ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

イスタンブール(2)

2024-02-18 22:25:56 | トルコ旅行
第5日(2024年2月2日)
洞窟ホテルー専用バスーカイセリ空港ーTK2011ーイスタンブール空港ー昼食(日本食:優雲也)ータクスィム広場(イスティクラル通り自由散策)ートプカプ宮殿ーブルー・モスクー宮廷料理の夕食ーホテルHilton Istanbul Bakirkoyー夜の買い物


5時モーニングコール、5時半朝食。

6時半、専用バスにてカイセリ空港へ移動。カイセリ空港でのチェックインは自動(セルフ)でなくて、チェックインカウンターの人にパスポートを提示して搭乗券を発行してもらえた。
 
10:10、定刻より20分遅れてトルコ航空TK2011便のエアバスA321がイスタンブールに向けて出発しました。

機内で提供されたパンは、トマトとチーズのサンドイッチでした。温めてあり、とにかく美味しくて朝食の後でしたが、殆ど食べてしまいました。
座席は左側の「31B」であり、前席のテレビで航路を確認するとカイセリからイスタンブールの旧市街の北にある空港へ直線的に飛ぶから、窓からモスクやガラタ橋が窓の下に見えるだろうと期待していました。残雪が見えるカッパドキアからイスタンブールに近くなると雲海の下が見えなくなってしまったが、ボスポラス海峡が近くなる頃には飛行機が高度を下げたのでホッとしました。


ところが飛行機は左に旋回してマルマラ海上空から北進して空港に向かうルートを取ったので、旧市街は右側の席からしか見えなかった。偶然、右側の席に座れた長崎からのメンバーがタブレットで航空写真を撮っていたので、それを頂いた(右の航空写真にモスクが見えています)。
 

イスタンブール空港に着き、専用バスに乗って約45分走り、新市街のレストランに着きました。ポイントホテルタクシム内の和食「優雲也」はタクシム公園から僅か500mほどの場所でした。天ぷらと、うどん、玉子などの日本食でしたが、個人的にはせっかくトルコに来たのだからトルコ料理が食べたかった。
 

13:50~14:10、旅行社の日程表にはイスティクラル通りへ行くことになっていましたが、タクシム公園で自由時間となり、地図を事前に調べていなければ電車通りがイスティクラル通りとは気づかなかったかも知れない。ロクムの店など覗いたがあまりにも自由時間が短くてゆっくり出来なかった。それでも、アイスの店のパフォーマンスと、名物の電車を見ることは来ました。

タクシム広場

イスティクラル通りの店です。


15時、新市街からトンネルを抜け、水道橋を抜けて旧市街に入りました。アヤソフィアの南までしかバスが入れないので、バスを降りて、トプカプ宮殿に向かって城壁を右の見ながら坂を上って行くとアメフト3聖の給水所がありました。建物の四隅にヴェフヴィーの詩が刻まれているらしい。


ここにも大きいけど、おとなしい犬が居ました。表敬の門からトプカプ宮殿に入ります。入場料を現地ガイドのエリキンさんがスマホで支払ってくれるのでバーを倒して入場しました。


宝物館、兵器庫、イスラム預言者の館、アフメト3世の図書館などを観て回りました。館内は撮影禁止ですが係員も疲れてくると注意しないので、スマホで撮影している人をかなり見かけました。私も立ち止まらずに写真を撮りました。スプーン職人のダイヤモンドは86カラット。鮮明な写真には撮れなかった。




売店で築城のKさんが絵葉書とマグネットを購入した時、お釣りの2リラが無いけどいいか?と店員に言われた。ここでは現金で買わずにカードで買うのが一般的だから、小銭を用意していない。おおきな白い鳥はなんだろう?と思いましたがカモメでした。猫・犬・カモメが共存している公園っていいなあ。


アヤソフィアの撮影ポイントで今回のグループ全員の写真を添乗員の原さんが撮ってくれましたが、ただ一人宮地嶽から参加された男性がこの瞬間に不在で写っていないのが残念です。


