艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

はんなり

2008年03月12日 22時18分05秒 | 個人日誌


 いつものお店にカツカレーを食べに行きました。ここの店員さんホントにかわいいな~。チラ見しながら食べます。
 カツカレーについてくるお味噌汁の具は、いつもはあさりだったのですが、今日はしじみでした。

 しじみのお味噌汁ってよ~、ミまで食べます?
 いや、僕は食べるんだけど。
 誰と話したときか忘れたけど「普通ミは食べないよ」みたいなことを言われた気がする。
 実家では普通に食べていたので、残すなんてとんでもないっす。

 今日という休みも特になにをするでもなく過ごしました。
 近頃買ったトイレのタオルかけが、どうしても裏の粘着力が弱かったので、再度テープを買い求めました。これで万全。いつでも手が拭き放題です。

 夜は、このまえ余った食材を使って一人鍋。ぽん酢でいただきます。

 洗濯もして、明日のために制服をたたんで。このたたむの苦手なんだよな~。テキトーに。

 ずっとニコニコしていた彼(?)ですが、


 一人ではかわいそうなので、友達を増やしてあげました。


 よかったね。

天地刻々

2008年03月11日 23時35分44秒 | 個人日誌
 たっぷり仕事もして、遊んで、いろ~んなことを考えて、ああでもないこうでもない。いや、むしろ「ああでもあるし、こうでもある」とか思いながら一週間を過ごすと、休みの日なんかは疲れたせいもあって、ダラダラと日がな部屋で過ごしてしまう。

 どうも、僕はこう、一人にかえったとき延々とぐわーんとした気分に浸ってしまうことが多いな。このくらいの年齢になるとやっぱイキオイだけでムチャできることもまだまだあるし、言うほどディープでもないし平気なんだけど、20代での多くの失敗の痛手も経験しているから、ついつい及び腰になってしまうのも致し方ないこと。

 かといって、そこで「はぁ~」なんて悶々としてばっかりもいられない。逆になにもないよりいいじゃん。なにも考えないより。
 春だし、あたたか~い風が海から吹いてきて、それはもちろんときには花を散らすほどの強風だったりもするし、腰の痛みを和らげてくれるような心地好いものでもあるし。

 これからも「あんな楽しいことが!あんなご褒美が!」っていうイメージを持って、日々前進の気持ちを持って臨もう。

 なんだか意味のわからない文章を二日続けて書いてしまって、すみません。自分でもなんだかよくわかってないんです。

 三国志の続きを書きたいな~と常々思っているのですが、なかなか書けてません。前回は確か龐統が劉備を訪ねるところの話で終わってるんだけど、そこから先はそれほど好きなところじゃあないし、もっと他に書きたい場面があちこちにあるんだけど、それこそ時間があちこちに飛んでしまって、そんな書きかただと面白さ半減なのかな~~って気もするし、じゃあどうするの?ってなると「どうしよう?」で先に進まない。

 吉川英治の三国志を読んでいると、本当にすごい。
 吉川英治の三国志は正史ではなく演義準拠であることは、みなさんよくご存知のところと思いますが、僕も基本的に物語の流れや人物像、その性格はこれをパクリながら自分の言葉で書き連ねて、そこに自分だけの考えや想いを差し挟みながら、あまり滅茶苦茶にならないように書いてみたいと思っています。

 そのくせ遅々として筆が進まないのは、この吉川英治を読むと「こんな文章、僕には書けない!」ってその差をまじまじと感じてしまって自信がなくなるから。
 そりゃあ、比べるまでもないけどさ~、別に真似しようってものでもないんだからってことは頭ではわかっているのだけど、ものすごく自分が小さく感じてしまうんだよね。

 三国志の登場人物たちが、すごい語りかけてきて困ってます。誰もが大志を抱いて時代の荒波のなかで自分を叱咤しながら、悩み、喜び、生き生きとしているのを読みながら、まるで叱られているような気分になる。

 「天も地も目には見えぬが刻々と動いている。俺もあの群がる星のひとつよ。この偉大なる天と地の間に生まれ、男子たるもの、生きがいのある命を掴まないでどうする!」
 と、夜空を見つめながら曹操は自分に言い聞かせるのですが、「そうだそうだ!僕だって、平凡な生き様だけど、あの星のように一瞬でも光り輝く生き方を掴みたい!」とか思う。

