5/25、今日は素晴らしい青空の広がるお天気でした。
少し風もあって相棒(原付バイク)と走るには絶好のツーリング日和でした。
田辺市栗栖川付近
新宮65㎞ 熊野川47㎞ 国道168号本宮34㎞
田辺市中辺路町 野々尻バス停から上空を見上げる
ちょっと分かりにくいかも知れませんが💦
快晴の青空に真っすぐ伸びる✈飛行機雲を暫く見上げていました。
野々尻バス停付近で人の気配を感じたのですが、案山子(かかし)でした(^^ゞ
中辺路町大川付近で気になる橋を発見
橋から富田川の上流部を写す。
橋の名前は小畑橋(おはたばし)と銘板がありました。
橋を渡るとこのような道ですが、久々に林道冒険✨をしようかなぁ~と思ったのですが、
何とここで急に🚻トイレに行きたくなりました。
しかも大きい方💦少し前に飲んだアイスコーヒーでお腹が冷えたのかなぁ…
まだ国道から、そんなに離れていなかったので、
急きょ道の駅まで走る事にしました。
ちなみに、この道を約2.2㎞進むと「ロータリー熊野の森」があるそうです。
道の駅熊野古道中辺路に到着
ふっ…やっと落ち着きました(^^♪
この時、道の駅前にある牛馬童子口バス停で、
バスから降りたハイカーの方々が熊野古道へと向かっていました。
牛馬童子まで800m
ここから坂道を上ると以前、紹介させて頂いた牛馬童子へと行けます。
今日は天気も良く、心地よい風が吹いていて絶好のツーリング日和です。
田辺市中辺路町 小広峠バス停近くの温度計を見ると
気温27℃
この小広峠からは、長い下り坂が続きます
今回、久しぶりに湯の峰温泉に寄りました。
湯の峰温泉は、山間部にある小さな温泉街。
温泉情緒が漂います。
湯の峰温泉案内図
拡大
川には多くの観光客の姿が見えます。
温泉も流れる川に足を浸している人もいました。
湯の峰温泉 公衆浴場
あれっ?以前(もう何年か前)、来た時はこんなキレイな建物ではなかったけど…
2022年(令和4年)4月23日(土)にリニュアルオープン。
★湯の峰温泉について、以下のサイトで詳しく紹介されています。
https://www.tb-kumano.jp/onsen/yunomine/
⇧田辺市熊野ツーリズムビューロー 湯の峰温泉
公衆浴場受付には外国人旅行客が並んでいました
旅館伊せや 創業 安永元年
安永元年?いつ?と思い調べてみると1772年でした。
今から約250年以上も前なんですね…
東光寺外観
湯の峰温泉といえば、つぼ湯ですね。
まだ入った事はありませんが…
つぼ湯について案内図から紹介
1800年前に発見されたという、
日本最古の温泉が湯の峰温泉。
93度の源泉が自噴し、その泉質の良さから、
小栗判官の蘇生物語など多くの伝説が残されています。
特に「つぼ湯」は参詣道の一部として
世界遺産に登録された小さな公衆浴場です。
卵が販売されています。
タマゴ専用枠
温泉卵が作られています。
🥚卵にとっては、よい湯加減なのでしょうか?(笑)
美味しいでしょうね(^^♪
温泉卵の近くにあるお地蔵さま:湯筒地蔵尊さま
湯筒地蔵 湯の峰温泉は成務天皇の御代(西暦二十三年)に
発見された日本最古の温泉です。
熊野詣の湯垢場(ゆごりば)として広く世に知られ
奈良・平安の昔より、奥熊野の「薬湯」として名高い温泉です。
湯の峰温泉の中央に位置する「湯筒」は、
九〇度の自噴泉が私達に恵を与えてくれています。
また湯の峰温泉は「子宝の湯」ともいわれ、
多くの方がこの温泉に入って子宝をさずかっています。
この地蔵尊を別名「子宝地蔵」と呼んでいます。
私達は、この尊い恵に感謝してこの地蔵尊を建立しました。
昭和六十年七月吉日 小栗会
湯の峰温泉街で発見!
