィードバック」)。
この事態を避けるには、好ましい結果を得られる程度に変化を制御(「負のフィードバック」)しなければならない。
フィードバックの増強要因(それを強める原動力)は結合性そのものである。これを増強する制度や技術は、
いずれ連鎖反応の暴走を招きかねない。インターネットはそんな技術の最たるもので、情報のやりとりを
非常に容易に、また低コストかつ瞬時にすることで、人間の手に余る暴走的連鎖を引き起こすツールになりつつある。
金融破壊やその結果が思いがけないほど広範に及んでいることなどは、その災禍の具現である――

 著者はそんな診断に対し、フィードバックを減衰させたり遮断したりする効能を求めて、結合性を低下させるという
処方箋を書く。人間の処理能力には限界があり、今日の制度の複雑さ、技術の高度化、情報処理の速度の速さは、
もはや人知の及ぶところではなくなているので、いずれなんらかの歯止めが必要というわけである。そして、
その議論を敷衍して、管理不能なほど複雑な制度や気候なら、いっそはじめからつくらないほうがましと論ずる。
 難しいのはその程度と方法である。

 著者は結合性そのものを論じているが、チャールズ・ペローは、問題は結合性ではなく、
結合がもたらす爆発的かつ破滅的な結果を予防するための帰省が十分かつ適切に設計・配置・動員されていないことなのでは、と問いかける。
 とはいえ2人とも、複雑過ぎて人間の能力によっては暴走時に制御不能にいたるような(そして、その災禍が
取り返しがつかないほど深刻な事態を引き起こすものである場合はなおさら)機構や装置は、
最初からつくるべきではないという同じ結論に達している。

ペローは、原発についても同様に論じている。

さて、本文に移ろう。
まず「正のフィードバック」も「負のフィードバック」も工学的な意味合いで用いている。
すなわち正(ポジティブ)のフィードバックとは「ある変化がさらなる変化を促す」という意味であり、
結果の望ましさは感化以内。正のフィードバックこそが過剰結合を引き起こすもっとも重要な要素。
負(ネガティブ)のフィードバックという言葉も工学的には特に批判的な意味合いはなく、単に安定状態を示す用語。
ある変化が緩和あるいは中和され、環境のバランスが保たれるとき、「負のフィードバックが働いている」という。
空調の自動調整など。

2008年の深刻な世界経済危機の原因は「インターネットという名の非常に緻密に張りめぐらされた情報網」
と、著者は断言する。

1966年、国防省のボブ・テイラーが自分のオフィスに設置された3台のコンピュータが互いにつながってないことに不満をもち、上司を説得して100万ドルのコンピュータ網の研究予算をとりつけた。当初の構想は、米軍のコンピュータ科学者や技術者たちが貴重なコンピュータ資源を共有できるようにしたいというささやかなものだった。
1968年、ネットワークの構想が1枚の紙にイラストにまとまった。イラストを描いたのはラリー・ロバーツ。
このネットワークの情報伝達にはパケット交換という方式が考案された。メッセージを均質な「パケット」と呼ばれる部分に分解し、それぞれにアドレスを付し、ネットワーク内へと送り出すというもの。パケットはおおむね正しい方角に向けて発信され、その瞬間に利用できる最短のルートを通って目的の相手の元へ届く。ひとつのメッセージを構成する個々のパケットが別々のルートを通ることもあり、到着地でまた読めるように組み立てられる。
1973年、現在のインターネットの技術標準になっているTCP/IPという通信標準が定められた。このプロトコルを開発したのは、ビントン・G・サーフとロバート・カーン。ネットワークを介してパケット単位に細切れになったデータをやりとりする標準的な方法。
一定量のデータを封筒に入れてネットワーク経由で世界中どこにでも送れるしくみが出来上がった。中継するネットワークは、郵便の仕分け係と同様、中味を見ることなく封筒の表書きによってどんどん受け渡していく。
データがどんな種類のネットワークかもどのくらいの容量かも関係なく、また情報の種類やコンピュータの機種も問わず、ネットワークどうしてデータを共有できる。
1980年代、オックスフォード出身のティム・バーナース=リーが頭脳の働きを同じように連想的にドキュメントにアクセスできるようにとプログラムを書き始めた。ハイパーテキストと呼ばれる技術である。単語や語句をハイライトし、頭から順に読んでいかなくてもハイライトされた語句や単語に別のドキュメントを非階層的に接続できる仕組みだ。また、個々のドキュメントにアドレスを付与して独立したページにするようにもした。バーナース=リーはこのシステムを「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」と名づけた。
初のウェブサーバが起動したのは1990年のクリスマス、リー自身のデスクトップ上だった。その後、世界中のコンピュータ技術者がカーソルを合わせてクリックするタイプのブラウザを開発し、インターネットの使い勝手を向上させていった。