記念写真を撮った後、すぐ近くにあるOttoman Hotel Imperial内のレストランで宮廷料理の夕飯を食べました。オードブルは小さいカップに入った物で、今まで食べたトルコ料理とは違ったイメージ。メインのチーズと牛肉は柔らかくて量が多いので、カミさんは食べきれなかった。今までのレストランでは無料の飲み物は提供されませんでしたが、ここでは食後のチャイが出ました。




食後、ブルーモスクSultanahmet Camiiがライトアップされた夕暮れの景色を楽しみました。かつて競馬場があった公共の広場Sultanahmet Squareはは1月30日の夕方にも案内されたましたが、切石積みのオベリスクÖrme Dikilitaşの夕景もいいものです。


17時にホテルに戻りましたが、近くのスーパーでお土産を買いたい人が居たので17時30分にロビーで集合してKılıçマーケットへ出かけました。今回の旅は天候に恵まれましたが、買い物に出た時は前回(1月30日)も今回も雨が降りました。トルコの酒「Raki」は免税店でも買えますが、上海で手荷物として液体を持っていると没収される危険性があるので、地元で買って受託荷物に入れておく必要があり、スーパーの隣りのŞahin Tekelで購入しました。700TLでした。
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カッパドキア(2)

2024-02-11 16:05:59 | トルコ旅行
第4日(2024年2月1日)
洞窟ホテルー気球体験ー三姉妹ー鳩の谷ー絨毯の店ー昼食ーカイマクル地下都市ートルコ石の店ーウチヒサールーパジャパーーデブレントーレストラン(ベリーダンス)


カッパドキアは気球のメッカですが、風が強いなど条件が悪いと夏季シーズンは30~50%、冬季は20%しか飛べないそうです。イスタンブールのガタラ橋の下の食堂で出会った日本人グループは「飛べなかった」と残念そうに言われたし、昨日の昼食の人も飛べなかったと聞いた。飛行が可能かどうかの判断を機長や気球会社が検討するのでなく、政府が決めるが昨夜の段階では「飛行の可能性がある」との判断でした。17名の今回のグループ内の9名と添乗員の合計10名が乗るので朝5時にモーニングコールがありましたが、4時に起きて準備しました。厚い靴下、ヒートテックの下着と2枚のダウン、帽子、2枚の手袋とマイナス6℃で1時間以上耐えられる防寒具を用意して5時半に朝食を食べました。
  
6時に出迎えに来たベンツに乗り込みました。車内で袋に入ったパン・お菓子・ジュースが提供されました。しばらく走って停車しましたが、車内で待機する指示があり、外は真っ暗でどんな場所だかわかりませんでした。

7時になり車のドアが開けられて外を見ると気球のゴンドラがヘッドライトに照らされていました。
薄暗い外に出ると気球を膨らませるファンの音が聞こえました。ゴンドラが倒されて時々炎で気球内の空気を暖める頃には周辺にかなりの数の気球が準備している様子が見える様になりました。
 

車外に出ても良いと許可があったので、車のライトに照らされたゴンドラの前で記念写真を撮り、気球が膨らむ様子を観察したり写真に撮ったりしました。
 

倒されていたゴンドラが熱気球の浮力で起こされた時、脚立がゴンドラの横に立てられて乗り込む指示がありました。私は自分の足先をゴンドラの中まで持ち上げる事ができない人の補助をしましたが、転げ落ちる様にアンバランスになる人が多かった。20人乗りのゴンドラで端の区分2ブロックに3人づつ、中央に近い2つのブロックに2人づつ、中央はパイロットと撮影要員、私が乗った中央寄りのブロックには補助の係員1名が乗ったので総勢21人だったと思いますが、パイロットの反対側の4つのブロックに何人乗っていたのか定かではありません。エンジンを積んでいない熱気球が上昇するのは静寂そのもので、地面がどんどん遠ざかって行きました。
 

夜明け前のオレンジ色の空に雄大な姿のエルジエス山と雪のカッパドキア平原、その中に自分たちの気球だけでなく、他にもいっぱい気球が浮かんでいました。熱気球に乗れるなんて滅多にない体験であり、感激して涙を浮かべている人も居ました。

真下を見ると高所恐怖症の人はゾッとするかも知れないけど、ゴンドラは胸の高さまであり、遠くの景色や多くの一緒に飛んでいる熱気球を観るので恐怖は全く感じません。上昇する為のバーナーの明るさと音にスマホを向ける人、仲間同士で写真を撮る人、多くの気球のキョロキョロするなど、それぞれが楽しんでいました。