 曹操ほど、戦いにおいて颯爽とした大勝利をおさめるかたわら、散々な敗北をする人間もいない。負けるときはそりゃあ目も当てられないくらいの惨敗。
 ところがそのたびに「ときに負けてみるのもいい。負けてこそ得るものがあることを知る。負け惜しみではなく心の底からそう思う」と逆境をバネに躍進する。

 そうありたいな~って、思います。

心のず~っと奥のほう

2008年03月10日 23時54分13秒 | 個人日誌
 思うとこあって、ここ数日なにも書いていませんでした。いや、正確には書いたけどアップしていない。

 なんか、こう、いつも僕なんかは「これからのことを考えたってしょうがない。それよりも今をどう過ごすか」って陳腐なことだけど、頭ではそうありたいなーと考えて生活しているのですが、全然実行できていない。
 実行できていないっつーか、そんな陳腐な考え方すらできないまま、やれ思い出に浸ったり、やれこれからどうしようかと不安になったり。

 積み重ねてきたものは確固たる意志だったのだろうか。
 そう信じているけど、その自信なんてものはある日ちょいとした微風で、けっこう彼方まで飛んでいくほど軽かったりするからなー。
 かた~い岩のような階段を作り上げているつもりで、それはホントにそのときまで岩だったのだけど、突然発砲スチロール級までもろくなる。
 いつも強がって動じないフリをしているけど。動じたときにはけっこう自分でも呆れるくらいまごまごして。

 僕の本当にしたいことは、どんな仕事をしたいとか、どう生きたいとかはけっこうどうでもよくて。
 誰のために、なんのためにってことなんだけど、そういうものって昔々からひとって考えてきたんだろうな。
 それも結局は、自分のためなんだろうな。

 なにをどこまで書いたもんか。どこまで考えたもんか。考えないほうがいっそ楽なんじゃあないか?

 べつになにかに苦しんでいるわけじゃあないっす。むしろこんなに素敵な時間を過ごせることに、いつもいつも感謝しているくらいです。そのへんがうまく書けない。
 自分の中で「これはこの引き出しに仕舞っておいて~、たまに取り出してほんわかしよう」っていうところの、どこに仕舞っておけばいいかわからなくて。
 その引き出しをまたいつ開けることになるかわからないからだろうな。

 ここんとこは常に取り出せるようにしていたものだけど。望んでも、たまに何ヶ月もそのままだったりするし。
 その何ヶ月かで、取り返しのつかない大きな出来事があったりもしたから怖さもある。

 このまえ、Romiyさんと飲んで「ブログに書けないことのほうが多い」という話をして、具体的になにが書けてなにが書けないのかってとこまでは話さずに、またテキトーにオチのない話をした僕ですが、他でもない僕自身のブログだし、読んでいるひとは「ふーん」って程度の話になるかもしれないけど。
 そのうちそれとなく。

 あ!無理、やっぱ書けない。いや、書くのだけど、書けば書くほど「うむー」なんだよね。一体どうしたいんだろう?僕は。いや、どうしたいかはわかってるんだけど、そのためにはどうすればいいんだ?
 なんてことをグルグル考えながら、冷蔵庫のビールもなくなったので寝ます。

 いま急に思い出したけど、それにしてもRomiyさんのソファから落ちて、顔からテーブルに落ちる具合は失礼ながらすげー笑いました。あんな動き見たことないな。

 明日は最高気温が18度まで上がるって天気予報で言っていたよ。あまり暖かいと留守中に花が枯れてしまわないか心配です。花瓶に水でもやっておくか。

 全然関係ないけど、吉川英治の三国志は改めて読み返しても面白いな~。読みながら本気で一人で泣いたり笑ったりしてるよ。感動するね。

抱き合ってなにかを誓いたいけどそれだけじゃあ半信半疑じゃあない

2008年03月09日 23時13分44秒 | 
 いろいろ遊んで楽しかったこと。そういうことって本当は自分の胸にだけ仕舞っておいたほうがいいのかな。そっと、心の底に、大事なものとして。