と言っても以前来た時にも見ていますが💦
内湯 民宿 やまね
私だけかなぁ?つい自分と同姓だと親近感を感じてしまいます。
熊野古道 赤木越の案内
県指定史跡 磨崖名号碑(まがいみょうごうひ) (伝一遍上人名号碑)
昭和42年4月14日指定
自然露見した巨大な岩盤に梵字(ぼんじ)・名号(みょうごう)を大書した史跡で、
高さ2.8m 幅2.4mの大きさである。
月輪(がちりん)の中に阿弥陀三尊(あみださんぞん)の梵字
(古代インドで使われた文字)、
その下に蓮台にのる六字名号が薬研彫(やげんぼ)りされている。
時宗の開祖である「一遍上人(いっぺんしょうにん)の爪書(つめがき)」の遺跡とされているが、
断定はできない。
田辺市教育委員会
石碑があります
うっすらと文字が見えます
拡大しても私には、何て書いているのか分かりませんが、
上記案内によると阿弥陀三尊とのこと。
不思議ですね?どうやって彫ったのかなぁ?
爪書とされていますが、私の爪では岩に文字など彫れませんけどね(笑)
https://www.hongu.jp/onsen/yunomine/
⇧熊野本宮観光協会
こちらのサイトに爪書について紹介されています。
以前、湯の峰温泉に来た時は気が付きませんでした。
相棒(原付バイク)と一緒に、ゆっくりと時間をかけて走っているからこそ、
こういう発見や出会いが出来ると嬉しくなります。
湯の峰温泉街から今度は、熊野本宮大社へ向かいます。
大型車全面通行止 となっていますが、原付だと何ら問題ありません。
そのまま進みます。
湯の峰温泉街から坂道を上った峠付近に車塚を発見
えいさらえい、えいさらえい、えいさらえい
小栗を乗せた車は、相模の国から紀伊の国湯の峰へ
「一引ひけば千僧供養、二引ひけば萬僧供養
南無阿弥陀仏、一遍」
と記した土車(土を運んだ木車)を村人は
一遍上人の徳を偲んで村境まで引いたとある。
目、耳、口もきけず、手足も不自由な身の小栗を乗せた土車は
鎌倉街道、東海道、南海道、小栗街道を相模、青墓、
近江、京都、難波そして紀伊の国・湯の峰へと
照手姫と共に難渋な長旅を続けたとある。
小栗、照手は、霊泉に浴しながら熊野権現に身の快方を願い
一心に祈り続けること百日余り、熊野権現の加護と薬湯の効あって
みごと本復し、この地に車を埋めたと伝えられる。
本宮町 本宮町観光協会
★文字が かすれているため将来的には消えてしまいそうです。
車塚全景
車塚旧跡地 石碑
さて私もやっと熊野本宮大社に到着
熊野本宮大社
参道の石段をあがります
熊野坐神社(くまのにますじんじゃ) 旧社(大斎宮 おおゆのはら)水害前の絵図
紹介文
黒い八咫ポストの案内
案内を読みながらハガキの意味の原点を知りました。
黒い八咫ポスト
八咫ポストの案内文
ここから先へお詣りさせて頂きます。
熊野本宮大社では、境内でボッ~と座って参拝される人々の様子を見たり、
小鳥のさえずりや風に揺れる木々、太陽の光が眩しく反射する様子などを
眺めていました。さて、そろそろ次の目的地、三重県熊野市の
花の窟神社へと向かいます。
https://www.hongutaisha.jp/
⇧熊野本宮大社ホームページ
現在、奈良県十津川村竹筒地区を走っていますが、
奈良県を走るのはホンの数分です。
案内標識の右上をご覧頂くと奈良県独自の方角マークがあります。
奈良県を走って再び、和歌山県に入ります。
振り返ります
和歌山県と奈良県の県境
次は、和歌山県から三重県に入ります。
三重県に来るのは久しぶりです。
北山川に架かる県境の橋 瀞大橋を渡ると三重県です。
三重県に来ると少し雲が出てきましたが、それでも晴れの良い天気です。
瀞大橋を渡たって三重県に入りました
ここから国道311号を熊野市街まで走ります
熊野市の市街地を走る国道42号を走っていると紫陽花(あじさい)が咲いていました。
もう、そろそろ梅雨の季節かなぁ~
紫陽花と共に相棒(原付バイク)を撮影
紫陽花の撮影場所から松阪123㎞ 尾鷲35㎞
