ある日突然、何の変哲もない自分の「今」が街角の画面に流れる・・・
そんなSFがあったと記憶する。
詳細な個人情報を集めると、如何にもありそうなシーンにゾッとしたものだ。
恐らくデート中なのに、それぞれ携帯に見入っているカップルも多い。
ヒトとヒトとの生の触れ合いに費やす時間が少なくなっているように思う。
インターネットはもはや、なくてはならないが
このままでいいのだろうかと焦燥感すら覚えていて、この本に飛びついた。
筆者は1950年代に大学生、インテルなどに勤務し、コンピュータの発展とともに生きてきたと言っても過言ではない。
その彼が歴史を紐解き、警鐘を鳴らしている!!
副題は、
インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか。
著者:ウィリアム・H・ダビドウ
訳者;酒井泰介
2012.4.19 ダイヤモンド社
原題は OVERCONNECTED (2011)
The Promise and Threat of the Internet
実に興味深く読んだ。
まずは訳者あとがきから、著者の分析・立論・主張をまとまる。
物事には因果性・連鎖性があり、つながりを強化すると自己増殖的に反応が進む。ある程度までは
それが効率を高め、ひいては生産性の改善や透明性の向上につながる。だが物事の連鎖性を強めすぎると、
爆発的に連鎖反応が起こり、もはや手がつけられなくなる(「正のフィードバック」)。
この事態を避けるには、好ましい結果を得られる程度に変化を制御(「負のフィードバック」)しなければならない。
フィードバックの増強要因(それを強める原動力)は結合性そのものである。これを増強する制度や技術は、
いずれ連鎖反応の暴走を招きかねない。インターネットはそんな技術の最たるもので、情報のやりとりを
非常に容易に、また低コストかつ瞬時にすることで、人間の手に余る暴走的連鎖を引き起こすツールになりつつある。
金融破壊やその結果が思いがけないほど広範に及んでいることなどは、その災禍の具現である――
著者はそんな診断に対し、フィードバックを減衰させたり遮断したりする効能を求めて、結合性を低下させるという
処方箋を書く。人間の処理能力には限界があり、今日の制度の複雑さ、技術の高度化、情報処理の速度の速さは、
もはや人知の及ぶところではなくなているので、いずれなんらかの歯止めが必要というわけである。そして、
その議論を敷衍して、管理不能なほど複雑な制度や気候なら、いっそはじめからつくらないほうがましと論ずる。
難しいのはその程度と方法である。
著者は結合性そのものを論じているが、チャールズ・ペローは、問題は結合性ではなく、
結合がもたらす爆発的かつ破滅的な結果を予防するための帰省が十分かつ適切に設計・配置・動員されていないことなのでは、と問いかける。
とはいえ2人とも、複雑過ぎて人間の能力によっては暴走時に制御不能にいたるような(そして、その災禍が
取り返しがつかないほど深刻な事態を引き起こすものである場合はなおさら)機構や装置は、
最初からつくるべきではないという同じ結論に達している。
ペローは、原発についても同様に論じている。
さて、本文に移ろう。
まず「正のフィードバック」も「負のフィードバック」も工学的な意味合いで用いている。
すなわち正(ポジティブ)のフィードバックとは「ある変化がさらなる変化を促す」という意味であり、
結果の望ましさは感化以内。正のフィードバックこそが過剰結合を引き起こすもっとも重要な要素。
負(ネガティブ)のフィードバックという言葉も工学的には特に批判的な意味合いはなく、単に安定状態を示す用語。
ある変化が緩和あるいは中和され、環境のバランスが保たれるとき、「負のフィードバックが働いている」という。
空調の自動調整など。
2008年の深刻な世界経済危機の原因は「インターネットという名の非常に緻密に張りめぐらされた情報網」
と、著者は断言する。
1966年、国防省のボブ・テイラーが自分のオフィスに設置された3台のコンピュータが互いにつながってないことに不満をもち、上司を説得して100万ドルのコンピュータ網の研究予算をとりつけた。当初の構想は、米軍のコンピュータ科学者や技術者たちが貴重なコンピュータ資源を共有できるようにしたいというささやかなものだった。
1968年、ネットワークの構想が1枚の紙にイラストにまとまった。イラストを描いたのはラリー・ロバーツ。