高く飛んでいた我々の気球が高度を下げて谷を飛行する時、ゴンドラの底が衝突するのではないかと心配しましたがパイロットがバーナーを点火して気球を上昇させてスレスレでクリアする技術は大したものでした。気球を回収する車が風下に来ると、地上の係員3人が気球を台車の上に来る様にドラゴンの方向を修正し、パイロットが気球の上の蓋を開けてピンポイントで台車上に着陸させたので、思わず拍手していました。


ゴンドラの側面に開いた穴に足をかけて降りるのが一苦労で転がり落ちそうになって笑い転げていた姿を撮影しなかったのは惜しかったです。
機長がシャンパンを開けて無事の着陸を祝って乾杯しました。お礼のチップは一人50リラでした。飛行証明書を受け取りました。
 

飛行中の軌道をガーミンのGPS etrex HCに記録していました。左の画像は水平方向の移動を示すものです。前夜のスーパーArikanへの買い物へ行く時の記録を消していなかったので、画面上にArikanへの軌跡も残っていました。到着地点はホテルから北西4.25Kmでした。
右側の画像は垂直方向の軌跡をグラフ化したもので、水平方向が時間軸、垂直方向が標高を示します。飛行時間は約40分、標高1062mから離陸して最高位置が21分後の1742m、つまり680m上空を飛行していた事が分かります。谷に降りた時の標高は1160mで、その後少し上昇して標高1230mの地点に着陸したとわかります。気球に乗らなかった人はホテルの上を気球が飛んでいるのを見たそうです。
 

9時45分、気球に乗らなかった人も含めてホテルを出発して奇岩観光に出かけました。先ず三姉妹の岩。
 

10時30分、鳩の谷。ここは鳩の形の岩があるのだと想像していましたが、鳩が住む穴を掘り、糞を肥料として集める為の人間用の横穴を開けた一体のことだと分かりました。
 

10時40分、絨毯の店Yüksel Carpetは鳩の谷から約3Km。ヘレケの絨毯の歴史。中国・ペルシャ・トルコが絨毯として有名だが、トルコ絨毯は2重結びで抜けない。


草木染だから色落ちが無い。カッパドキアにしか居ない黒毛の羊、ベージュの羊の毛を使い染色無しで織った物がある。多くの絨毯を広げて、足で踏んで感触を体験させてもらった後、個別に購入を持ち掛けられました。2畳はどのサイズで25万円、玄関マットをおまけして、送料はトルコが負担など押し売りされたが、買わなかった。グループの中の何人か購入されたようです。
 

 

12時45分から昼食Dede Efendi, Bahçelievler Mah. Profesör, Nevşehir, Dr. Zeliha Berksoy Blv., 50650 Ortahisar/Ürgüp/Nevşehir, トルコ。スープ・ナス・チキン・はちみつヨーグルト。
 



14~15時、レストランから南へ約28Kmにあるカイマクル地下都市Kaymaklı Yer Altı Şehriの観光。隠れキリシタンが暮らした遺跡で世界遺産となっており、地下4階部分が一般公開されている。教会・倉庫・葡萄酒を作った場所、かまどの煙が外に漏れて居場所を悟られない様に洞窟内を循環させたので、煙の跡として天井が黒くなった事など、狭い洞窟内を観てまわりました。
 



バスで北へ22Km、約30分移動して、トルコ石の店「HANEM」ART CENTERに着きました。日本の旅行誌「るるぶ」に宣伝広告してる店でトルコ石の原石や最近流行の石など説明があり、販売。購入する気持ちが無い私は日本語が話せるので応援に来ていたホテルのオーナーと世間話を折尾から参加のMさんと一緒に楽しみました。
 



午後4時半、ウチヒサール城の北側にあるUchisar Photo spotに降りて記念写真を撮りました。乗って移動することを目的とするのでなく、記念撮影する為にラクダに乗る観光客がいました。砂漠の中のラクダは絵になるからいいけれど、雪景色を背景のラクダってどうなんだろうと頭の中では思いましたが、それなりに悪くないものに見えました。
 