また機会を見て松阪市方面に走りたいと思います。
今日の最後の目的地 熊野市にある花の窟(はなのいわや)神社に到着
神社の紹介文
鳥居から振り返ると石碑が見えます
右 くまのさん と見えます
熊野市指定文化財
有形民俗文化財 口有馬道標
一 石碑 高さ九十一センチメートル 幅 二十七センチメートル
二 切付文字「 くまのさん 右 道 *志ゆんれい 」とあり、
上部の一角は欠け、建立年月日の切付けは見られない。
*志の右上に゛あり
道しるべは本来「右」「左」と示すが、
熊野三山、西国巡礼はここから右に曲がって行くべしという指示のみ刻む。
右へ曲がらず眺めのよい松林道を真っすぐに行くと、
行く手に志原川が海に注ぎ、橋もない当時は渡し舟が上流にあったものの、
渡し賃を節約し波打ち際を渡ろうとして、
高波にさらわれる人も多かった。
かつての志原川西岸の松林には十四基の無縁墓碑が並んでいたという。
ここ、花の窟の前は本宮道と浜街道の分岐点で、
人々はともすれば風光明媚な浜街道を選んでしまうため、
安全な道は有馬村本街道に廻るように道しるべを建て警告したもので、
地元の人たちの他国から来る旅人を思いやる心情がうかがえる。
指定 平成十一年一月二十八日
熊野市教育委員会
この碑文を読みながら「昔の旅は本当に命がけだったんだなぁ~」と改めて感じました。
また、渡し賃を節約…という心情は、時代が違えど理解出来ます。
お金が少なくても、私を旅に連れて行ってくれる相棒(原付バイク)の存在は、
とても頼もしいです!(^^)!
この石碑ですが、花の窟神社は、これまでに何度か来ていますが、
今まで気付きませんでした(T_T)
どうして気付かなかったのかなぁ?
恐らくこれまでも視界には入っていたけど気にも留めなかった…
よくある事かと思います。
年齢を重ねた事で気付く事、自分自身の心境の変化、
目線等の動きがゆっくりになった等、
理由は様々ですが、これからも大きな発見だけでなく、
このような小さな発見に喜びを感じられる人生を歩めたらと思います。
西国巡礼も書かれていますが、これまでに「西国三十三所」巡礼の旅を
数ヶ寺ですが訪れた事があります。
行った所を思い出してみましたが、
その時は、御朱印帳を持って、白衣を着用お傘を被ってという
本格的なものでありませんが、普段着で相棒(原付バイク)と一緒に
バイクに乗れなくなる前に💦周ってみようかなぁ?とも思いました。
ちなみに訪れた所は、8ヶ所のお寺と岩間寺は行ったかどうかハッキリしません((+_+))
第三十三番 谷汲山 華厳寺、
第三十二番 繖山 観音正寺、
第二十四番 紫雲山 中山寺、
第二十三番 応頂山 勝尾寺、
第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺、
第十六番 音羽山 清水寺、
第十五番 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺)、
第十四番 長等山 三井寺、
第十三番 石光山 石山寺(前の道を通っただけ💦)、
第十二番 岩間山 正法寺 (岩間寺)記憶が定かでない、
白浜から一番遠い岐阜県の第三十三番 谷汲山 華厳寺を訪れていますが、
車ではなく原付でもう一回行けたらと思います。
その時は、白衣を着て原付に乗って走るのも楽しそう✨✨
しかし地元、和歌山県内のお寺を訪れていない事に気付き、
先ずは青岸渡寺からですね。
さて、いつになることやら( ´艸`)
https://saikoku33.gr.jp/
⇧西国三十三所 巡礼の旅
花の窟神社前の石碑から、こんなにも話が膨らむなんて…
話しが逸れましたが、鳥居から境内へと入って行きます
参道を歩きます
近くなってきました。
左手に大きな丸い石があります(^^♪
大昔からここに鎮座されているんですね。
何となく注連縄(しめなわ)が、ねじり鉢巻きに見えてカワイイです。カワ(・∀・)イイ!!