 でもさ~、きっと忘れないなんていう思い出も、絶対いつか忘れるんだよね。その場面場面が細切れになって、一回バラバラになったセリフや風景が、いつのまにか別の記憶とくっついて、それがそのときの時間として認識されるっつーか。
 何年もしてから、なんのきっかけもなく急に心の底から記憶が浮かび上がってきて、なんの気もない普通の日に、普通にポカポカな陽だまりの中を一人で歩いていたのに、そのたびにしゃがみこむことがあるので、書いておこう。
 いつか、読み返したときに「あんなこと~こんなこと~あったでしょ~」って思い出せるだろう。僕のためだけに。

 毎日毎日「もうダメじゃあないか?」って気持ちいっぱいで、お客さんのところに行くのも震えをおさえつつ、でも内心では「きちんとやることもやってあるし、もはや破綻をきたすような蟻も一穴すらない」という万全な準備ができているつもり。なおそれでも、完璧超人な僕でも、常に成功と失敗を念頭にこびりつかせながら、どちらかというと「なにか良くないことが起きるのでは…」と、悪いイメージをもってます。それに対応する術は「もう、やってきたものを信じるしかない!」って気持ちで臨むことしかない。
 おかげさまで契約もまとまり、今月は安泰です。でもここからが大変なんだよな。

 あのときどうしてもっとうまく話せなかったのだろう。どうしてこう言えなかったのだろうなんてことを延々とグルグル考えることがある。
 おかしいよねー?
 札幌なんかで後輩とか相手に喋っているときなんかはあんなに自信をもって、「仕事なんかちょろいぜ~!」くらいグイグイ飲んで、どうでもいいギャグとか言ったり、おかしな話で、大きな声でぐわーっと喋れるのに。
 基本的に喋るのを僕は好きなのかもしれないけど、なにかについてきちんと説明するのが苦手で。長くなるしオチないし。
 だからわりといつも相手の話を「うんうん」と黙って聞いているのだが、そんな自分を少し変えてみたいです。
 自分の思うところを素直に相手に話して、相手の話も聞けるようになりたいです。

 昨日はお休みだった。
 朝からダラダラゴロゴロして布団にくるまってそのまま昼まで。
 こう、上に乗っかってもらったまま仰向けで眠っていたいし、膝枕で眠っていたいんだ、いつも。
 うしろからぎゅっとしているときが一番好きで、髪を撫でながら「こんな自分が、こんな時間を過ごせるなんて、なんのご褒美なんだろう」といつも思う。
 パァーと窓を開けると、外はすっかり春なんだよな~。朝食がわりに苺を食べて「どこ行こうかな?」。
 休みなのに、なにをしようかってことをあまり考えていなくて。計画性がないんだな、きっと、僕は。言い訳をするなら、休みなのにいついつの時間までになにをしなければいけない、どこそこに行かなければいけないってことはあまり考えたくないんだ。

 海沿いを走りながら、そっか土曜日か、そりゃあ道もとても混んでるな。「今頃会社のみんなは普通に仕事しているんだろうな」と、その苦労を思う。自分は休みだもん。今はただ黙ってこの時間海沿いをゆったりしながら、このまま海に突っ込んでもいいかな~なんて浸りながら。仕事のことは考えないさ~とはしようとするけど、さて明日の仕事は…と頭の片隅で思ったりもする。
 そんなとき、ついと手を伸ばして、その手に触れて、今ここにいることを再認識したくもなるが、そんなことばかりしているのも未練がましいというか、でも実際名残惜しいし、つーか自分は一体なにがしたいのか?なにも考えてないような、考えるのが怖いような、なんてどうでもいいことも考える。

 時間を過ごせば過ごすほどに「どんな未来があるってんだ?」と思う。

 前日はたぶん5時くらいまでだったかな?飲んでいたので、空腹なのかもしれないけど、食べれる体調かどうか自分で判断できない。

 鎌倉のKUA'AiNAというお店で遅めのランチにしました。もちろん初めて入るお店だけど、到着したとき店内は混み混み。席待ちの名簿に名前を書いて待つ。
 この、待っている間とかはけっこう好き。例えば、とある日に待ち合わせなんかをしていても、先に着いてのんびり待っているほうが好き。待ち合わせの時間までに「どんなお店に入ろうかな~」「あ、こんな花なんか贈ったらどうなんだろう」なんてことを考えるのが。たいがいほとんどは、そのまま妄想してのんびりするだけなんだけど、それもいい。
 時間に余裕をもって、今日会うことを迎えられたってことはなんて素晴らしいことなんだろう!と思うね。


