偕老同穴
2005-11-09 | 言霊
偕老同穴を誓うのはそれぞれ勝手にやっていけばいいのだろうが、実行したのではすでにその言葉は意味をなさない。無理心中というあまりに報われない言葉に変化してしまう。
福井・大野市で7日午後、火葬場の焼却炉から2人の焼死体が発見された。
遺体は近くに住む老夫婦の可能性があるとみて、警察は身元の確認を急いでいる。
遺体は、大野市七板の集落内にある、現在使われていない火葬場の焼却炉で発見された。
7日午後2時ごろ、近くの住民から火葬場近くに車が止まっていると警察に通報があり、警察が調べたところ、焼却炉の中で白骨化した2人の焼死体を発見したという。
調べによると、車の所有者は、集落内の80歳代の老夫婦で、現在行方不明で、遺体はこの夫婦の可能性があるとみて、警察は身元の確認を急いでいる。
近所の人によると、この老夫婦は2人暮しで、妻が病気で悩んでいたという。(yahooニュースより引用)
偕老同穴とは中国の詩経「王風、大車」からの出典で生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる意で、夫婦が仲睦まじく連れ添うことをいう。
古代大和朝廷にあった十七条の憲法で知られる聖徳太子も、正妃ではなく当時身分の低いとされた膳臣傾子(かしわでのおみかたぶこ)の娘と言われる菩岐岐美郎女(ほききみのいらつめ)と偕老同穴を誓い同じ場所に眠っている。もちろん無理心中ではなく、太子が病に倒れた折に誠心誠意看病した膳臣夫人の方が先に他界し後を追うように太子も亡くなったのであるが。ほぼ時期を同じくして世を去るということはお互いにその思いが強かったからだろうか。
今回の老夫婦の悲しい結末は妻が糖尿病と認知症におかされ、自分がそばから離れた場合の身の上を案じた夫が招いたものであるが、長年生きていて世間の冷たさというものを痛いほど知っているのと他人様に迷惑をかけたくないという気持ちを見てとる事ができる。
夫に先立たれこの世に一人残っていて夫に対する愛がないとして誹りを受け、残された妻は生きながら火葬されるという古いヒンズー教のサティー(寡婦殉死)思想なども思い浮かんできたのであろうか。
一人になった妻が安らかであることが難しいと結論を出した夫は無理心中という道を選んでしまった。判断が正しいかどうか当事者でない限りはかれないし口出しすることもできないほど理路整然としている。
しかしながら、ただ、ただ、悲しい結末を嘆くことしかなかったのであろうか。
いつかは偕老同穴の言葉通りになってしまった事件だと語られ、世の人間の記憶の中からも薄れていくのだろうか。
高齢者が生きていくことの難しさを思い知らされたような気がする。

遺体は近くに住む老夫婦の可能性があるとみて、警察は身元の確認を急いでいる。
遺体は、大野市七板の集落内にある、現在使われていない火葬場の焼却炉で発見された。
7日午後2時ごろ、近くの住民から火葬場近くに車が止まっていると警察に通報があり、警察が調べたところ、焼却炉の中で白骨化した2人の焼死体を発見したという。
調べによると、車の所有者は、集落内の80歳代の老夫婦で、現在行方不明で、遺体はこの夫婦の可能性があるとみて、警察は身元の確認を急いでいる。
近所の人によると、この老夫婦は2人暮しで、妻が病気で悩んでいたという。(yahooニュースより引用)
偕老同穴とは中国の詩経「王風、大車」からの出典で生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる意で、夫婦が仲睦まじく連れ添うことをいう。
古代大和朝廷にあった十七条の憲法で知られる聖徳太子も、正妃ではなく当時身分の低いとされた膳臣傾子(かしわでのおみかたぶこ)の娘と言われる菩岐岐美郎女(ほききみのいらつめ)と偕老同穴を誓い同じ場所に眠っている。もちろん無理心中ではなく、太子が病に倒れた折に誠心誠意看病した膳臣夫人の方が先に他界し後を追うように太子も亡くなったのであるが。ほぼ時期を同じくして世を去るということはお互いにその思いが強かったからだろうか。
今回の老夫婦の悲しい結末は妻が糖尿病と認知症におかされ、自分がそばから離れた場合の身の上を案じた夫が招いたものであるが、長年生きていて世間の冷たさというものを痛いほど知っているのと他人様に迷惑をかけたくないという気持ちを見てとる事ができる。
夫に先立たれこの世に一人残っていて夫に対する愛がないとして誹りを受け、残された妻は生きながら火葬されるという古いヒンズー教のサティー(寡婦殉死)思想なども思い浮かんできたのであろうか。
一人になった妻が安らかであることが難しいと結論を出した夫は無理心中という道を選んでしまった。判断が正しいかどうか当事者でない限りはかれないし口出しすることもできないほど理路整然としている。
しかしながら、ただ、ただ、悲しい結末を嘆くことしかなかったのであろうか。
いつかは偕老同穴の言葉通りになってしまった事件だと語られ、世の人間の記憶の中からも薄れていくのだろうか。
高齢者が生きていくことの難しさを思い知らされたような気がする。