丸石神(玉石)信仰
古来より丸石には聖なる神霊が、宿るとされている。
自然崇拝の原点として丸石神信仰となり、
日本各地に拡がり道祖神と共に多く見られます。
当神社の丸石は南紀熊野地方では、最も大きく、
イザナミ尊御神体より分霊の如くころがり来て
此処に鎮座したと伝えられている。
人々の悩みや病を癒やす御利益があるとされている。
参拝の仕方手順
一、まず一礼 次に自分の体(患部)を両手で撫でる
一、次にその手で丸石様を優しく大きく撫でます。
一、再び、その手で自分の患部を撫で柄杓(ひしゃく)にて、
手水一杯の水をくみ丸石にかけ御祈念を込め合掌拝礼を致します。
健康な方も撫でて元気力を戴いて下さい。
花窟神社
大きな岩には、所々に穴が開いているのですが、
地面から比較的低い位置にも穴があり、
穴の中にお賽銭が置かれています。
久しぶりのお詣りとあって、穴の中に両手を入れて念じて見ましたが、
心臓がドキドキ💓💓と心拍数が上がる⤴のを感じたので、
今の私には、この強いエネルギーに耐えられないので手をそっと外しました。
とても大きな岩で見上げてしまいます。
祭神 軻遇突智尊(かぐつちのみこと)
ここで靴を脱いで参拝されている小さな子供さんを連れた親子を見かけました。
お父さんが子供さんにお詣りの仕方を説明されている光景に
「何と素晴らしい!」このような事を学んだ子供さんは、
大人になってもきっと覚えていると思います。
ご家族に幸あれと願わずにはいられませんでした(*´ω`*)
https://www.youtube.com/watch?v=MBYAkV2_8yE
⇧YouTube【世界遺産】日本最古の神社「花の窟」【三重県熊野市】
花の窟神社を後にして、帰路に就く事にしました。
白浜へは、国道42号をそのまま新宮、串本経由で帰る道もありますが、
私は国道42号の立石南交差点を右折して国道311号から白浜へ走ります。
その立石南交差点の手前に、立石交差点があるのですが、
なぜかこの時、ここで右折するように頭に浮かんだので
そのまま右折すると写真の石碑を見つけました。
大昔の人は、この石碑を頼りに旅をされたんですね
熊野市指定文化財
史跡 立石の道標
高さ約一メートルのひとかかえの自然石で
「右はほんぐう 左はじゅんれい道」と記され
裏に「文政三年七月立」の切付がある
「昔の人は花の窟に参拝し板屋越という所を通って
音無郷に出て大和国に帰った・・」と熊野巡覧記に載っている
昔の人は伊勢神宮に参拝のあとなんぎをしながら
何日もかかってここにたどりつき
ここから熊野三山に向かった
その古道の分かれ道で本宮へ急ぐ人と
那智山へ参拝する巡礼とがここで別れた
この道標は旅する人にとっては重要なめじるしであった
指定 昭和五十二年七月二十七日
熊野市教育委員会
今日は、色んな発見をする日だなぁ~と思いました。
この地域が立石というのも、この道標からきているのでは?とも思ったりして、
地名の成り立ちについて想像してみたりと楽しかったです。
熊野市からの帰り道、中辺路町にある小広峠にある温度表示を見ると16℃
先程の日中は27℃もあったのに、10℃以上気温が下がっています。
田辺市鮎川地区まで下りてくると19℃
山間部と平地では温度差がある事がわかりますが、
海沿いに行くと温度が違う場合もあります。
このような気温の変化は、車に乗っているとなかなか分かりませんが、
相棒(原付バイク)と走っていると気温差が体感的にわかります(^^ゞ
さて今回は、お詣りを中心にしたブラリ旅になりましたが、
また機会を見て走りたいのですが、そろそろ梅雨入りかなぁ?