 ものすごく満腹になりました。これはあれだね、ワンセット注文して半分ずつ食べるべきなのかも。調子に乗ってオニオンリングを追加注文しなくてよかった。好きなんだけどね、オニオンリング。さくさくしてて。
 サンドイッチとハンバーガーのお店で、メニューを見るとどれもこれもおいしそう。また今度行く機会があればいろんなものを食べてみたい。

 この前日の晩は、おいしい鍋料理をいただきました。自分は決して手伝わず、ひたすら作ってもらうというものすごく贅沢なお鍋です。
 冬なんかはホントはキライだけど、こうやって鍋がいただけるなら一年中が寒い日でも構わないかも。


 そして、たぶん、生まれて初めてひとから花をいただきました。
 

模様を変えたら気分も変わるかな、いい方向に。

2008年03月05日 22時09分46秒 | 個人日誌
 休みサイコー!もう一生休んでいたいね。
 この休みは久々にアクティブに行動したっつーか、やたらめったらな買い物をしたので写真おおめで。

 昨日は朝から歯医者に行ってきました。
 前にも書いたかもしれないけど、タバコを吸うのでその汚れを落としてもらう。あとは歯石をとってもらったり。
 診療カードを見てみると、三、四ヶ月に一回くらいの割合で行ってる。仮にタバコを吸わないしても通ったほうがいいんだろうな~、歯のメンテナンスって。

 みなさんは歯医者に行きますか?痛くなったりしたときじゃあなくて、定期的に検査してもらうために。
 僕だって、そんなに頻繁に通うわけじゃあないけど、虫歯になったらもっと痛い思いをするのがイヤなので、たま~に行っておくか~ってくらい。
 そういえば、こっちに住んでから親知らずを抜いた。奥4本。医者が言うには「奥歯のその奥にキレイに並んで生えているので、噛み合わせがわるくなるとかは全く問題はないんですが、磨きにくいから虫歯になりやすいでしょうね」とのことで、そのときはまさに虫歯になっていたので、これを機に一気に攻め滅ぼしてしまえ!と考えて一週間に一本ずつ抜いていった。

 痛いの痛くないのって。
 やー、ちょいと怖い話だけど、抜いてもらったすぐあとにお腹が空いていてたまらなかったのでラーメンを食べにいった。麻酔はガンガン効いてるからお医者さんには食事は何時間か控えるように忠告されていたのに、チャーシューかと思って、ずっと頬の肉を噛んでましたよ。
 
 そのあとは天気も良かったし、洗車でも行こうかな~と思ってたんだけど、急に買い物がしたくなって遠出したため時間もなくなり「今度でいっか~」ってカンジ。

 思いがけず、女性ものの貴金属を扱うお店で指輪なんかを見る機会があったのですが、指輪って高いな。こんなもの誰が買うんだ?あー、女性が買うのか。もしくは男性が女性のために買うのか。
 よくさ~、結婚指輪とか婚約指輪なんかって、給料の三ヶ月分とかいうじゃん。こんな小さな指輪に、ホントにそこまでの値打ちあるのかな?
 どうも、子供じみた考えが抜けない僕なんだけど、「大きいものは高い、小さなものは安い」って思ってて。だから家は高い、車も高い。希少価値のある石とか、価値ある貴金属なんかも小さいから、なんでこんなに高いのかな~って。

 こういうものってさ~、いや、買ったことないからわからないけど、「この値段で買いました」ってことに価値があるんじゃあないだろうか。
 つまり、それを買うほどに一生懸命お金を貯めて、そこまでの覚悟をしてあなたへの贈り物としますって。

 まぁ、もちろん指輪なんか買わないけどさ~。

 今日も朝からいい天気でしたが、風が強い。とりあえず布団を干して、洗濯をして、また寝てしまう。座椅子の上で「少しだけ」と思って目を閉じるとあっというまに3時間くらい経ってるのは「うわー」ってカンジだ。

 いつか買おうと思っていたテーブルと絨毯を買いました。

 写真じゃあ絨毯具合はわからないけど、こげ茶な色。(コゲコゲコゲ…)
 その向こうに佇んで映っているテーブルは買ってからもうすぐ6年経つ。この狭い部屋に二つは置けないので、大型ゴミだな。ゴミのシール買わないと。
 もう春だし、絨毯などはもう少し春っぽいカラーなんかが売り場には並んでいたけど、茶色がいいんです。テーブルは赤がいいんです。


