ジュリーさま御一行は明日から広島公演ですね。
広島には今日入られたのしょうか?
お待ちかねのみなみなさま、思いっ切り楽しんでらして下さ~い
ところで、タイガースのジュリーが1968年に単独出演された映画「クレージー メキシコ大作戦」がDVDマガジンとして再販されます。
詳しくはこちらよりどうぞ。
4月9日創刊で隔週火曜日発売。
「クレージー メキシコ大作戦」は7巻目に当たるので、発売は7月まだちょっと先ですが
映画の内容は、
「アメリカ~メキシコ北米大陸縦断大ロケーションを敢行。
製作費2億円、上映時間2時間42分という破格のスケールを誇る超大作」
だそうですが、ジュリーのご出演シーンは確か最後の3分ほど。
以前どこかの動画サイトで観た覚えがありますが、可愛~い若虎ジュリーが外国の女性と仲良く踊っていました
1968年というと、「世界はボクらを待っている」と同じ年です。
ジュリーにとっては、前年の1967年封切りの「ドリフターズですよ!前進前進また前進」が映画初出演となるので、本作が3本目という事になります。
こうした初期のカメオ的な出演は除くとして、ジュリーって俳優としての評価もかなり高いにも拘らず、映像作品におけるご出演作品は比較的少ないですよね。
それだけ歌手業を優先されたという事なのでしょう。
有名なところでは、あの「戦メリ」のヨノイ大尉役をツアーを優先させて断ったというエピソードがあります。
余談ですが、ヨノイ大尉役のキャスティングで私が思い出すのは、沖雅也さんが亡くなった時、友人の俳優の方(今でもTVに出ている有名な方)が、沖さんも候補に挙がっていて、相手役(ボウイが演じたセリアズ役)はロバート・レッドフォードだったと話されていて驚きました。
その方が言うには、もしここでキャスティングされていれば彼が死を選ぶ事は無かったかもしれない…ということでした。
沖さん、カッコよかったです~。
「大追跡」も「俺たちは天使だ!」もスコッチ刑事も必殺シリーズも、マニアックなところでは声優として出演された「地球へ…」のキース・アニアン役も大好きでした
もっと余談ですが、あの有名な養父の方を何故か何度かお見かけしたことがあるのですが(当時私がよく通っていたお店の近くにお住まいだったよう)、歩道を蛇行して歩いていて「この人大丈夫かなぁ」と、思った覚えがあります
余談が長くなって失礼しました
あ~早く生ジュリーを拝したいです(結局全てはここに集約されるのであった)
広島には今日入られたのしょうか?
お待ちかねのみなみなさま、思いっ切り楽しんでらして下さ~い
ところで、タイガースのジュリーが1968年に単独出演された映画「クレージー メキシコ大作戦」がDVDマガジンとして再販されます。
詳しくはこちらよりどうぞ。
4月9日創刊で隔週火曜日発売。
「クレージー メキシコ大作戦」は7巻目に当たるので、発売は7月まだちょっと先ですが
映画の内容は、
「アメリカ~メキシコ北米大陸縦断大ロケーションを敢行。
製作費2億円、上映時間2時間42分という破格のスケールを誇る超大作」
だそうですが、ジュリーのご出演シーンは確か最後の3分ほど。
以前どこかの動画サイトで観た覚えがありますが、可愛~い若虎ジュリーが外国の女性と仲良く踊っていました
1968年というと、「世界はボクらを待っている」と同じ年です。
ジュリーにとっては、前年の1967年封切りの「ドリフターズですよ!前進前進また前進」が映画初出演となるので、本作が3本目という事になります。
こうした初期のカメオ的な出演は除くとして、ジュリーって俳優としての評価もかなり高いにも拘らず、映像作品におけるご出演作品は比較的少ないですよね。
それだけ歌手業を優先されたという事なのでしょう。
有名なところでは、あの「戦メリ」のヨノイ大尉役をツアーを優先させて断ったというエピソードがあります。
余談ですが、ヨノイ大尉役のキャスティングで私が思い出すのは、沖雅也さんが亡くなった時、友人の俳優の方(今でもTVに出ている有名な方)が、沖さんも候補に挙がっていて、相手役(ボウイが演じたセリアズ役)はロバート・レッドフォードだったと話されていて驚きました。
その方が言うには、もしここでキャスティングされていれば彼が死を選ぶ事は無かったかもしれない…ということでした。
沖さん、カッコよかったです~。
「大追跡」も「俺たちは天使だ!」もスコッチ刑事も必殺シリーズも、マニアックなところでは声優として出演された「地球へ…」のキース・アニアン役も大好きでした
もっと余談ですが、あの有名な養父の方を何故か何度かお見かけしたことがあるのですが(当時私がよく通っていたお店の近くにお住まいだったよう)、歩道を蛇行して歩いていて「この人大丈夫かなぁ」と、思った覚えがあります
余談が長くなって失礼しました
あ~早く生ジュリーを拝したいです(結局全てはここに集約されるのであった)