はるかに遠い夢

沢田研二さんにロ・メロメロ。
ジュリーの事を考えると頭の中がお花畑。
その花を押し花にしたいなぁなんて…

小屋

2013年04月11日 | ジュリー ラジオ時々拓郎さん
「吉田拓郎の千夜一夜『沢田研二~41年ぶりの対談~』」についての記事が『ジュリーと拓郎 贅沢な一夜』というタイトルで新聞に載ったと聞き、焦って探したもののなくてガッカリ
どうやら関西版のみの記事だったようですが、アップして下さった方がいらして読むことが出来ました。
ありがとうございます

「2人がお互いに敬意を払い合いながら心を開いていく姿は、すてきな大人とはこういうものかと思わせた。」
この番組を評するのにピッタリな言葉ですね

書かれた島崎さんは「安井かずみがいた時代」の著者です。
「安井かずみがいた時代」はちょっと立ち読みしただけなのですが(加瀬さんのインタビュー部分は既読だったので)、拓郎さんにもインタビューされていました。
拓郎さんはジュリーにも触れていて、そのズバッとした物言いが拓郎さんにしか言えないよなぁ~と感じてしまった
やっぱりちゃんと買って読もうかな

さて、「千夜一夜」についてはもうちょっと書きたかったので、ジュリーが大阪へお出かけの間に書いちゃいます

ジュリーが「ジュリー祭り」を決意するに至るいきさつを語られます。
「じゃおれ、88曲歌おう。(拓郎さん「は~」)
で、その曲数は十分出来るんですよ。(拓郎さん「ほ~」)
ただ今度はお金の計算とか時間の計算したら、それで片付けやると、貸料が、小屋の料金が倍になるって話になって。
何曲までだったら出来るか?って言ったら80曲だったんですよ」

「小屋」ってウィキによると比喩表現として
『大きな建物との対比として、小さい建物を小屋と言う場合がある。その一方で、興行活動において演芸を披露する施設を「小屋」(音楽業界では「ハコ」とも)と呼ぶ場合があり、イベントを開催する多目的ホールやライブハウスをこのように呼ぶことがある。古くは、地域巡業を生業とする旅芸人などが一時的に汎用の小屋に間借りしたり仮設建物を建てて利用したことにも関連する模様。』
とあるので、別に普通の言い回しなんだろうけど、さすがに3万2千人を集めた東京ドームを「小屋」と表現したのが何だかとっても職人気質(かたぎ)な気がして、ジュリーらしいなぁと感じた次第。

下町にある小さな町工場なんだけど、実はアメリカのトップ企業がここでしか作れない部品を買い付けに来る、という凄い技を持った頑固な職人。(「最悪(2001)」で町工場の社長を演じていらっしゃったけどあのキャラとはちょっと違うかな

今年のお正月LIVE(大阪)のMCで、
「イベンターの人間が若くて、沢田研二は分かっていてもタイガースが分からない。
『とにかくすごい人気だったんだから騙されたと思ってやってくれないか』
と、話しをしても
『それいつ頃の話ですか?』
『昭和42年。』
『え~、生まれてないですよ』
って感じだったんだけど、いざふたを開けたら(初日の発表を受けて)反響が凄くて
『是非うちでもやらせて下さい』
と大騒ぎになった」
といった内容のお話しをされていたので、ジュリーご自身がイベント会社に勤める若者と直接交渉されたりするのかと驚きました
まぁ、直接というのはさすがにないとしても、かなり密に現場を把握しているという事は確かでしょう。

前述の島崎さんの記事に、
「スイカを持って電車やバスに乗り、アジの開きを焼いて朝ご飯を作り、仕事に出かける妻を送り出す」
とありましたが、そんなもんじゃないですよ
曲を作り、CDを作り、ツアースケジュールを組み、イベンターと交渉し、ステージの構成から演出まで考え、大好きな練習を入念に行い、ステージで最高のワンマンショーを観客に供する。

拓郎さんとの対談の中で、
「自分ひとりでは何も出来なくて、周りにこう支えられてて、みんなにお御輿に乗せてもらって、良く見せてもらってるっていうのは、それは自分では許せないんですよね。
それに見合う働きっていうのか、肉体労働をしたい」
と、語られています。

いやはや、有言実行にもほどがあるというか、その生き様には圧倒されてしまいます
こんな方と一緒に仕事をして、男が男として惚れちゃったら堪らないでしょうね

今日のCD:「Pray」ライブが待ち切れないよ~

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当に、そう思います。 (えいこはん)
2013-04-13 16:15:57
 はるかさん、素敵な記事ですネ!
 気づいた時には? 私も、ジュリーの
ビュジュアルより、歌と“人間性”に
夢中になっていました。

 ザ・タイガースが全盛の頃の中学生
の私は、☆「てなもんや三度笠」…
 ※ 1967年秋、5人が“モナリザの
微笑”の衣装を着て“伴天連(バ
テレン)・宣教師 役”で登場した時、
耳を劈く観客の“黄色い声援”の
「キャ~! ギャ~~!!」 が? テレビが壊
れちゃったの?(笑)と、思うくらい
凄かったです(*勿論、他の役者
さんのセリフも、聞こえません~)
・☆「ザ・ヒットパレード」・☆「しゃぼん
玉ホリデー」のTV番組視聴の“三種の
神器”の如く(笑)、必須3番組と
'68年からの☆「夜のヒットスタジオ」は、
毎週欠かさず視ていました。
 ジュリーばかりに明け暮れて居た
訳ではなかったのに? デビューした
頃から、TV画面にて数多く映し出
された“何気ない”ジュリーの表情
は、いつも魅力的で、新鮮で、飽き
ることがなく…こんな歌手・芸能
人は、この先も現れることは絶対
ない! と確信できました(笑)。

 「両親とジュリーに、恥ずかしくな
い? 生き方をしよう!」と私が固く
決心したのは、何かと誘惑があっ
た?(笑)、高校生の時で…
 ザ・タイガースからPYG、ソロ活動への
流れの中で、ジュリー御自身は相当?
大変な時期だったはずなのに…
 毎回、TV画面に映し出される
“人間ジュリー”の魅力、芯の強さと
心根の優しさは、増すばかりと?
私の目には、眩しく映り…
 青春期の諸々程度で? 私如きが
簡単に? 挫けている場合じゃない
と悟り(笑)、気持ちを何度も前向
きに切り換えさせて貰えました。

 ♪そう あの時の ままだよ~
 何があっても? ジュリーの“自然
な所作”の中の、品性(*本性)が
変わらなかったからこそ、信じる
ことが出来て…“今も満足”し、
、感謝して…私たちはついてきて
いるのだと、思っています。
返信する
えいこはん、おはようございます ()
2013-04-14 07:53:36
「てなもんや三度笠」「ザ・ヒットパレード」「しゃぼん玉ホリデー」ですか
人に歴史あり、えいこはんとジュリーに歴史ありですね

10代の、あの華奢なジュリーが動いている記憶をお持ちとは、羨ましい限りです

私も仕事でうんざりした時などに考えます、
「ジュリーだったら、こういう時どう行動するのか?」と。

昨日、志村さんがTVで東日本を訪れて、将来の夢を語る高校生たちにエールを送っていたのですが、
「ぼくは、自分が笑うよりも人が笑っている姿を見ることが好きだから、この仕事をやってます。
人を幸せな気分にすることが自分の幸せ」
といった感じの事を話されていました

きっとジュリーにもそういうところがおありですよね。

私もえいこはんを見習って、ジュリーマニアとして恥ずかしくない生き方を心掛けたいと思います
返信する