「絶唱」 湊かなえ 新潮社 2015.1.17
そうか、この日に発行したのだったか…
20年前のあの日、テレビで観た映像に驚愕したが、傍観者でしかなかった。
何かしたいと思いつつ、義援金に協力するしかない不甲斐なさ、非力感…
4年前の3月、被害はなかったが、揺れを感じ、停電や物不足という意味では当事者だった。
とはいえ、深い喪失感を伴っているであろう被災者の気持ちは、慮んばかるしかない。
特に、お話聞きます隊のボランティアという人たちが苦手だった、との一文があった。
なんでも好きなことを言ってみて、で言われても、
なぜ、初対面の人にそんなことを言わなければならないのかわからなかった、と--
そうだよなぁ。
愚痴をこぼしたくてウズウズしてる人ならともかく、子どもには通用しないし、
ある程度の年になったら、ボランティアに感謝してるというような表面的な言葉しか出ないかも。
それはそれで事実だろうし…
様々な迷いや重石を胸にトンガを訪れた人々がいる。
トンガの人々は敬虔なクリスチャンだ。
彼らは言う。
死は悲しいことではない。悲しいのは別れであって、死ではない。むしろ、生きていることが試練であって、
イエス様と同じ世界に住むのにふさわしい人間になるために日々、鍛錬を積まなければならない。
つまり、死とはイエス様と同じ世界に住むことが許されたという証で、喜ばしいことなのだ。
だから、死は悲しむべきことではない。親しい人との別れは悲しいけれど、祈りをかかさずにいれば、
いずれまた同じ世界に住み、話したり笑い合ったりすることができるようになるのだから。
亡くなった滝本に最後にひどいことを言った、と、悩みから抜け出せない理恵子に、宗一が言う。
「謝ればいい。また滝本と会って、話ができるんだろ。滝本はクリスチャンじゃないけど、
宗教とか関係なく、だいたいみんなそういうところに行くんじゃないかな。だから、次に会ったときに、
謝るだけじゃなく、ちゃんと胸を張ってどんなふうに生きたかを報告できるように…お互いがんばろう
辛い避難生活を送っていたとき、トンガ人・セミシさんのおかげで、幸せな気持ちになれた
と言う杏子はシングルマザーで、5歳の娘・花恋とトンガにやってきた。
ゲストハウスを営むナオミも、その時ボランティアをしてて、セミシはナオミの夫だった。
作者は最後に自分のことを語る。
事実と物語の境目は、当然、不明だけれど…
震災当時、大学生だった。
大学時代が快適なのは、嫌いな人や合わない人を避けて生活できるからではないでしょうか。
自分のペースで生きていける、それが大学生だと思います。
そして震災時、被災した作者は、自分だけ安全なところに逃れ、友の安否確認を後回しにしてしまう。
親友の一人は圧死していたのに…
その事実を抱え、昇華できない…。
その後の巡り合わせと、時の流れで、少しずつ折り合いをつけていくしかないのか。
幼くても若くても、その時なりに「生きている」ということ、
一人ひとり、自分の人生を背負ってるということが、
スーッと染み込んでくるような作品。
そうか、この日に発行したのだったか…
20年前のあの日、テレビで観た映像に驚愕したが、傍観者でしかなかった。
何かしたいと思いつつ、義援金に協力するしかない不甲斐なさ、非力感…
4年前の3月、被害はなかったが、揺れを感じ、停電や物不足という意味では当事者だった。
とはいえ、深い喪失感を伴っているであろう被災者の気持ちは、慮んばかるしかない。
特に、お話聞きます隊のボランティアという人たちが苦手だった、との一文があった。
なんでも好きなことを言ってみて、で言われても、
なぜ、初対面の人にそんなことを言わなければならないのかわからなかった、と--
そうだよなぁ。
愚痴をこぼしたくてウズウズしてる人ならともかく、子どもには通用しないし、
ある程度の年になったら、ボランティアに感謝してるというような表面的な言葉しか出ないかも。
それはそれで事実だろうし…
様々な迷いや重石を胸にトンガを訪れた人々がいる。
トンガの人々は敬虔なクリスチャンだ。
彼らは言う。
死は悲しいことではない。悲しいのは別れであって、死ではない。むしろ、生きていることが試練であって、
イエス様と同じ世界に住むのにふさわしい人間になるために日々、鍛錬を積まなければならない。
つまり、死とはイエス様と同じ世界に住むことが許されたという証で、喜ばしいことなのだ。
だから、死は悲しむべきことではない。親しい人との別れは悲しいけれど、祈りをかかさずにいれば、
いずれまた同じ世界に住み、話したり笑い合ったりすることができるようになるのだから。
亡くなった滝本に最後にひどいことを言った、と、悩みから抜け出せない理恵子に、宗一が言う。
「謝ればいい。また滝本と会って、話ができるんだろ。滝本はクリスチャンじゃないけど、
宗教とか関係なく、だいたいみんなそういうところに行くんじゃないかな。だから、次に会ったときに、
謝るだけじゃなく、ちゃんと胸を張ってどんなふうに生きたかを報告できるように…お互いがんばろう
辛い避難生活を送っていたとき、トンガ人・セミシさんのおかげで、幸せな気持ちになれた
と言う杏子はシングルマザーで、5歳の娘・花恋とトンガにやってきた。
ゲストハウスを営むナオミも、その時ボランティアをしてて、セミシはナオミの夫だった。
作者は最後に自分のことを語る。
事実と物語の境目は、当然、不明だけれど…
震災当時、大学生だった。
大学時代が快適なのは、嫌いな人や合わない人を避けて生活できるからではないでしょうか。
自分のペースで生きていける、それが大学生だと思います。
そして震災時、被災した作者は、自分だけ安全なところに逃れ、友の安否確認を後回しにしてしまう。
親友の一人は圧死していたのに…
その事実を抱え、昇華できない…。
その後の巡り合わせと、時の流れで、少しずつ折り合いをつけていくしかないのか。
幼くても若くても、その時なりに「生きている」ということ、
一人ひとり、自分の人生を背負ってるということが、
スーッと染み込んでくるような作品。