Uchisar Photo spotから北東へ9.3KmのパジャパーPaşabağlari Ören Yeri Girisへバス移動。自由時間が与えられてキノコの岩を観て歩きました。
 



次の撮影ポイントはデヴレントDevrent Valleyです。(東へ5.6Km)、ラクダ岩が有名です。カッパドキアでは猫を見かけることは少なかったですが、野犬が多く居てバスを降りると寄ってくることがありました。大型犬であり1匹だけでなく3~4匹が群れで居ることもありましたが、人に慣れておとなしいから恐怖を感じる事はありませんでした。
 

 

18時~19時、デヴレントから北西7.7Kmのレストラン「ALTINOCAK」に於ける夕飯はベリーダンス付きでした。
夕食はナスの肉詰めをメインにスープ・サラダとデザートがあり毎度お腹いっぱいの美味しいものでした。食事が終わる頃に暗くなると同時にミラーライトと音楽に乗ってダンサーが現れました。
 





ダンサーは踊り終わると私に舞台に出る様に手招きしました。17名の小さいグループで他の客が居ない空間だったので、遠慮せずに出ると、折尾のマラソンランナーMさん、山口のSさんも要請に応じて舞台に出て、ダンサーと一緒に踊りました。
次に女性にも出る様にダンサーから誘われて、8人が半円形に並んで踊りました。3日間一緒に行動をして仲間意識が芽生えていたので全員で愉しい雰囲気になれました。
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カッパドキア(1)

2024-02-11 09:25:05 | トルコ旅行
第3日(2024年1月31日)
ホテルーイスタンブール空港ーカイセリ空港ーギョレメ昼食ーギョレメ野外博物館ー洞窟家屋訪問ーフォトスポットー陶器店ー洞窟ホテルー夜の買い物


朝5時半のモーニングコールでしたが、4時半には起きて荷物をパッキングして、6時半にL階の食堂で朝食を食べました。(トルコでは1階が「L」、2階が「M」、「1」が3階です。)オリーブの産地だけあって色んな種類のオリーブが並んでいましたが、食べ過ぎるので、パンと野菜とヨーグルトだけを食べました。

7時にバスでイスタンブール空港へ行ってトルコ航空の国内線でカッパドキアに向かいました。空港に於けるチックインはセルフで座席を選ぶのですが操作が分からず、同じ団体の仲間の基山から来たテニスプレーヤーの女性一人旅Aさんに教えてもらって搭乗券を得ました。次の荷物のチェックインもセルフで自分で画面を操作し、コンベアに置いたスーツケースに荷物のタグを取り付けます。何度操作しても動作しなかったのは設備のエラーで戸惑っていたら復旧して何とか手続きできたのはエリキンさんが手伝ってくれたから。一人きりの旅ならパニックになったかも?世の中どんどんデジタル化が進んでいるので勉強が必要だと思いました。


カッパドキアは寒いと聞いたので、皆しっかり防寒具を着込んで、9:50イスタンブール発カイセリ空港行きのトルコ航空TK-2016便に乗り込みました。
 
約1時間30分の国内のフライトですが、温めたハムサンドとジュースがでましたが、このパンがあまりにも美味しくて完食してしまいました。


のんびり旅行して美味しいトルコのパンを食べながら航路を示す画面を見ていると、我々が飛んでいる北側=黒海の上(北)にはodesa(オデーサ)やMariupol(マリウポリ)という地名が見えました。ウクライナの戦場がすぐ近くにある!と気づきました。
 
11時20分、カイセリ空港ASR=Kayseri Erkiletにランディングし、荷物を取り出して50分には待機していたバスに乗りました。

昼食場所のギェレメまで75Kmを国道D300で西へ向かいます。左の車窓に中央アナトリアで最も高い火山「エルジエス山」標高3916mが見えました。カッパドキアの奇岩はこの火山から噴出された火山灰や溶岩などが雨と風で浸食されたもので、スキー場があり、同じ飛行機にも冬休みをスキーで過ごすスキー板を持った人も乗っていました。