 ついでにトイレもこんなカンジで。黒い。今までのトイレはそのままの状態というか、なにも装飾されていなかったので、これで少しは暖かみもあるってもんだろう。


 のれんも買う。写真じゃあよくわからないけど、玄関前です。もっと薄手ののれんでも良かったかな。まぁ、いいや。

 なぜ急に模様替えをするのか。いや、意味はない。意味はないけど、僕にとってこの部屋は「一時住むために仮宿」ってことだったんです、今まで。
 これからもだけど。
 でもさ、これだけ長らく住んでいると、やっぱ殺風景この上ない。

 部屋のコーディネートにこだわったことがない。だから家具は買わないし、あまりこだわったりもしない。だって、あってもなくても生活はできるじゃあない。

 この部屋をみたことがあるひとはわかるかもだけど、なにせ殺風景というか、洗濯物は積みあがっていて、細かい物がやたらと散乱しているだけの部屋。手を伸ばせば必要なものに触れるように雑然としている。

 ひとの部屋なんかにお招きいただくと、やたらと見て回るのだけど。その部屋にはそのひとの生活感が如実に現れる。
 それを観察するなんてことははしたないって思う僕もいるのだけど、なんかの会話のきっかけやヒントにもなったりするので、ついつい。


 本当は昨日の晩御飯のために買ってきた牛ヒレを(半額、安い安い!)、賞味期限はもちろん昨日の日付だけど、いただく。
 のんびりパソコンをいじりながら焼いたりしてしまったため、がっつり焦げました。ごま油を使用したので、部屋中がそのニオイと煙でまみれて大変なことに。

 ああ…、買ってきたばかりの絨毯ものれんも、先週洗濯したばかりのカーテンも、それどころか部屋中がごま油のニオイでいっぱいです。
 ファブリーズまだあったかな?この寒い夜に窓は開けたくないしな~。

大地讃頌

2008年03月03日 23時54分08秒 | 個人日誌
 どうにもこうにもパソコンの調子が良くないので困ってます。かといってうまくやる知識もなにもないので、しばらく我慢すっか。

 パソコンを買ったのは三、四年前になるけど、別になにかしたくて買ったわけじゃあない。あれば便利だって話を聞きかじったり、仕事でそれ関係のもの売ってるならパソコンのひとつも使えないとまずいよな~ってくらい。
 だから、買った当初はなーんにしないまま埃かぶってただけ。

 使い始めたのはshow先生に「俺ブログやってるから読んでみて」と飲んでいるときに言われ「だりーけど、まぁ読むわ」ってのがきっかけ。
 show先生のブログが、これが悔しいことに面白くてね。しかも顔に似合わずマメに書かれてるもんだから「やるなー、うまいなー」って、毎日楽しみにしてました。
 もう読めないと思うと…ヨヨヨ…あ、退院したんだっけ。つまらんのー。

 で、ここんとこ調子の悪いパソコンを使っているわけですが、あまり使ったことのないプログラムをいじってみたり、開いてみたり、ひこってみたりしていると「インターネットエクスプローラー7がダウンロードできます」みたいな吹き出し(漫画の吹き出しみたいのたまに出るじゃん、それ)があったのでクリッククリック。
 たまにさ「お使いのVAIOをアップグレードできます」とか、どうでもいいような吹き出しが出てくるんだけど「だりーし、うざい」と思って放っていたのだけど、パソコンが変なのはこうしたものを無視し続けた結果なのかもしれないと考え、藁にもすがる思いで、設定してみた。

 しょんでどうなったかというと、インターネット開かなくなりました。あーもう!なんなんでしょう。
 会社のひとに翌日尋ねると、やりかたを大変親切に教えていただいてなんとか復旧。よかった。

 先日嬉しい便りがまた。
 先輩を先輩とも思わない傍若無人な後輩ナンバーワンの尚ちゃんから「産まれました」との連絡。
 そっか、尚ちゃんもとうとうパパか…じゃあその子の名前は「義明」決まりだな~って女の子だそうで。
 その子が二十歳になる頃には僕は52歳か。まぁ、ギリでアリじゃあない?尚ちゃんを「お父さん」と呼ぶのには抵抗あるけど、そこはまぁ、折れるよ。