梅雨になると中々、走りにくくなりますが、
それでも合間を見て短時間でも走れそうだったら
相棒(原付バイク)と一緒に走りたいと思います。
ここまで長文お読み頂き、ありがとうございます。
おつかれさまでした(*´ω`*)
少し風もあって相棒(原付バイク)と走るには絶好のツーリング日和でした。
田辺市栗栖川付近
新宮65㎞ 熊野川47㎞ 国道168号本宮34㎞
田辺市中辺路町 野々尻バス停から上空を見上げる
ちょっと分かりにくいかも知れませんが💦
快晴の青空に真っすぐ伸びる✈飛行機雲を暫く見上げていました。
野々尻バス停付近で人の気配を感じたのですが、案山子(かかし)でした(^^ゞ
中辺路町大川付近で気になる橋を発見
橋から富田川の上流部を写す。
橋の名前は小畑橋(おはたばし)と銘板がありました。
橋を渡るとこのような道ですが、久々に林道冒険✨をしようかなぁ~と思ったのですが、
何とここで急に🚻トイレに行きたくなりました。
しかも大きい方💦少し前に飲んだアイスコーヒーでお腹が冷えたのかなぁ…
まだ国道から、そんなに離れていなかったので、
急きょ道の駅まで走る事にしました。
ちなみに、この道を約2.2㎞進むと「ロータリー熊野の森」があるそうです。
道の駅熊野古道中辺路に到着
ふっ…やっと落ち着きました(^^♪
この時、道の駅前にある牛馬童子口バス停で、
バスから降りたハイカーの方々が熊野古道へと向かっていました。
牛馬童子まで800m
ここから坂道を上ると以前、紹介させて頂いた牛馬童子へと行けます。
今日は天気も良く、心地よい風が吹いていて絶好のツーリング日和です。
田辺市中辺路町 小広峠バス停近くの温度計を見ると
気温27℃
この小広峠からは、長い下り坂が続きます
今回、久しぶりに湯の峰温泉に寄りました。
湯の峰温泉は、山間部にある小さな温泉街。
温泉情緒が漂います。
湯の峰温泉案内図
拡大
川には多くの観光客の姿が見えます。
温泉も流れる川に足を浸している人もいました。
湯の峰温泉 公衆浴場
あれっ?以前(もう何年か前)、来た時はこんなキレイな建物ではなかったけど…
2022年(令和4年)4月23日(土)にリニュアルオープン。
★湯の峰温泉について、以下のサイトで詳しく紹介されています。
https://www.tb-kumano.jp/onsen/yunomine/
⇧田辺市熊野ツーリズムビューロー 湯の峰温泉
公衆浴場受付には外国人旅行客が並んでいました
旅館伊せや 創業 安永元年
安永元年?いつ?と思い調べてみると1772年でした。
今から約250年以上も前なんですね…
東光寺外観
湯の峰温泉といえば、つぼ湯ですね。
まだ入った事はありませんが…
つぼ湯について案内図から紹介
1800年前に発見されたという、
日本最古の温泉が湯の峰温泉。
93度の源泉が自噴し、その泉質の良さから、
小栗判官の蘇生物語など多くの伝説が残されています。
特に「つぼ湯」は参詣道の一部として
世界遺産に登録された小さな公衆浴場です。
卵が販売されています。
タマゴ専用枠
温泉卵が作られています。
🥚卵にとっては、よい湯加減なのでしょうか?(笑)
美味しいでしょうね(^^♪
温泉卵の近くにあるお地蔵さま:湯筒地蔵尊さま
湯筒地蔵 湯の峰温泉は成務天皇の御代(西暦二十三年)に
発見された日本最古の温泉です。
熊野詣の湯垢場(ゆごりば)として広く世に知られ
奈良・平安の昔より、奥熊野の「薬湯」として名高い温泉です。
湯の峰温泉の中央に位置する「湯筒」は、
九〇度の自噴泉が私達に恵を与えてくれています。
また湯の峰温泉は「子宝の湯」ともいわれ、
多くの方がこの温泉に入って子宝をさずかっています。
この地蔵尊を別名「子宝地蔵」と呼んでいます。
私達は、この尊い恵に感謝してこの地蔵尊を建立しました。
昭和六十年七月吉日 小栗会
湯の峰温泉街で発見!
