どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

国道169号を北山村から奈良県橿原市まで北上する

2021-10-27 23:34:04 | 日記
10/24、相棒の原付バイクの修理がまだ終わっていませんが、
久しぶりに、北山村から国道169号を北上して大台ケ原へ行ってみようと思い走りました。


主な走行ルートは、白浜町→国道311号→田辺市本宮町→国道168号→新宮市熊野川町→
国道169号→北山村→国道169号→奈良県吉野町→国道169号→明日香村→国道169号→
橿原市→中和幹線→国道24号→奈良市→阪奈道路(県道1号線・府県道8号線)→大阪府大東市→
国道170号(大阪外環)→和泉市→国道480号→和歌山県かつらぎ町→国道24号→紀の川市→
国道424号→海南市→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜町
走行距離 約442㎞


いつもなら白浜近辺の写真からスタートしますが、思いっきり飛んで?
国道169号 新宮市熊野川町 九重(くじゅう)トンネル手前から写真は始まります。

九重トンネル手前にある温度計は、この時5℃
写真中央の右手にチラッと見えるのが、奈良県十津川村竹筒(たけとう)地区

川は、北山川ですが対岸は、三重県熊野市紀和町(旧:南牟婁郡紀和町)になります。



九重トンネル近くにある看板には、紀和町百夜月軌道等運搬施設とありますが、
百夜月と書いて「ももよづき」と読むそうです。
数年前まで、この付近に百夜月バス停もありましたが、今はありません(;^ω^)
この百夜月(ももよづき)という地名に興味を持ちましたが、
み熊野ねっと様のサイトに詳しい記載がありますので引用させて頂きます。
https://www.mikumano.net/setsuwa/momoyoduki.html


美しい尼僧に由来する地名

三重県熊野市紀和町花井(けい)に「百夜月(ももよづき)」という美しい地名があります。
北山川沿いにあり、現在でも対岸の和歌山県新宮市熊野川町九重(くじゅう)から
渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落です。2011年に無人となりました。


百夜月の地名の由来

そこには光月山紅梅寺という寺があった。
この寺には美しく若い尼僧がひとり住み、仏道修行に励んでいた。
尼僧は近隣の村の若者たちの憧れの的であった。

ひとりの若者が彼女に会って話をしたいと思い、
昼間では村人に知られては尼僧に迷惑になるので、夜に川を渡って会いに行こうと決心をした。
若者が夜、川を渡ろうとすると、山の上に顔を出してきた月があまりに明るく、
こんなに明るくては村人に知られてしまうとその夜は行くのを諦め、家に引き返した。
次の日もその次の日もそのまた次の日も、若者は尼僧に会いにいこうと川まで下りてきたが、
月明かりがまぶしく行くことができなかった。
「今晩で何度めだろうか」と若者が数えてみると、九十九夜めであった。
家に引き返し、母にそのことを打ち明けると、
母は「あの方は仏様をお守りしている方なのだから、お前が好きになってはいけない人だよ。
あのお月様の光は人々が悪さをしないようにいつも辺りを照らしているのだよ。
だから百夜通っても駄目だよ」と諭した。
それからこの土地を「百夜月」と呼ぶようになった。


周辺の地名も尼僧に由来

尼僧は仏の教えを広めるため、寺の宝物を近隣の村に分け与え祀ってもらおうと考え、
川下の村には花瓶を与え、川向の村には九重の重箱を与え、川向川上の村には竹の筒を与えた。
花瓶を与えられた村が花井と呼ばれるようになり、九重の重箱を与えられた村が九重(くじゅう)、
竹の筒を与えられた村が竹筒(たけと)と呼ばれるようになった。


み熊野ねっと様のサイトより引用させて頂きましたが、
現在、百夜月には誰も住んでいない上、いまでも陸路では行けないという陸の孤島ですが、
この百夜月という地名は、何らかの形で残して欲しいものと個人的には思います。
また、み熊野ねっと様に記載されている内容を看板等にして設置するだけで、
観光資源になるのではと思います(^^♪

