「脊梁山脈」 乙川雄三郎 新潮社 2013.4.20
装丁がシックで、新刊なのにそうとは見えない。
表紙の装丁に
Life is much more succesfully looked at from a single window,after all.
とあり、245ページにその科白があった。
ニック・キャラウェイという人の言葉だそうだ。
戦後を逞しく生きる佳江が言う。
「あなたのようにあらゆる可能性を考えてみるのもいいけど、
結局、人生はひとつの窓から眺めた方がほどよく見えるそうよ」
昭和21年の三月末に上海から復員した23歳の矢田部信幸。
復員兵専用列車で小椋康造と出会う。
豊橋で降りた小椋は山で暮らすという。
東京に着いた矢田部は、怪しげな飲み屋を営む佳江と出会う。
母とつましい生活をしていた矢田部に、おじの財産が譲られ、
働かなくても暮らしていけるようになった彼は
古来から連綿と続く木地師の作品や歴史をまとめることにする。
P142~
民族という呪縛の外から醒めた見方をすれば、国家とは自身を世界の中心に置いて、
自身に都合のよいように世界を眺めるための小さな見晴台にすぎない。小心な為政者にとって
外国人は邪魔であろう。しかしそこが成熟した国家でなければ彼らは一員として新しい
文化と体制を作れる人たちであり、古代の帰化人も様々な事情から海を渡り、日本という国を
作ることに深く関わってきたのではないかと思った。そのことに気付いたときから、
信幸はまったく別の意味で日鮮同祖という考え方を愉しむようになっていた。
古代に海を渡る事情は半島の政情と深く関わり、帰化人の多くは本国の乱を逃れた亡命者であり、
難民であったらしい。中には朝貢として日本に贈られる人もいた。しかし彼らは着実に
根を張り、日本人となって、あるときは外交に働き、あるときは母国と戦ったのである。
坂上田村麻呂も幕末を賑せた薩摩の島津家も帰化人の末裔だが、もはや日本人と言った方がふさわしい。
平安初期の氏族に限ればその三割近くが帰化系という数字が出るし、人口全体ではどこまで
膨らんでいたか知れない。当然、その血は歳月とともに広がり、我々を生んだのである。
P195
「こけし」の語源は紅い芥子坊主の意の「紅芥子」であろう。土地言葉の「こうすげ」や
「こげす」がそれで、鳴子では更に「坊主」とも呼ばれた。この「坊主」は形状を現す芥子坊主であり、
稚女の髪形にある芥子坊主のことでもあろう。江戸で「おけし」と言い、京坂では
「けしぼん」と言った。(略)幕末の仙台藩の文書に赤物師が商う木地人形を「こふけし」と
呼んだとあるので、木形子は赤くなくてはならない。
私は、「こけし」は「子消し」と思っていた。
亡くなった、亡くさざるを得なかった、そんな子どもの身代わりと・・・
秦氏や物部氏、蘇我氏の観点から古事記・日本書紀をとらえるとどうなるか、
確かに、編纂に当たっては、初めて日本・天皇という言葉を使った天武・持統と藤原氏の思惑が
強いわけで、蘇我氏は大王でもあったという見方は面白い。
蘇我氏や他の氏族の歴史を自らの系譜に改ざんするというのは、大いに有り得る。
P240
稲の穀霊である倉稲魂(うかのみたま)を祭る稲荷神社は秦伊呂具が創始し、代々秦一族が神官となって、
奉祀している。山城国風土記の逸文によると、稲を積んで裕福であった伊呂具が餅を弓の的に
したところ、白鳥となって飛び去り、山の峰で稲と化したので伏見稲荷の社名としたとあるが、
山に現れたように見えたのは木地師の畑であったかもれない。
記紀を深く読んだ矢田部は思う。
飽くまで半島からの越境者とみるか、日本人として日本を拓いた人とみるかで、その人の日本が変わる。
渡来から十数世紀も経て国民に皇国史観を押し付け、戦争に動員した国も日本なら、
帰化人に史書の編纂や外交や寺社の造営を頼りながら、民族固有の文化と産業を生み出したのも
日本である。その源流から強引に帰化人を外すことはできないように、純粋と思われてきた民族の源流にも彼らはいるのであった。国に固有の美質をいう国粋という言葉も、
もっと嫋やかで開放的でなければならない。
P270
書記が書き直した日本武尊の物語が天武を投影したものなら、大碓皇子と小碓尊のように
天智と天武は双子かもしれない。(略)旧辞の伝承からとられた倭の勇者の物語が嬌飾された
背景には、同じころ天皇をこの世の紙にしようとして「大王は神にしませば」と頻りに
歌わせた持統の存在があるように思う。歌からも分かるように大王から天皇号へ移行する
段階で、言い換えれば天皇は天武にはじまり、持統が藤原不比等とともに神格化し、
永久的にその血を引く天皇家を作るために万世一系の歴史を偽造したにすぎない。
そうか「生きる」が直木賞受賞作だったのか・・・
あれから十年、著者初の現代小説は、読み応え十分だった。
木地師を回る山行が宮本常一と重なった。
装丁がシックで、新刊なのにそうとは見えない。
表紙の装丁に
Life is much more succesfully looked at from a single window,after all.