と言っても以前来た時にも見ていますが💦
内湯 民宿 やまね
私だけかなぁ?つい自分と同姓だと親近感を感じてしまいます。
熊野古道 赤木越の案内
県指定史跡 磨崖名号碑(まがいみょうごうひ) (伝一遍上人名号碑)
昭和42年4月14日指定
自然露見した巨大な岩盤に梵字(ぼんじ)・名号(みょうごう)を大書した史跡で、
高さ2.8m 幅2.4mの大きさである。
月輪(がちりん)の中に阿弥陀三尊(あみださんぞん)の梵字
(古代インドで使われた文字)、
その下に蓮台にのる六字名号が薬研彫(やげんぼ)りされている。
時宗の開祖である「一遍上人(いっぺんしょうにん)の爪書(つめがき)」の遺跡とされているが、
断定はできない。
田辺市教育委員会
石碑があります
うっすらと文字が見えます
拡大しても私には、何て書いているのか分かりませんが、
上記案内によると阿弥陀三尊とのこと。
不思議ですね?どうやって彫ったのかなぁ?
爪書とされていますが、私の爪では岩に文字など彫れませんけどね(笑)
https://www.hongu.jp/onsen/yunomine/
⇧熊野本宮観光協会
こちらのサイトに爪書について紹介されています。
以前、湯の峰温泉に来た時は気が付きませんでした。
相棒(原付バイク)と一緒に、ゆっくりと時間をかけて走っているからこそ、
こういう発見や出会いが出来ると嬉しくなります。
湯の峰温泉街から今度は、熊野本宮大社へ向かいます。
大型車全面通行止 となっていますが、原付だと何ら問題ありません。
そのまま進みます。
湯の峰温泉街から坂道を上った峠付近に車塚を発見
えいさらえい、えいさらえい、えいさらえい
小栗を乗せた車は、相模の国から紀伊の国湯の峰へ
「一引ひけば千僧供養、二引ひけば萬僧供養
南無阿弥陀仏、一遍」
と記した土車(土を運んだ木車)を村人は
一遍上人の徳を偲んで村境まで引いたとある。
目、耳、口もきけず、手足も不自由な身の小栗を乗せた土車は
鎌倉街道、東海道、南海道、小栗街道を相模、青墓、
近江、京都、難波そして紀伊の国・湯の峰へと
照手姫と共に難渋な長旅を続けたとある。
小栗、照手は、霊泉に浴しながら熊野権現に身の快方を願い
一心に祈り続けること百日余り、熊野権現の加護と薬湯の効あって
みごと本復し、この地に車を埋めたと伝えられる。
本宮町 本宮町観光協会
★文字が かすれているため将来的には消えてしまいそうです。
車塚全景
車塚旧跡地 石碑
さて私もやっと熊野本宮大社に到着
熊野本宮大社
参道の石段をあがります
熊野坐神社(くまのにますじんじゃ) 旧社(大斎宮 おおゆのはら)水害前の絵図
紹介文
黒い八咫ポストの案内
案内を読みながらハガキの意味の原点を知りました。
黒い八咫ポスト
八咫ポストの案内文
ここから先へお詣りさせて頂きます。
熊野本宮大社では、境内でボッ~と座って参拝される人々の様子を見たり、
小鳥のさえずりや風に揺れる木々、太陽の光が眩しく反射する様子などを
眺めていました。さて、そろそろ次の目的地、三重県熊野市の
花の窟神社へと向かいます。
https://www.hongutaisha.jp/
⇧熊野本宮大社ホームページ
現在、奈良県十津川村竹筒地区を走っていますが、
奈良県を走るのはホンの数分です。
案内標識の右上をご覧頂くと奈良県独自の方角マークがあります。
奈良県を走って再び、和歌山県に入ります。
振り返ります
和歌山県と奈良県の県境
次は、和歌山県から三重県に入ります。
三重県に来るのは久しぶりです。
北山川に架かる県境の橋 瀞大橋を渡ると三重県です。
三重県に来ると少し雲が出てきましたが、それでも晴れの良い天気です。
瀞大橋を渡たって三重県に入りました
ここから国道311号を熊野市街まで走ります
熊野市の市街地を走る国道42号を走っていると紫陽花(あじさい)が咲いていました。
もう、そろそろ梅雨の季節かなぁ~
紫陽花と共に相棒(原付バイク)を撮影
紫陽花の撮影場所から松阪123㎞ 尾鷲35㎞