 僕が札幌を出たのは25歳のときで、それから何年か経って友人や先輩や後輩からも「新しい家族が増えました」という連絡や便りが多くなった。もちろんこっちに来てから知りあったかたがたもお子さんがいたりで、その近況を聞いたりする機会は増えた。
 そのつど考えるのは「うむー、子供か~すごいな~」ってこと。

 僕は子供が育てられるような立派な大人になれるんだろうか?なんてオカヤスみたいなことを言えば、尚ちゃんあたりに「アナタはそのまえに結婚ですよ、つーかそのまえに彼女つくりましょうよ、いつまで一人でいる気なんですか?ホントいつまでもバカなことやってないで…」と相当ムカツクことを言われそうなのだけど。

 子供を育てる覚悟ってのはどんなものなのだろう?
 自分の血を分けたものを養うってことは、どれだけの覚悟を要するのか?

 そんなに難しく考えなくてもいいのかもだけど。いや!なにも子供がいるみなさんが難しく考えていないと思ってるとか、そういうことじゃあないですよ!
 ただ、僕はいっつもいっつも「自分で手一杯だよ」なんて言ってて、今だけの忙しさに没頭したり、忙しくないときもあるのに時間ないから~なんて愚痴ってみたりで、誰かのためになにかをするなんてことを本当は何もしていないんじゃあないか?

 自分のことはよくわからないけど、友人の子供や、今いる子供たちはすくすく逞しく育ってほしいね。
 そのために僕ができるのは…なんだろう?

 子供を好きか嫌いかって聞かれれば、「あたしィ~の赤ちゃ~んンンン!!」ってくらい好きだし、友人の子供も大好き。たぶん同じ目線で遊べる自信があるね。
 おままごととか、鬼ごっことかしたら本気で一日過ごせそうだ。
 「まぁ、それはアナタが精神年齢が子供だから合うんじゃあないですか?」って尚ちゃんあたりには相当ムカツクこと言われそうだけど。

 好きかどうか、育てられるかどうかはまた話は違う。
 育てられる自信はない。つーか、産まれてきた子を立派に育てられるなんて自信は最初から誰にもない。

 僕の人生は、だいたい何事でも見切り発車で、しかもいつも片道切符しか持ってないんだけど。

 育てる覚悟で産む、産まれたから覚悟を決める。な~んてこと言ってるうちは僕はまだまだ大人にも親にもなれないですな~、って一人で飲んで考える。

 思い出した。
 いつだったの合宿で美国に泊まったときに。
 体育館を借りて、昼間は健康的にバスケやらなにやらをして(夜はいわずもがな)遊んでいると、地元の小学生がやってきた。
 どちらから話かけたのか覚えていないけど、その子も小学校でミニバスの部に入っていて、腕前もなかなかのものだった。
 「そうか、よしよし」なんて僕は言いながら一緒にバスケをした気がする。
 その子は自分は足が速いんだ!なんて言うもんだから「よし、いっちょ俺と勝負しようぜ!」ということで、本気で走りました。そのときshowさんに「オマエ、小学生相手でも手ェ抜かないね~」と笑われた。

 獅子欺かざるの力です。折れてるけど。いや、その頃は腰は痛くなかった。
 その後もその子とは、その後っても何時間の話だけど、「で、好きなコとかいないの?クラスに」なんて話をして「そんなのいないよ」というその子に「じゃあ、俺も話すから言いっこしようぜ」なんて語ってみたり、身長を伸ばすための秘訣とかをテキトーに伝授したように思う。

 当時の彼も、もういい歳になったんだろう。僕のことなんて覚えてないだろうし、僕だってうる覚え。

 父さんと母さんはどうだったんだろう?僕が生まれたときにどんなことを考えたんだろう?
 覚悟するとか、そういうんじゃあなかったんだろうな。産まれた、こんなにこんなに小さな子が。小さい、かわいいって慈しむのが最初に抱いた感情なのかな。この子を傷つけないように大切にしよう…って、親なら誰もがそう思う。
 そっか、きっとそうなんだ。なにも腹を決めるってことじゃあなくて、きっと誰もが「この子が幸せになるためなら、なんだってしよう」って考える。