緑が少ない大地は肥沃には見えず、麦と砂糖ダイコンしか収穫できないそうです。カッパドキアは地名でなくて奇岩が多い地域の名前です。ユルギュップに入ると奇岩が見え始めました。32年間ガイドをしているエリキンさんがカッパドキアの歴史や地理の話を詳しくされました。5000年前に噴火したアララト山5165mが休火山となった。この噴火も奇岩を作る要因となった。ヒッタイトが鉄を武器に栄えた紀元前1300年頃、鉄を作るのに木を伐採してしまったが、雪が降るので水資源は地下から汲み上げることが出来る。エジプトとヒッタイトが平和条約を結んだ。カッパドキアはペルシャ語で強くてきれいな馬という意味。西安からイスタンブールまでのシルクロードを2年かけてラクダが陶器を運んだ。ラクダの寿命は40年。陶器が割れない様に泥で固めていた。ヒトコブラクダは1回で100Lの水を飲み21日間水無しで歩けた。簡単なメモを取ったけど聞き漏らした事や聞き間違いがあると思うが実に知識豊富なガイドさんと感心しました。
 

午後1時に昼食のレストラン(Köşebaşı Kapadokya)に着きました。庭には積雪がありました。ギョレメの町の中心部(200mほど南西寄り)なので奇岩も見えます。
 

壺に入った肉を客の目前で火あぶりにするパフォーマンスは撮るチャンスを逃してしまいましたが、伸びるアイスクリームをクレープしたデザートもある、美味しい豪華食事でした。
  

  

昼食後はバスで2キロほど移動してギョレメ野外博物館を見学しました。入場料が必要なのでゲートがあり、エリキンさんがゲートのバーが開く様にスマホで操作してくれます。「博物館」と言う名前はついていますが、ここは隠れキリシタンの洞窟教会で内部には今でも色彩豊かな壁画が残っていますが、残念ながら撮影禁止となっています。中でも暗闇の教会が最も壁画が美しいのですが、別料金が必要です。キリストの歴史を壁画にどう表現されているのか、ここでも博識のエリキンさんの詳しい説明がありました。
 

売店の先に停めたバスを集合場所として自由行動になりました。事前に滑りにくい靴を履くように注意されていましたが、坂と階段と凍った場所があり、高齢者には厳しい山登りです。
   

 

 

歩いた軌跡がGPSに残っています。事前にgooglemapからデータを読み取りウェイポイントとして記録し、現地を想像してシュミレーションして臨みましたが実際に行ってみると想像と随分違っていました。


3時40分、旅行社が事前に計画した観光順序には無かった洞窟ハウスに住む個人宅を見せてもらえることになりました。カッパドキアには7軒の洞窟ハウスで暮らす人が居てエリキンさんの馴染みの1軒に電話連絡すると訪問をOKしてもらえたそうです。この家の持ち主はアドゥナンさん、60歳。洞窟ホテルの工事をする建築土木の技術者で政府に認められて住むことを許されているが、家賃は昔は無かったが今は5年で1万円だそうです。奥様は織物の先生で我々を受け入れたリビングルームにカーペットの織り機がありました。3階建てで2階が教会(今は使っていない)1階がリビング、地下が寝室だそうです。世界遺産なので一切の改造が許されていないからリビングの床は傾斜したままです。洞窟なので冬は暖かく夏は涼しいそうですが、子供達は好きではないのでここには住まない。暖房は石炭ストーブで、一般の家では年間2トンを必要とするが、洞窟では500キロで済むので経済的。リビングには絨毯が敷き詰められていましたが、1枚はお婆さんの製作、もう1枚は奥様の作品。カッパドキアでは女性が結婚するまでに3枚の絨毯を作ることを求められ、1枚は親に、もう1枚は結婚相手に、そしてもう1枚は自分が使うのだそうでした。アップルティーが振舞われました。
  

 

  

食べ過ぎてしまったのか、洞窟の家を出るときに、どうしてもウンチがしたくなってこの家の屋外のトイレを使わせてもらいました。小屋のドアを開けると和式と同じスタイルで使用する便器があり、ドアに向かって右側には水道のレバーとホース、左には空のバケツが置いてありました。用済み後ホースの先を便器まで持って来てレバーを倒すと水が出て汚物が流れます。尻を拭いた紙をバケツに置いて出たけど、それで礼儀にかなうのか不明。ミャンマーやタイでは水桶と柄杓が置いてあり右手で柄杓の水をお尻にかけながら左手で拭きます。それより寒い所だから水には手を触れないのだろうと思います。下水処理がどうなっているのか聞かなかったけれど。東南アジアより文明が進んでいるのでないかと感じました。一般家庭のトイレ内部の写真を撮れなかったのが残念。