また機会を見て松阪市方面に走りたいと思います。
今日の最後の目的地 熊野市にある花の窟(はなのいわや)神社に到着
神社の紹介文
鳥居から振り返ると石碑が見えます
右 くまのさん と見えます
熊野市指定文化財
有形民俗文化財 口有馬道標
一 石碑 高さ九十一センチメートル 幅 二十七センチメートル
二 切付文字「 くまのさん 右 道 *志ゆんれい 」とあり、
上部の一角は欠け、建立年月日の切付けは見られない。
*志の右上に゛あり
道しるべは本来「右」「左」と示すが、
熊野三山、西国巡礼はここから右に曲がって行くべしという指示のみ刻む。
右へ曲がらず眺めのよい松林道を真っすぐに行くと、
行く手に志原川が海に注ぎ、橋もない当時は渡し舟が上流にあったものの、
渡し賃を節約し波打ち際を渡ろうとして、
高波にさらわれる人も多かった。
かつての志原川西岸の松林には十四基の無縁墓碑が並んでいたという。
ここ、花の窟の前は本宮道と浜街道の分岐点で、
人々はともすれば風光明媚な浜街道を選んでしまうため、
安全な道は有馬村本街道に廻るように道しるべを建て警告したもので、
地元の人たちの他国から来る旅人を思いやる心情がうかがえる。
指定 平成十一年一月二十八日
熊野市教育委員会
この碑文を読みながら「昔の旅は本当に命がけだったんだなぁ~」と改めて感じました。
また、渡し賃を節約…という心情は、時代が違えど理解出来ます。
お金が少なくても、私を旅に連れて行ってくれる相棒(原付バイク)の存在は、
とても頼もしいです!(^^)!
この石碑ですが、花の窟神社は、これまでに何度か来ていますが、
今まで気付きませんでした(T_T)
どうして気付かなかったのかなぁ?
恐らくこれまでも視界には入っていたけど気にも留めなかった…
よくある事かと思います。
年齢を重ねた事で気付く事、自分自身の心境の変化、
目線等の動きがゆっくりになった等、
理由は様々ですが、これからも大きな発見だけでなく、
このような小さな発見に喜びを感じられる人生を歩めたらと思います。
西国巡礼も書かれていますが、これまでに「西国三十三所」巡礼の旅を
数ヶ寺ですが訪れた事があります。
行った所を思い出してみましたが、
その時は、御朱印帳を持って、白衣を着用お傘を被ってという
本格的なものでありませんが、普段着で相棒(原付バイク)と一緒に
バイクに乗れなくなる前に💦周ってみようかなぁ?とも思いました。
ちなみに訪れた所は、8ヶ所のお寺と岩間寺は行ったかどうかハッキリしません((+_+))
第三十三番 谷汲山 華厳寺、
第三十二番 繖山 観音正寺、
第二十四番 紫雲山 中山寺、
第二十三番 応頂山 勝尾寺、
第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺、
第十六番 音羽山 清水寺、
第十五番 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺)、
第十四番 長等山 三井寺、
第十三番 石光山 石山寺(前の道を通っただけ💦)、
第十二番 岩間山 正法寺 (岩間寺)記憶が定かでない、
白浜から一番遠い岐阜県の第三十三番 谷汲山 華厳寺を訪れていますが、
車ではなく原付でもう一回行けたらと思います。
その時は、白衣を着て原付に乗って走るのも楽しそう✨✨
しかし地元、和歌山県内のお寺を訪れていない事に気付き、
先ずは青岸渡寺からですね。
さて、いつになることやら( ´艸`)
https://saikoku33.gr.jp/
⇧西国三十三所 巡礼の旅
花の窟神社前の石碑から、こんなにも話が膨らむなんて…
話しが逸れましたが、鳥居から境内へと入って行きます
参道を歩きます
近くなってきました。
左手に大きな丸い石があります(^^♪
大昔からここに鎮座されているんですね。
何となく注連縄(しめなわ)が、ねじり鉢巻きに見えてカワイイです。カワ(・∀・)イイ!!