とあり、245ページにその科白があった。
ニック・キャラウェイという人の言葉だそうだ。
戦後を逞しく生きる佳江が言う。
「あなたのようにあらゆる可能性を考えてみるのもいいけど、
結局、人生はひとつの窓から眺めた方がほどよく見えるそうよ」
昭和21年の三月末に上海から復員した23歳の矢田部信幸。
復員兵専用列車で小椋康造と出会う。
豊橋で降りた小椋は山で暮らすという。
東京に着いた矢田部は、怪しげな飲み屋を営む佳江と出会う。
母とつましい生活をしていた矢田部に、おじの財産が譲られ、
働かなくても暮らしていけるようになった彼は
古来から連綿と続く木地師の作品や歴史をまとめることにする。
P142~
民族という呪縛の外から醒めた見方をすれば、国家とは自身を世界の中心に置いて、
自身に都合のよいように世界を眺めるための小さな見晴台にすぎない。小心な為政者にとって
外国人は邪魔であろう。しかしそこが成熟した国家でなければ彼らは一員として新しい
文化と体制を作れる人たちであり、古代の帰化人も様々な事情から海を渡り、日本という国を
作ることに深く関わってきたのではないかと思った。そのことに気付いたときから、
信幸はまったく別の意味で日鮮同祖という考え方を愉しむようになっていた。
古代に海を渡る事情は半島の政情と深く関わり、帰化人の多くは本国の乱を逃れた亡命者であり、
難民であったらしい。中には朝貢として日本に贈られる人もいた。しかし彼らは着実に
根を張り、日本人となって、あるときは外交に働き、あるときは母国と戦ったのである。
坂上田村麻呂も幕末を賑せた薩摩の島津家も帰化人の末裔だが、もはや日本人と言った方がふさわしい。
平安初期の氏族に限ればその三割近くが帰化系という数字が出るし、人口全体ではどこまで
膨らんでいたか知れない。当然、その血は歳月とともに広がり、我々を生んだのである。
P195
「こけし」の語源は紅い芥子坊主の意の「紅芥子」であろう。土地言葉の「こうすげ」や
「こげす」がそれで、鳴子では更に「坊主」とも呼ばれた。この「坊主」は形状を現す芥子坊主であり、
稚女の髪形にある芥子坊主のことでもあろう。江戸で「おけし」と言い、京坂では
「けしぼん」と言った。(略)幕末の仙台藩の文書に赤物師が商う木地人形を「こふけし」と
呼んだとあるので、木形子は赤くなくてはならない。
私は、「こけし」は「子消し」と思っていた。
亡くなった、亡くさざるを得なかった、そんな子どもの身代わりと・・・
秦氏や物部氏、蘇我氏の観点から古事記・日本書紀をとらえるとどうなるか、
確かに、編纂に当たっては、初めて日本・天皇という言葉を使った天武・持統と藤原氏の思惑が
強いわけで、蘇我氏は大王でもあったという見方は面白い。
蘇我氏や他の氏族の歴史を自らの系譜に改ざんするというのは、大いに有り得る。
P240
稲の穀霊である倉稲魂(うかのみたま)を祭る稲荷神社は秦伊呂具が創始し、代々秦一族が神官となって、
奉祀している。山城国風土記の逸文によると、稲を積んで裕福であった伊呂具が餅を弓の的に
したところ、白鳥となって飛び去り、山の峰で稲と化したので伏見稲荷の社名としたとあるが、
山に現れたように見えたのは木地師の畑であったかもれない。
記紀を深く読んだ矢田部は思う。
飽くまで半島からの越境者とみるか、日本人として日本を拓いた人とみるかで、その人の日本が変わる。
渡来から十数世紀も経て国民に皇国史観を押し付け、戦争に動員した国も日本なら、
帰化人に史書の編纂や外交や寺社の造営を頼りながら、民族固有の文化と産業を生み出したのも
日本である。その源流から強引に帰化人を外すことはできないように、純粋と思われてきた民族の源流にも彼らはいるのであった。国に固有の美質をいう国粋という言葉も、
もっと嫋やかで開放的でなければならない。
P270
書記が書き直した日本武尊の物語が天武を投影したものなら、大碓皇子と小碓尊のように
天智と天武は双子かもしれない。(略)旧辞の伝承からとられた倭の勇者の物語が嬌飾された
背景には、同じころ天皇をこの世の紙にしようとして「大王は神にしませば」と頻りに
歌わせた持統の存在があるように思う。歌からも分かるように大王から天皇号へ移行する
段階で、言い換えれば天皇は天武にはじまり、持統が藤原不比等とともに神格化し、
永久的にその血を引く天皇家を作るために万世一系の歴史を偽造したにすぎない。
そうか「生きる」が直木賞受賞作だったのか・・・
あれから十年、著者初の現代小説は、読み応え十分だった。
木地師を回る山行が宮本常一と重なった。