 「この子を守っていこう」と思ったのかもしれない。でも、子供ってやつは守るも、親の心子知らずで、ひたすら自由奔放に好き勝手に生きていくからな~。

 大地~を愛せ~よ 大地~にいきる~ ひとの子ら~ ひとの子ら~ ひとの子ら土~に感謝~せよ~

それでもシジマはやっていない

2008年03月01日 22時53分25秒 | 個人日誌
 3月ですね。なにさ!すっかり春めいちゃってさ!昼間なんかポカポカだよ!それでも陽が落ちると気温は下がって、まだまだ夜は寒いな~。
 去年の今頃はもう少し暖かかったような気がします。ちらほら桜の便りがあるくるいには。
 いや、それでも同じように夕方は寒かったかも。控えめに言っても江ノ島でお茶を飲んだら「やっぱ温かいのを注文すれば良かった」ってくらい。

 花見がしたいな。花見といえば、本来はお酒を飲んでのドンチャン騒ぎなんだろうけど、ただ黙ってベンチに座ってアツアツのコーヒー飲んだりしたい。ふわふわの芝生があって、陽だまりと木陰が入り混じったような満開の桜を見つけたなら、その下であおむけで眠りたい。
 なにも話さなくてもいいな。
 話をしないなら一人でもいいじゃんって気もするけど、ああ!一人さ!一人でやるさ!

 仕事を終えて帰ってきてテレビをつけると映画『それでも僕はやっていない』をやってました。あーこれ、観ようと思ってたんだよね~。テレビで。
 観るならガッチリ観たいじゃあないですか~?「あ~今日も働いたぞ~(テキトーに)」なんてぐったりして、シャワーも浴びたいし、ご飯の用意もしたいしなんてウロウロしながらチョイ見はしたくないので、チョイ見しています。

 冤罪をテーマにした映画のようですが、しっかり観なくてよかったです。これって事実なんでしょうか?
 こわ~い。なんだか知らないけど、なんとなく丸め込まれるってのは本当に怖いね。
 手続きや流れの中において、誰もが振り返る事実ってものは不思議なもんで、ある人間が望む方向と、別のある人間には望まない方向に、極端に偏って認証されていくんだよな~。
 そしてそれが新たな事実となる。

 一昨日くらいの新聞記事で。
 酔っていると記憶が曖昧になるってのは、記事で今さら読まなくても自分の体験から重々承知しているのですが、実験によってまた面白いことが証明されたそうです。ラットの実験だから、人間に同じケースが当て嵌まるかどうかはまだわからないけど。

 以下は2月28日付けの産経ニュースからの抜粋です。
 「実験で、かごに入れたラットに電気ショックを与え、恐怖を学習させると、かごに入れただけで、身をすくめて固まるようになる。チームはいったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。

 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。

 アルコールは記憶力を低下させるが、それは覚える段階だけで、いったん覚えたものを思いだして記憶に固定していく段階では、逆に記憶を強める効果があるらしい。」

 だそーだ。

 相当量飲んでいると、記憶が前後して、それが昨日のどの時点での会話や行動だったのかわからなくなることはたまにあるけど(僕だけ?)、何年かあとになってから自分のことのはずなのに初めて聞く話が多いのはそういうことなのかな?って気もするし、でもさ~、なんつーか、「僕の性格的にそんなことは絶対やらないな。やりようがないな」ってことも「いや、あなたはやりましたよ」って言われることがあって、そのたびに「う~ん、ここで反論してもめんどいからそうことでいいや」って思うことがある。
 たくさん証人がいて目撃されていれば、たとえ記憶になくても間違いなくやってるんだけど、たった一人から「あなたがやってるのを見ました」言われてもな~。

 あ!それで今思い出した。
 昔々さ~、バイトでのんびりのびのびしていると、ある友人から「僕が彼女とうまくいってないなんて、そんなウソ広めないでくださいよ」とけっこうマジ怒り気味で言われて、なにがなんだかわからずに「え?俺そんなこと言ってないぞ」と答えると「でも○○がそう言ってましたよ」ということだったので、僕は確かめることにした。
 その○○に「俺そんなこと言ってないぞ」と詰め寄ると「いやいや、このまえ飲んでるとき言ってましたよ」みたく反論されたので「うむ~、記憶にないがそうなのかな?」と思った。
 傍からみてれば、僕なんかが酔うとおもしろおかしくテキトーなことばかり喋ってる人間にうつるんだろうな~って自覚してたし、もしかしたらなにかの発言が自分と意図したこととは違って、周りにはそう聞こえたのかもしれない。