このネットワークの情報伝達にはパケット交換という方式が考案された。メッセージを均質な「パケット」と呼ばれる部分に分解し、それぞれにアドレスを付し、ネットワーク内へと送り出すというもの。パケットはおおむね正しい方角に向けて発信され、その瞬間に利用できる最短のルートを通って目的の相手の元へ届く。ひとつのメッセージを構成する個々のパケットが別々のルートを通ることもあり、到着地でまた読めるように組み立てられる。
1973年、現在のインターネットの技術標準になっているTCP/IPという通信標準が定められた。このプロトコルを開発したのは、ビントン・G・サーフとロバート・カーン。ネットワークを介してパケット単位に細切れになったデータをやりとりする標準的な方法。
一定量のデータを封筒に入れてネットワーク経由で世界中どこにでも送れるしくみが出来上がった。中継するネットワークは、郵便の仕分け係と同様、中味を見ることなく封筒の表書きによってどんどん受け渡していく。
データがどんな種類のネットワークかもどのくらいの容量かも関係なく、また情報の種類やコンピュータの機種も問わず、ネットワークどうしてデータを共有できる。
1980年代、オックスフォード出身のティム・バーナース=リーが頭脳の働きを同じように連想的にドキュメントにアクセスできるようにとプログラムを書き始めた。ハイパーテキストと呼ばれる技術である。単語や語句をハイライトし、頭から順に読んでいかなくてもハイライトされた語句や単語に別のドキュメントを非階層的に接続できる仕組みだ。また、個々のドキュメントにアドレスを付与して独立したページにするようにもした。バーナース=リーはこのシステムを「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」と名づけた。
初のウェブサーバが起動したのは1990年のクリスマス、リー自身のデスクトップ上だった。その後、世界中のコンピュータ技術者がカーソルを合わせてクリックするタイプのブラウザを開発し、インターネットの使い勝手を向上させていった。
産業において、基本的にインターネットがやっていることは、「動きの速い企業と反応が遅い環境とを結び付ける」ということ。
あらゆる個人情報が狙われ、思考感染を促す。
人には、自分の政治信条に合うメディアにひきつけられる傾向があること広く知られるところだ。共有する感慨が集まり、意見が先鋭化していく。
安全装置をつくることでかえって、システム全体を危険にさらしてしまうこともある。
金融の世界で「モラルハザード」に陥るようなもの。
モラルハザードとは、いざとなったら誰かが助けてくれると当て込んで過大なリスクをとってしまう行動。
アダム・スミスの悲観説にも納得だ。
人間の道徳観の下にはより根深い利己心が救っており、利己心はあまりにも深い本省なので、普段はそれに目を向けようともしない。「もし明日、自分の小指を喪うとわかっていれば、人は心配で夜も眠れないだろう。だが無数の同胞の災難も、自分が見ずにすむのなら、高いびきで眠ることだろう」
ではどうするか。
歴史を巻き戻すことはできないし、仮にできたとしてもそうしようとは思わないだろう。殻に閉じこもるわけにもいかない。われわれは自分たちがつくりもしないもの、持ってもいない資源をほかの場所に依存しすぎている。
過剰結合のリスクを理解した今、やらなければならないことは三つある。
1.正のフィードバックの水準を下げ、それが引き起こす事故を減らし、思考感染を緩和し、予期せぬ結果を全体的に減らす。
2.より強固なシステムを設計し、事故が起きにくくする。
3.すでに存在する結びつきの強さを自覚し、既存の制度を改革してより効率的かつ適応度の高いものにする。
そして
1.応急処置で大失敗が防げるという自己欺瞞に陥らない。
2.安全域を広めにとる。
3.不必要な結びつきをつくらないように注意する。
4.そもそも本質的に危険なシステムをつくらない。
ネットの恩恵は十二分に感じているし、ネットで広がった交友関係もあるが、
PCの前で費やす時間の多さや、依存とも言えるほどの広がりに
危惧感を持っていたので、実に興味深く読んだ。
やはり、フェイスブックに登録しようとは思わないし、
仮に通販で買い物してもクレジットカードの番号を入力したくはない。
生身の付き合いや、顔の見える商取引を大切にしたいと思う。
因みに、例により図書館から借りて読んだ。
私がリクエストしたのと図書館が注文したのと、どっちが先だったのかわからないが
最初に借りることができた。
ところが、この夏の暑さで中々読み進むことができず、3度も借り直したのだった。
6週間も借りていたことになる。
返す都度、もし予約があるなら他の方が読んでからお借りすると伝えていたのだが
他の予約は入っていなかった。
残念だ。
もっと、もっと、多くの人々に読んで欲しい!!