産業において、基本的にインターネットがやっていることは、「動きの速い企業と反応が遅い環境とを結び付ける」ということ。
あらゆる個人情報が狙われ、思考感染を促す。
人には、自分の政治信条に合うメディアにひきつけられる傾向があること広く知られるところだ。共有する感慨が集まり、意見が先鋭化していく。
安全装置をつくることでかえって、システム全体を危険にさらしてしまうこともある。
金融の世界で「モラルハザード」に陥るようなもの。
モラルハザードとは、いざとなったら誰かが助けてくれると当て込んで過大なリスクをとってしまう行動。

アダム・スミスの悲観説にも納得だ。
人間の道徳観の下にはより根深い利己心が救っており、利己心はあまりにも深い本省なので、普段はそれに目を向けようともしない。「もし明日、自分の小指を喪うとわかっていれば、人は心配で夜も眠れないだろう。だが無数の同胞の災難も、自分が見ずにすむのなら、高いびきで眠ることだろう」

ではどうするか。
歴史を巻き戻すことはできないし、仮にできたとしてもそうしようとは思わないだろう。殻に閉じこもるわけにもいかない。われわれは自分たちがつくりもしないもの、持ってもいない資源をほかの場所に依存しすぎている。

過剰結合のリスクを理解した今、やらなければならないことは三つある。
1.正のフィードバックの水準を下げ、それが引き起こす事故を減らし、思考感染を緩和し、予期せぬ結果を全体的に減らす。
2.より強固なシステムを設計し、事故が起きにくくする。
3.すでに存在する結びつきの強さを自覚し、既存の制度を改革してより効率的かつ適応度の高いものにする。

そして
1.応急処置で大失敗が防げるという自己欺瞞に陥らない。
2.安全域を広めにとる。
3.不必要な結びつきをつくらないように注意する。
4.そもそも本質的に危険なシステムをつくらない。


ネットの恩恵は十二分に感じているし、ネットで広がった交友関係もあるが、
PCの前で費やす時間の多さや、依存とも言えるほどの広がりに
危惧感を持っていたので、実に興味深く読んだ。
やはり、フェイスブックに登録しようとは思わないし、
仮に通販で買い物してもクレジットカードの番号を入力したくはない。
生身の付き合いや、顔の見える商取引を大切にしたいと思う。 

因みに、例により図書館から借りて読んだ。
私がリクエストしたのと図書館が注文したのと、どっちが先だったのかわからないが
最初に借りることができた。

ところが、この夏の暑さで中々読み進むことができず、3度も借り直したのだった。
6週間も借りていたことになる。
返す都度、もし予約があるなら他の方が読んでからお借りすると伝えていたのだが
他の予約は入っていなかった。
残念だ。
もっと、もっと、多くの人々に読んで欲しい!!
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行き当たりバッタリ、ミニトリップの続き

2012-09-19 10:23:13 | 旅行
ちょっと郊外へ、のつもりが
思いがけず、遠出となってしまった16日。

天童に着く前に既に真っ暗だった。

山形の街は、中心部だというのに人影が少ない。
地方都市はどこも同じようなものだが。

彼が目指していたお蕎麦やさんの内、1軒が営業中と確認してから
もう1軒を探した。
一方通行をグルグルまわったが、見つからない。
見つけておいた店に入った。

ラストオーダーまで、少し間があってホッとした。
注文したのは勿論、板ソバだ。
蕎麦街道で何度か食べたソバよりは、ツルンとしてた。
特に美味しいという程ではないが、食べやすくてまあまあというところ。

地理に明るい彼がずっと運転していて、ちょっとお疲れ気味だった。
高速で一気に戻るつもりと思いきや、
せっかくだから、温泉に入ろうと言う。

高速を途中で下りた。
アレッ、目的地に向っていないようだ。
途中で間違えたらしい。

引き返そうとしたとき、聞いたこともない温泉施設の看板を発見!
取り敢えず向ってみた。
到着が8時55分頃。
10時までやっているという。
入ってみることにした。

こじんまりしていて、露天風呂もないけれど、施設はきれいだ。
女湯はちょうど、入っていた人々が出る時分で貸切状態♪
ゆっくり浸かったが、男湯からは賑やかな声が聞こえる。
彼は落ち着かなかったようだ(^^;
それでも温泉に入ることができて良かった♪

見知った道に出た。
こんな時間は渋滞と縁が無いはずで、一路、戻るだけだ。
ところが、何度か訪れた公園近くで大渋滞に引っかかった。

人家もないところなのに、ゾロゾロ歩く人がいる。
若者が多い。
車の窓をあけ、何があったのか聞いてみた。
様々なバンドが集まってのライブがあったとのこと。
調べたら、若者にはかなり人気のバンドが集合していたらしい。
数え切れないほどのバスが来ている。

市内まで渋滞が続くかと覚悟したら、間もなくスイスイ走れるようになった。
途中から高速に向う車が多かったらしい。

どうにか11時前に到着した。

そもそも渋滞を避けて進路変更した私たち。
思いがけず、ちょっと長距離のドライブになった。

天童でお風呂に入らなかったから、お蕎麦屋さんの開店時間に間に合ったし、
道を間違えて、新しい温泉を知った。
結果オーライだ(笑)
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