運搬施設から百夜月を望む


先程の百夜月から北山村方面に進むと、奈良県十津川村竹筒(たけとう)地区

道路は、竹筒地区を通る国道169号

国道169号から下流の百夜月方面を望む

北山川 河川敷から百夜月方面を望む

北山川上流を望む

河川敷には、舟が係留されています。

竹筒(たけとう)地区 青空と山の緑、そしてまっすぐ伸びる道路が美しい

恐らく旧国道169号?の旧竹筒橋

旧竹筒橋

竹筒橋とありますが、何年に架橋されものか分かりませんでした。

奈良県十津川村竹筒から更に北山村へ走ると三県境の看板があります。
和歌山県、三重県、奈良県の三県が県境を接する場所です。

平成8年7月に国道169号 奥瀞(おくどろ)道路区間が開通する前は、
十津川村から北山村へ車で走り抜ける事は出来ませんでした。

写真右の上から2番目。開通前は、人が歩く程度の道しかなく、
私が子供の頃は、道路地図に赤い点線で描かれていた記憶があります。
詳しくは、下記の近畿地方整備局一般国道169号奥瀞道路をご覧下さい 
https://www.kkr.mlit.go.jp/plan/ippan/zigyohyoka/ol9a8v000000dfxl-att/13.pdf


写真の小松トンネル(734m:1988年10月)を抜けると、奈良県十津川村から和歌山県北山村に入ります。



小松トンネルを抜けたら北山村です。案内標識には、田辺93㎞ 新宮40㎞

2車線区間は、ここまで。ここから道幅が狭くなりますが、現在、奥瀞道路Ⅲ期工事が始まっています。
この区間が開通すれば、北山村へのアクセスも更に良くなります。

この深い谷間に橋を架けるんやぁ~

こういう山間部で工事に携わって頂いている方々には、
仕事でやっているとは言え感謝の気持ちが湧いてきます。
無事故でよろしくお願い致します。

北山村小松 Kitayama Village 和歌山県では、唯一の村となってしまいました。

奥瀞道路開通記念碑があります。
先程も述べましたが、この奥瀞道路1期区間が開通した事で、
和歌山県側から飛び地の北山村へ車で行く事が出来るようになったので、
大変大きな意味があります。

奥瀞道路開通

紀伊半島の中央部を流れる北山川と十津川が熊野川町宮井で合流し、
熊野灘に注ぐ熊野川は、古来よりこの流域住民の生活を潤す大河であり、
林産物等を流送する経済の大動脈でありました。
しかし、昭和三十年代、戦後日本復興のエネルギー政策として、
熊野川電源開発構想が浮かび上がり、いくつかのダム建設計画が発表されるに至り、
当時の北山村長高須治視氏が消えゆく河川搬路の代替として、
流域住民の意思を統一し、昭和四十三年から政治生命をかけ、
北山川右岸道路を実現するための運動を展開しました。
今でも建設省では「ベレー帽の国道村長さん」と語り草になっています。

ついにその熱意が通じ、昭和五十年右岸道路が国道一六九号として昇格、
昭和五十六年建設省直轄事業「奥瀞道路」として未開通区間が事業化され、
昭和五十九年起工、そして、平成八年七月第一期区間が完成し、
私たちの悲願であった瀞峡への通り抜けが可能となりました。

開通を迎えるにあたり先人、先輩の努力と、関係機関および促進に格別のご尽力、
ご高配をいただいた方々に感謝申し上げ、この道路が地域の発展に大きく貢献することを祈念し、
決意を新たにするものであります。

平成八年七月吉日 北山村長 三谷雄明

北山村は、和歌山県でありながら和歌山とは、長い間道路が繋がっていなかったという事を思うと
先人の強い熱意によって現状を打破し、今回の開通を迎えた事に
村の悲願であった事が文面に非常に強く現れていて、私自身、感銘を受けました。
しかも平成に入ってからというのも驚かされますが、
私も約50年生きて来ましたが、道路が良くなったのは最近だと感じている1人です。