丸石神(玉石)信仰
古来より丸石には聖なる神霊が、宿るとされている。
自然崇拝の原点として丸石神信仰となり、
日本各地に拡がり道祖神と共に多く見られます。
当神社の丸石は南紀熊野地方では、最も大きく、
イザナミ尊御神体より分霊の如くころがり来て
此処に鎮座したと伝えられている。
人々の悩みや病を癒やす御利益があるとされている。
参拝の仕方手順
一、まず一礼 次に自分の体(患部)を両手で撫でる
一、次にその手で丸石様を優しく大きく撫でます。
一、再び、その手で自分の患部を撫で柄杓(ひしゃく)にて、
手水一杯の水をくみ丸石にかけ御祈念を込め合掌拝礼を致します。
健康な方も撫でて元気力を戴いて下さい。
花窟神社
大きな岩には、所々に穴が開いているのですが、
地面から比較的低い位置にも穴があり、
穴の中にお賽銭が置かれています。
久しぶりのお詣りとあって、穴の中に両手を入れて念じて見ましたが、
心臓がドキドキ💓💓と心拍数が上がる⤴のを感じたので、
今の私には、この強いエネルギーに耐えられないので手をそっと外しました。
とても大きな岩で見上げてしまいます。
祭神 軻遇突智尊(かぐつちのみこと)
ここで靴を脱いで参拝されている小さな子供さんを連れた親子を見かけました。
お父さんが子供さんにお詣りの仕方を説明されている光景に
「何と素晴らしい!」このような事を学んだ子供さんは、
大人になってもきっと覚えていると思います。
ご家族に幸あれと願わずにはいられませんでした(*´ω`*)
https://www.youtube.com/watch?v=MBYAkV2_8yE
⇧YouTube【世界遺産】日本最古の神社「花の窟」【三重県熊野市】
花の窟神社を後にして、帰路に就く事にしました。
白浜へは、国道42号をそのまま新宮、串本経由で帰る道もありますが、
私は国道42号の立石南交差点を右折して国道311号から白浜へ走ります。
その立石南交差点の手前に、立石交差点があるのですが、
なぜかこの時、ここで右折するように頭に浮かんだので
そのまま右折すると写真の石碑を見つけました。
大昔の人は、この石碑を頼りに旅をされたんですね
熊野市指定文化財
史跡 立石の道標
高さ約一メートルのひとかかえの自然石で
「右はほんぐう 左はじゅんれい道」と記され
裏に「文政三年七月立」の切付がある
「昔の人は花の窟に参拝し板屋越という所を通って
音無郷に出て大和国に帰った・・」と熊野巡覧記に載っている
昔の人は伊勢神宮に参拝のあとなんぎをしながら
何日もかかってここにたどりつき
ここから熊野三山に向かった
その古道の分かれ道で本宮へ急ぐ人と
那智山へ参拝する巡礼とがここで別れた
この道標は旅する人にとっては重要なめじるしであった
指定 昭和五十二年七月二十七日
熊野市教育委員会
今日は、色んな発見をする日だなぁ~と思いました。
この地域が立石というのも、この道標からきているのでは?とも思ったりして、
地名の成り立ちについて想像してみたりと楽しかったです。
熊野市からの帰り道、中辺路町にある小広峠にある温度表示を見ると16℃
先程の日中は27℃もあったのに、10℃以上気温が下がっています。
田辺市鮎川地区まで下りてくると19℃
山間部と平地では温度差がある事がわかりますが、
海沿いに行くと温度が違う場合もあります。
このような気温の変化は、車に乗っているとなかなか分かりませんが、
相棒(原付バイク)と走っていると気温差が体感的にわかります(^^ゞ
さて今回は、お詣りを中心にしたブラリ旅になりましたが、
また機会を見て走りたいのですが、そろそろ梅雨入りかなぁ?
梅雨になると中々、走りにくくなりますが、
それでも合間を見て短時間でも走れそうだったら
相棒(原付バイク)と一緒に走りたいと思います。
ここまで長文お読み頂き、ありがとうございます。
おつかれさまでした(*´ω`*)