そんなSFがあったと記憶する。
詳細な個人情報を集めると、如何にもありそうなシーンにゾッとしたものだ。
恐らくデート中なのに、それぞれ携帯に見入っているカップルも多い。
ヒトとヒトとの生の触れ合いに費やす時間が少なくなっているように思う。
インターネットはもはや、なくてはならないが
このままでいいのだろうかと焦燥感すら覚えていて、この本に飛びついた。
筆者は1950年代に大学生、インテルなどに勤務し、コンピュータの発展とともに生きてきたと言っても過言ではない。
その彼が歴史を紐解き、警鐘を鳴らしている!!
副題は、
インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか。
著者:ウィリアム・H・ダビドウ
訳者;酒井泰介
2012.4.19 ダイヤモンド社
原題は OVERCONNECTED (2011)
The Promise and Threat of the Internet
実に興味深く読んだ。
まずは訳者あとがきから、著者の分析・立論・主張をまとまる。
物事には因果性・連鎖性があり、つながりを強化すると自己増殖的に反応が進む。ある程度までは
それが効率を高め、ひいては生産性の改善や透明性の向上につながる。だが物事の連鎖性を強めすぎると、
爆発的に連鎖反応が起こり、もはや手がつけられなくなる(「正のフィードバック」)。
この事態を避けるには、好ましい結果を得られる程度に変化を制御(「負のフィードバック」)しなければならない。
フィードバックの増強要因(それを強める原動力)は結合性そのものである。これを増強する制度や技術は、
いずれ連鎖反応の暴走を招きかねない。インターネットはそんな技術の最たるもので、情報のやりとりを
非常に容易に、また低コストかつ瞬時にすることで、人間の手に余る暴走的連鎖を引き起こすツールになりつつある。
金融破壊やその結果が思いがけないほど広範に及んでいることなどは、その災禍の具現である――
著者はそんな診断に対し、フィードバックを減衰させたり遮断したりする効能を求めて、結合性を低下させるという
処方箋を書く。人間の処理能力には限界があり、今日の制度の複雑さ、技術の高度化、情報処理の速度の速さは、
もはや人知の及ぶところではなくなているので、いずれなんらかの歯止めが必要というわけである。そして、
その議論を敷衍して、管理不能なほど複雑な制度や気候なら、いっそはじめからつくらないほうがましと論ずる。
難しいのはその程度と方法である。
著者は結合性そのものを論じているが、チャールズ・ペローは、問題は結合性ではなく、
結合がもたらす爆発的かつ破滅的な結果を予防するための帰省が十分かつ適切に設計・配置・動員されていないことなのでは、と問いかける。
とはいえ2人とも、複雑過ぎて人間の能力によっては暴走時に制御不能にいたるような(そして、その災禍が
取り返しがつかないほど深刻な事態を引き起こすものである場合はなおさら)機構や装置は、
最初からつくるべきではないという同じ結論に達している。
ペローは、原発についても同様に論じている。
さて、本文に移ろう。
まず「正のフィードバック」も「負のフィードバック」も工学的な意味合いで用いている。
すなわち正(ポジティブ)のフィードバックとは「ある変化がさらなる変化を促す」という意味であり、
結果の望ましさは感化以内。正のフィードバックこそが過剰結合を引き起こすもっとも重要な要素。
負(ネガティブ)のフィードバックという言葉も工学的には特に批判的な意味合いはなく、単に安定状態を示す用語。
ある変化が緩和あるいは中和され、環境のバランスが保たれるとき、「負のフィードバックが働いている」という。
空調の自動調整など。
2008年の深刻な世界経済危機の原因は「インターネットという名の非常に緻密に張りめぐらされた情報網」
と、著者は断言する。
1966年、国防省のボブ・テイラーが自分のオフィスに設置された3台のコンピュータが互いにつながってないことに不満をもち、上司を説得して100万ドルのコンピュータ網の研究予算をとりつけた。当初の構想は、米軍のコンピュータ科学者や技術者たちが貴重なコンピュータ資源を共有できるようにしたいというささやかなものだった。
1968年、ネットワークの構想が1枚の紙にイラストにまとまった。イラストを描いたのはラリー・ロバーツ。
このネットワークの情報伝達にはパケット交換という方式が考案された。メッセージを均質な「パケット」と呼ばれる部分に分解し、それぞれにアドレスを付し、ネットワーク内へと送り出すというもの。パケットはおおむね正しい方角に向けて発信され、その瞬間に利用できる最短のルートを通って目的の相手の元へ届く。ひとつのメッセージを構成する個々のパケットが別々のルートを通ることもあり、到着地でまた読めるように組み立てられる。