国道169号 奥瀞道路Ⅲ期工事の完成が待たれます。



架設の橋が架けられています。山側には、トンネルが掘られるんでしょうね。

道の駅おくとろ

日本唯一の飛び地の村 北山村

3つの県が重なる三県境

案内板より

和歌山・奈良・三重の三県境は なんと5か所もあります!
北海道、佐賀県、長崎県、沖縄県を除き全国の43都道府県に三県境がありますが
同じ三県の県境は通常1ヶ所しか存在しません。
ところが、奈良県南部と三重県の県境である北山川に沿って、
和歌山県北山村と新宮市の一部の「飛び地」が存在するため、
和歌山、奈良、三重の三県境はなんと5か所もあるのです!
日本全国のどこにもこのような場所はありません。
雄大な自然の中で三県境を眼下に納め、
想像力を働かせればロマン溢れる地域の歴史に触れることができるでしょう。

「飛び地」のなりたち

和歌山県北山村は、村全体が飛び地になっている全国で唯一の珍しい村です。
北山は昔から良質の杉に恵まれ林業で栄えた地域で、
伐採された木材は、山間を流れる北山川を利用し筏(いかだ)に組んで
木材集積地である新宮城下まで輸送されました。

当時の北山は、人口の大半を筏師が占め、
新宮の木材業と筏師は切っても切れない関係で成り立っており、
行政上も紀州藩新宮領に属していました。

明治4年7月の廃藩置県後も、新宮とのつながりを重視した村民の意志により
和歌山県に編入されることになったと言われています。

また、現在は和歌山県新宮市となっている玉置口と嶋津も北山村と同様に
和歌山県に編入されることとなりました。

一説によると、大阪の役で戦功のあった藩政時代の十津川郷(現在の奈良県十津川村)が
天領として租税免除や苗字帯刀を許されたため、特権を得ようとした民が竹筒、
田戸の領地を北山川まで拡大し、土地が分断され飛び地になったともいわれています。

ただしこれには諸説があり確かなことはわかっていません。


道の駅おくとろ周辺

吉野方面へは、左折を促す路面標示が見えます。

国道169号は、このまま真っ直ぐ行くのですが、七色ダム付近から先は、とても狭くなるため
吉野・下北山方面へ行く場合、ここで左折して不動坂を越えます。

交差点には、不動バイパス開通碑が建っています。

不動バイパス開通

この道路は古くから「筏師街道」として熊野地域と吉野地域を結ぶ重要な街道でありましたが、
自動車の通行ができない通行不能区間となっており、
社会情勢の大きな流れの中で当路線の道路整備が大幅に遅れていましたが、
昭和六十二年当時の北山村長三谷雄明氏が、北山村、下北山村及び
近隣町村による不動バイパス促進協議会を発足し、
地域住民の協力のもと事業化に向けての運動を進め、
北山村においては昭和六十三年度、下北山村においては平成四年度に
道路改良事業として事業化されました。

不動トンネルについては、平成十二年度より建設省の
「交流ふれあいトンネル橋梁整備事業」として採択され、
和歌山県と奈良県により工事が実施され、
平成十五年十二月に開通のはこびとなりました。

このバイパスの開通により両村及び近隣市町村との交流はもとより、
観光をはじめとして地域の活性化におおいに寄与するものと期待しています。

平成十五年十二月吉日 北山村長 奥田貢


道の駅おくとろ方面を望む

不動バイパス開通碑の隣には「おやっ」何だろう?

