どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

奈良県十津川村玉置神社へ 田辺市龍神村から県境まで

2019-07-23 19:09:53 | 日記
2018年7月31日、この日は、晴れ時々曇り一時雨の天気でしたが、
田辺市中辺路町から龍神村に入り、奈良県十津川村を目指しました。


龍神村柳瀬の国道425号と県道29号線の交差点から、中辺路方面へ300m程走った所に
虎ヶ峰林道開通記念碑が建っています。


記念碑の後ろ側ですが、光の加減で見えにくくなっています。


記念碑を側面から ここには、私設虎ガ峰林道組合 建設委員 
上山路村長 杉谷盛一 中山路村長 久保要三郎 と彫られています。


虎ヶ峰記念碑から国道425号、県道735号線を走り
前回の記事「田辺市龍神村殿原から三ツ又を走り、丹生神社へ」で紹介しました
安倍晴明に関する看板前を通過


県道735号線 龍神十津川線、なかなか味わいがあります。
前回は、この交差点を左折して三ツ又方面に行きましたが、今回は、直進します。


熊野本宮へ約1時間30分。こんな所から本宮まで行ける事にビックリしました。


林道 龍神本宮線の起点?近くに加財バス停があります。


田辺市龍神村 加財バス停


案内標識には、本宮への道案内が、十津川村までは、まだまだ遠い


加財バス停近くに大きな石碑があります。
元宮内大臣伯爵田中光顕潜伏之趾 と書かれていますが、詳しい説明などを記載した
看板等は、見当たりませんでした。これも立派な文化財なので残念に思いました。


元宮内大臣伯爵田中光顕潜伏之趾 の石碑には、昭和十一年五月 上山路村建之 とあります。


何らかの心情を詠んだ句なのでしょうが、読めません


石碑には 慶應元年正月廿八日避幕吏之嚴探潜入 と書かれていますが、
私には、読めないし意味も分かりませんが、
慶應元年(1865年)正月(1月?)廿八日(18日)に
何かあったのでしょう。

田中光顕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%89%E9%A1%95
ウィキペディア(Wikipedia)には、以下の記述があります。
…翌元治元年(1864年)には同志を集めて脱藩。のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。
第一次長州征伐後に大坂城占領を企図したが、
新撰組に摘発されたぜんざい屋事件を起こして大和十津川へ逃れる。

もしかすると十津川から当時の紀州(和歌山県)へ逃げてきた事を記しているのかも知れません。


この日、ヤマセミ温泉は、定休日でした。
紀州の秘湯「丹生ヤマセミ温泉館」は、丹生ノ川小学校(休校)を利用し
平成13年に開設された交流施設です。
http://www.ryujin-kanko.jp/contents/spa/yamasemi.html


グラウンドを囲むように建物があります。


木に少し隠れていますが、正面の建物が温泉施設です。








野猿があります。


対岸へ渡れます。


対岸から温泉施設側を写す


野猿索道施設とあります。


野猿利用の説明書きがあります。


案内板です。


ヤマセミ温泉を過ぎると県境が近くなってきました。


川沿いの細い道(県道735号線)を走ります。


林道 小又川丹生ノ川線 ここから小又川(国道425号)に繋がる道があるとは驚きです。
このまま写真右側の県道を進みます。


もう奈良県に入るまで民家は、ないだろうと勝手に思っていましたが、
ここで、これまでの木々の中を走っていた道でしたが、
突然、視界が開けて田畑や民家が見えた時は、ビックリしました。
「えっ?人が住んでいるの?」本当に驚きました。
素晴らしい景色に、この時、感動しました。


私が訪れた翌月の台風第20号により、龍神十津川線(龍神村丹生ノ川) は、
路側欠壊という大きな被害を受けました。この辺りも被害があったものと思われます。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/bcms/chiji/press/300828/300828_1.pdf


田辺市、本当に広いです。


和歌山県と奈良県の県境が見えてきました。


奈良県十津川村


ようこそ十津川村へ とある辺りが県境でしょうか?


ふり返って奈良県側から和歌山県側を写す


奈良県十津川村上湯川河俣


奈良県内の県道や国道を走ると、100m毎に設置されている標識です。
ここは、境界から100mの地点という事ですね。


廃屋になっていますが、かつては、人が住んでいたのでしょう。


県道735号線 龍神十津川線。これから広い広い奈良県十津川村を走ります。

ここからは、次回へ続きます。

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