1973年、現在のインターネットの技術標準になっているTCP/IPという通信標準が定められた。このプロトコルを開発したのは、ビントン・G・サーフとロバート・カーン。ネットワークを介してパケット単位に細切れになったデータをやりとりする標準的な方法。
一定量のデータを封筒に入れてネットワーク経由で世界中どこにでも送れるしくみが出来上がった。中継するネットワークは、郵便の仕分け係と同様、中味を見ることなく封筒の表書きによってどんどん受け渡していく。
データがどんな種類のネットワークかもどのくらいの容量かも関係なく、また情報の種類やコンピュータの機種も問わず、ネットワークどうしてデータを共有できる。
1980年代、オックスフォード出身のティム・バーナース=リーが頭脳の働きを同じように連想的にドキュメントにアクセスできるようにとプログラムを書き始めた。ハイパーテキストと呼ばれる技術である。単語や語句をハイライトし、頭から順に読んでいかなくてもハイライトされた語句や単語に別のドキュメントを非階層的に接続できる仕組みだ。また、個々のドキュメントにアドレスを付与して独立したページにするようにもした。バーナース=リーはこのシステムを「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」と名づけた。
初のウェブサーバが起動したのは1990年のクリスマス、リー自身のデスクトップ上だった。その後、世界中のコンピュータ技術者がカーソルを合わせてクリックするタイプのブラウザを開発し、インターネットの使い勝手を向上させていった。
産業において、基本的にインターネットがやっていることは、「動きの速い企業と反応が遅い環境とを結び付ける」ということ。
あらゆる個人情報が狙われ、思考感染を促す。
人には、自分の政治信条に合うメディアにひきつけられる傾向があること広く知られるところだ。共有する感慨が集まり、意見が先鋭化していく。
安全装置をつくることでかえって、システム全体を危険にさらしてしまうこともある。
金融の世界で「モラルハザード」に陥るようなもの。
モラルハザードとは、いざとなったら誰かが助けてくれると当て込んで過大なリスクをとってしまう行動。
アダム・スミスの悲観説にも納得だ。
人間の道徳観の下にはより根深い利己心が救っており、利己心はあまりにも深い本省なので、普段はそれに目を向けようともしない。「もし明日、自分の小指を喪うとわかっていれば、人は心配で夜も眠れないだろう。だが無数の同胞の災難も、自分が見ずにすむのなら、高いびきで眠ることだろう」
ではどうするか。
歴史を巻き戻すことはできないし、仮にできたとしてもそうしようとは思わないだろう。殻に閉じこもるわけにもいかない。われわれは自分たちがつくりもしないもの、持ってもいない資源をほかの場所に依存しすぎている。
過剰結合のリスクを理解した今、やらなければならないことは三つある。
1.正のフィードバックの水準を下げ、それが引き起こす事故を減らし、思考感染を緩和し、予期せぬ結果を全体的に減らす。
2.より強固なシステムを設計し、事故が起きにくくする。
3.すでに存在する結びつきの強さを自覚し、既存の制度を改革してより効率的かつ適応度の高いものにする。
そして
1.応急処置で大失敗が防げるという自己欺瞞に陥らない。
2.安全域を広めにとる。
3.不必要な結びつきをつくらないように注意する。
4.そもそも本質的に危険なシステムをつくらない。
ネットの恩恵は十二分に感じているし、ネットで広がった交友関係もあるが、
PCの前で費やす時間の多さや、依存とも言えるほどの広がりに
危惧感を持っていたので、実に興味深く読んだ。
やはり、フェイスブックに登録しようとは思わないし、
仮に通販で買い物してもクレジットカードの番号を入力したくはない。
生身の付き合いや、顔の見える商取引を大切にしたいと思う。
因みに、例により図書館から借りて読んだ。
私がリクエストしたのと図書館が注文したのと、どっちが先だったのかわからないが
最初に借りることができた。
ところが、この夏の暑さで中々読み進むことができず、3度も借り直したのだった。
6週間も借りていたことになる。
返す都度、もし予約があるなら他の方が読んでからお借りすると伝えていたのだが
他の予約は入っていなかった。
残念だ。
もっと、もっと、多くの人々に読んで欲しい!!