六地蔵

七色の石幢(いしとう?せきどう?)(北山村七色)

この石幢には、銘文がありませんが、作風から室町中期で、
塔身を六角にし、それぞれの面に六地蔵を刻む、古い時代の六地蔵です。
作り方も古い様式を忠実に残し、破損も殆どなく、村内は勿論、
熊野地方に残る貴重な石造遺品です。
もと不動坂にありましたが、道路の開設で平成元年現在地に移しました。

えええっ!こんな山間部に室町時代の石造品があるなんて!
熊野の奥深さを感じてしまいます。

その隣には、享和四甲子正月?読み方が分かりませんが、
享和(きょうわ)四 年の正月とすれば、1804年
今から200年以上前になります。
山間部で、このような古い歴史に触れると衝撃を感じます。
しかも今の時代に遺っている事が奇跡です。

オンカカカビサンマエイソワカ
お地蔵さまへのお祈りの時に唱える言葉ですね。
前に田辺市中辺路町にある一願寺(いちがんじ)さんでも見た事があります。
文字は、サンスクリット語なのかなぁ?


少し長い坂道を登ってくると不動トンネルに着きます。

それじゃ北山村さようなら

不動トンネル 2038m 真っ直ぐな下り坂の長いトンネルです。

2003年7月 2038mのうち和歌山県内延長1294m

この道が村道である事に驚かされます。

和歌山県と奈良県の県境

不動トンネルを抜けると奈良県下北山村

村道不動線

再び国道169号に合流して吉野方面に向けて北上します。
ここは、下北山村前鬼(ぜんき)地区。この前鬼橋の向こうは、上北山村

写真より実際に見て頂くと、とても美しい橋です。

実は、下北山村池原地区には、大きな池原ダムがありますが、
(この橋の下付近は、池原ダムのダム湖になります)池原地区を走っていた時、
大台ケ原へ行くのを止めて国道425号を尾鷲市まで走ろうと思いました。
というのも、国道425号の下北山村から尾鷲市までの区間だけが、唯一走っていないため、
行こうとしましたが止めました。というか「坂本ダム付近で土砂崩れのため通行止め」と看板があり諦めました。
国道425号!来るものを拒むというか?なかなか通れない道ですね(^^ゞ

上北山村側から写す

上北山村にある道の駅吉野路上北山
ここで休憩

あれっ?前に来た時よりトイレがキレイになっている✨✨

道の駅にあるコンビニ(デイリーストア)で昼食を購入

眼下に北山川を眺めながらの食事は良いですね。
さて食事を済ませて、再び国道169号を走ると「おおおっ」新伯母峯トンネル手前に
新しいトンネル(仮称)伯母峯峠トンネルの工事に向けて橋梁工事が始まっていました。
さて新伯母峯トンネルを抜けて左折すると大台ケ原へ登っていくのですが、
気持ちが急に変わり、トンネルを抜けて、そのまま坂道を下る事にしました。
伯母峯からは、吉野川(紀ノ川)水系に変わりますが、
吉野川に沿って国道169号を吉野町方面に向かって走ります。

桜の開花時期でしたら吉野は、多くの観光客で賑わいますが、
秋ですが、観光客は多かったです。

案内板

吉野町から国道169号をさらに北上して、明日香村へ到着
大淀町から明日香村への国道169号は、初めて走る区間でした。
道の駅飛鳥

飛鳥駅前

道の駅飛鳥外観

店内の様子 地元の野菜や果物といった農作物が多く販売されていました。





古代米かぁ~飛鳥ならではですね。古代へのロマンを感じます。

あらまぁ~大きなカボチャが…
撮影は、ここまでです。

ここからは明日香から橿原市へ入り、当初は、このまま国道169号を北上して
奈良県庁まで走ろうと思いましたが、あまりの渋滞に諦めて
中和幹線から国道24号バイパスを走って奈良市へ向かいました。
そこからは、いつもの阪奈道路を走って、大阪府へ入り
国道170号(大阪外環)を走って、白浜まで走りました。

今回は、話題的には北山村についての紹介が多かったのですが、
和歌山県内も、まだまだ知らない所が多いですね。
このような歴史に触れる旅は、個人的には好きです。
次は、どこへ行こうかなぁ?(*´ω`)

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