 で、何年かして。
 なんかのきっかけで、あのときの○○と一緒に飲んでいたかで「そういえば、あれってあなたが喋ってたんじゃあなくて、僕がそう思ってただけでした」みたいな話をされて「おい!オマエ!」だよね!
 そうでしょ!そうなんだよ!当時さ、その友人とその彼女の付き合いがどうだったなんて全く知らなかった僕が、話せるわけがない。知らない事実についてなにをどう話すってんだ。

 いや、これだって、記憶のあとづけあとづけで、僕がそう思い込んでいるだけなのか?
 つーか、○○って杉野なんだけどね。

 ラットの実験で得られた結果の趣旨とはかけ離れましたね。
 この記事で特筆すべきは最後の一文、「アルコールは記憶力を低下させるが、それは覚える段階だけで、いったん覚えたものを思いだして記憶に固定していく段階では、逆に記憶を強める効果があるらしい」
 ここですよ、先生。

 飲みながら話したことや、覚えようとしたことはシラフでいるときよりも、その記憶の作業はより困難であることはシジマなら知っている。僕も知っている。それがしかも、シジマとお互いウィスキーなんかをガンガンやりながら「どっちかが倒れるまで頭突きし合おうぜ!」なんて雄叫びを上げた日には、翌日になって「どうしてこんなに頭と額の形が変わってるのだろうか?なんか内出血してるし、なぜ?」って事実に気がついても、なにをしたのか思い出せない。
 こんなことは誰にでも経験あるでしょ?

 「思い出して記憶に固定していく段階では、逆に記憶を強める」
 飲みながら過去を回想するってことは、酒飲みがよくすることなのだけど、そのときそのときの飲みながら記憶することではなく、思い出しながら飲むと記憶がより強固になるってこと。
 これは、「そうなんじゃあないか?」って漠然と僕も考えていたものだけど、やっぱりそうでしたか!?ってカンジ。いや、自分の仮説がたまたま当たっていたからって嬉しくもなんともないけどさ。かえって、悲しいわ。

 もともと無い記憶は固定するもなにもないけど(それがあるってなら、それは妄想ってやつだ)、体験した記憶をその後思い出すと、その体験は確実な記憶であったにも関わらず、少しずつ真実とは離れたものになっていく。それが普通。
 しかし、飲みながら酔いつつ思い出して心から掘り返した体験は、正確さでいえばシラフでいるときのそれよりもむしろ記憶効率としてはベター(いい記憶か苦い記憶かはもちろん別として)ということだろう。

 まぁ、あくまでも「らしい」だけどね。

 だからなに?と問われれば、「それでもドッピオもやっていない」なんだけど。

 あーそうそう、鍋グッズを買いました。毎年毎年、寒い季節がくると買うかどうか迷って迷って「でも北海道に戻ればいつでも鍋なんかできるし、買ったら場所とりそうで…」と買わずにいたのですが。
 IHクッキングヒーター買いました。これで好きなとき~好きな場所で~いつでも鍋ができるってもんだ。
 春も近いこの時期、鍋がなかなか売ってなくて。すきやき用の鍋しかお店にはなかった。
 そういえば去年の12月に一度買ってきたけど全部返品してるんだよなー。IHって土鍋が使えないのを知らなくて、まとめて買ってきてしまったものだから。食材は返品するわけにはいかずに、キッチンで立ちながら一人鍋したっけ…。

 さっそく一人でしゃぶしゃぶをしましたが、肉は200グラムもあれば一食には充分で、白菜なんかは4分の1でも三日もちました。豆腐も一丁で二晩。キノコ類も好きなのでエノキとシメジを一房ずつ仕入れましたが、これも二晩。調子にのって春菊やニラなんか買わなくてよかったです。
 当分必要ないくらいしゃぶしゃぶを満喫しました。大量にタレばかり残ったね。今度食べるときはなに鍋にしようかな~なんて今から考えています。

 そんな3月1日。