午後4時40分、撮影スポットのアブジュラル谷で写真タイムを取りました。
 

今日最後の場所は陶器店。作業員の絵付けやロクロの操作を見た後、多くのコレクションを見て販売もされましたが、芸術品の模倣を嫌うのか撮影禁止の場所が多かったです。
 

  



午後6時40分、洞窟ホテルのミニアホテル(Cappadocia Minia Cave Hotel、Ortahisar)にチェックインしました。カッパドキアはワインの産地であり、ウェルカムドリンクとしてワインがありました。
 

我々の201号室はロビーから近く、ソファーがあって良い部屋でした。203号室は佐世保から参加の女性、204号室は長崎からの女性、本当の洞窟の部屋は築城にKさんが割り当てられました。洞窟を利用しているので、それぞれユニークで均一性がありません。
 

 

夕飯はホテルの食堂で鮭のグリルでした。デザートのお汁粉は全然甘くなかった。
  

夕食後、ホテルを抜け出してスーパーのARIKANへチョコ菓子を買いにいきました。イスタンブールより東部の田舎は物価が安いと一般的に言われており、夜間も安全と思うし、ホームページの口コミの評価が良かったのでホテルに近いBIMへは行かずに、ここへ行ったがずば抜けて安い訳ではなかった。部屋にフルーツがあり、オレンジを食べるとめちゃくちゃ美味しかった。
 
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イスタンブール(1)

2024-02-10 19:30:53 | トルコ旅行
第2日(2024年1月30日)
上海浦東空港ーイスタンブール空港ースレイマニエモスクーグランドバザールー昼食ーボスポラスクルーズーエジプシャンバザールー夕食ーヒルトンホテルー夜の買い物


MU703便は雨の上海浦東空港を1時20分にイスタンブールに向けて出発しました。機材はA330、席は2,4,2列の配置であり、64CとAでした。旅行案内では機内での食事は朝食だけになっていましたが、夜中に1回目、到着前に2回目の食事が出ました。夜中は魚ライスとチキンヌードルから選択、朝はオムレツとチキンヌードルからの選択ですが、エミレーツの様なメニューシートもワインもありません。食べ終わった頃にパンが配給されるなど、質素で気が利かない感じです。


 

テレビのリモコンが効かないので使い方をアテンダントの問合せすると席を換えようかと提案されたが断わると、機内でのインターネットを教えてくれました。www.muflyer.comにて席番号とパスポートの下4桁を入力すると飛行機の位置やインフライトムービーを見ることが出来ました。


7時47分にイスタンブール空港に着きました。タキシングで到着ゲートに向かう機内から外を見ると雨でした。


入国手続きを済ませ、グループ全員17名が受託荷物を受取り、現地ガイトのエリキンさんの先導で停車しているバスに向かいます。


エリキンさん(ERKiN YEşiLIRMAK)は、自分を「キンちゃん」と呼んでくださいと完璧な日本語で自己紹介されました。携帯:0532-313-0795
バス内でキンちゃんが用意したトルコリラを5000円分両替してもいました。イスタンブールでもカッパドキアでも日本円での買い物が出来るし、食事付きで1日1本の水もあるから5000円もあればちょっとした土産なら十分だろうとの話でした。各人が両替所に並んで両替するより時短できて効率的です。

5000円→900TL。レートは5.6円/トルコリラ。
有料トイレ:5~10TL
枕銭:30TL(マストではない)
スリが多いから荷物は前に持ち、写真撮るときも片手で鞄を押さえる。
電圧:220V
など注意事項とトルコの歴史などを車中説明されました。エリキンさんが会社からとお守りのボンジューと、モスクへ入る時に靴を脱ぐ必要があるので、その靴を入れる袋と、トルコの地図をプレゼントとして配布してくれました。これに対し、阪急トラピックスから濡れティッシュがバス内で配られました。

空港からイスタンブールの旧市街までは南南東へ約41Kmです。ヴァレンス水道橋を抜けて旧市街に入ります。エリキンさんの説明では20Kmあったが今は800mだけ残っており、当時50万人に水を供給していたとの事でしたが、ネットで調べると1500年も使われ続けたこの水道250km北の水源から引いたとの記述がありました。


旧市街は大型の車の乗り入れが出来ないので、少し手前から歩いてスレイマニエモスクSüleymaniye Camiiへ行きました。エリキンさんが我々を迎える為に空港に着いたときは、土砂降りの雨だったそうですが、雨は止んで傘無しで歩けました。


モスクに入る前にムスリムが体を清める場所の説明がありました。
 

モロッコ旅行をした事がありますが、モロッコではモスク内にイスラム信者でない人は入れません。でもトルコでは宗教に関係なく誰でもモスクに入れます。豚は食べないけれど、アルコールを飲むことを許すトルコは規律がちょっと緩いようです。ミナレットと呼ばれる塔は、昔お祈りする時刻を知らせる為に人が上ってアザーンを伝えていたけど、今はマイクがあるからこの塔に人が上ることは無いそうです。

10時30分、スレエマニエモスクの敷地に入り、先ずトイレの位置を教えてもらった後、モスクの入口で靴を脱ぎ、女性はスカーフで髪を隠します。確かにその指示をする看板がありました。緑の大きなカーテンがあって内部は覗けません。


天井が丸くなっており、偶像はありません。アラビア文字が書いてありますが、現在のトルコ人は読めないそうです。1923年にアラビア文字を止める法律が出来て5年間の猶予期間を終えて1928年からローマ字を使うようになったと説明されました。




自由時間に無料のトイレに入ると、我々日本人には一般的な様式トイレと、トルコ式のトイレが併設されていました。日本の和式と違うのはドアに向かって座ることです。トイレットペーパーが完備され汚物を流す水は水道の蛇口から桶にいれて流すようです。(紙を流して良いのか表示されていなかった。)
カミさんは時差ぼけか、飛行機酔いか、それとも食べすぎなのか、おう吐して苦しそうでした。
 

トイレの建屋からモスクの写真を撮った時には、雲がほとんど無く、晴れて空が真っ青でした。思った程寒くなくて天候も良く、ラッキーな旅になりそうな予感です。

グランドバザールKapalı Çarşı
11時半、モスクを出て、グランドバザールへ行きました。現地ではカパル・チャルシュ(屋根がある市場の意味)。自由時間が与えられたのでカミさんはバラマキ用の袋を買いました。10個買うので1個30トルコリラを25トルコリラに値引きしてもらいました。ターメリックの価格を調べました。300gで295TLまで値引き交渉できましたが、午後に行くエジプシャンバザールで買うので視察だけにしました。


 

そこから歩いてガラタ橋のレストランへ行って昼食。途中でレンタルスケートボードを多く見かけました。イスタンブールは坂が多く、道が狭いのでレンタサイクルは無いそうです。


途中で多くの猫たちと遭遇。イスタンブールには猫が多いと観光ガイドブックにも出ていました。この後に行ったグランドバザールでも雑踏の中を悠然と歩く猫が居ました。十分な餌を食べて、誰もいじめないのか、猫はコソコソ逃げることもせず堂々としていました。
猫には地域の人が十分な餌を与えています。猫好きの人にはイスタンブールは嬉しい町でしょう。
  

  

トルコ初の昼食:ガラタ・フィッシュ・ハウス(GALATA FISH HOUSE)
ガラタ橋を歩いていると、アジア側の新市街にあるガラタ塔が見えていました。
 

橋の下にレストランがあります。橋の上から釣りをしている人が居て、エリキンさんは「小あじが釣れる」と言っていましたが。目の前を30センチ近い大きい魚が釣りあがっていきました。

メニューはスズキのグリルで、大きくて立派だけど、頭を左に置く丁寧さがなく上下逆で大雑把な盛り方で提供されました。カミさんが体調悪くて食べれないから2尾食べました。魚のスープとサラダが付いていました。
 

魚屋さんの魚の並べ方が縦で絵の様に見えました。大きな岩牡蠣やとんでもなく大きい伊勢海老も売られていました。
後方に接近中の船がチャーターした船です。
 

ボスポラス海峡クルーズ
チャーターした船でガラタ橋の新市街側から「7月15日殉教者の橋」の北側までボスポラス海峡を往復しました。(14時~15時20分)
出港後は多くのメンバーがデッキで観光しましたが、風が冷たいので宮地嶽から一人で参加した男性を除いて船室内から観光しました。ドルマバフチェ・ジャーミーの北側のイスタンブール海軍博物館を見ながら、エキリンさんは海軍に入隊した(個人の意思でなく政府が決める)が、徴兵制度は我慢することを学べるので良い体験だったと自らの意見を述べておられた。
  

  

カモメが飛んで雰囲気がいい。昔、日本で流行ったウシュクダラの歌があったが、ここがウシュクダラの港と案内された所には「usukudar」の文字がありました。


クルーズが終わり、ガラタ橋の旧市街側で下船しました。北側にサバサンドを売っている店があります。レストランの食事もいいけど、地元B級グルメの「サバサンド」をどうしても食べたいと思っていたので、エリキンさんにお願いして販売している船の売店に案内して頂きました。グループの中の5人が一緒に買いました。125リラ(約625円)でした。夕食前だから、その場で食べずにホテルに持ち買って食べましたが写真を撮らなかったのが残念。とても大きくて腹いっぱいになりますが、築城から参加したKさんはあまりの美味しさに、夜中に1個全部食べてしまったそうです。
屋台の冬らしい焼き栗を買って食べました。
 

エジプシャンバザール
買ったサバサンドを持って、エジプシャンバザールへ行きました。現地の言葉ではムスル・チャルシュス(Mısır Çarşısı)エジプトはトルコ語でムスルです。各店に番号があって分かりやすいスパイスや食べ物、お土産などの市場です。15番のHazer Babaを集合場所として自由時間が与えられて参加メンバーは自由に買い物をしました。事前にこのバザールのホームページでスパイスの店を何店かチェックしていましたが、この店の価格を尋ねるとグランドバザールにて下調べした価格と殆ど同じであり、飛行機で持ち帰る為の真空パックもしてもらえるので、ターメリック(156TL)・コリアンダー(156TL)・シナモン(240TL)を各200g購入しました。日本の半値以下です。
 

 

カミさんがバラマキ用の土産を捜したいというのでバザール内を歩いていると、ネットに載っていた48番の「エドまっちゃんのみせ」を見つけたので覚えたばかりのトルコ語で挨拶したりトルコ語の数字で交渉などするとすっかり気に入られて、チャイは出してくれなかったけれど、店内の椅子で休ませてくれて、記念写真を一緒に撮りました。
 

競馬場跡のオベリスクなどがある広場を下りたレストランで夕食を食べました。
レストランのビールは180リラ。サラダ・スープ・春巻き風ロール・ケバブの夕食でしたが羊の臭いがありました。
  

 

ホテルチェックイン
ヒルトンホテル(Hilton Istanbul Bakirkoy)は食事をしたレストランからKennedy Avを西へ11.9Km。19時頃に到着しました。


夜の買い物
添乗員の原さんがスーパーを案内するので荷物を部屋に入れた後、ロビーで集合してKılıç Market Bakırköy Şubesiまで歩きました。足元を照らす自転車用のヘッドライトとGPSが役立ちました。ホテルを出ると雨が降りだし、着く頃には本降りの雨に濡れてしまいました。チョコレート菓子などを買いましたがインフレに驚きました。1リラが20円ほどした4~5年前と比べてリラが1/4の5円ほどになったのは嬉しいけれど、1個3リラ程度のとその頃の本に紹介されていたチョコレート菓子が10~20リラほどになっていたから。
添乗員の原さんと分かれてコンビニの酒店Şahin Tekelで地酒のRakiの価格を調べて、EFESの缶ビールを買いました。500ccの缶が60リ、レストランの1/3の価格です。350ccの缶は無くて小瓶は45リラでした。黒ビールのDarkは置いてなかった。Rakiは100リラと4年前の本に書いてあったけど、700リラになっていました。
 
(店舗の写真はgoogle mapのホームページの写真です)
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トルコ旅行に出発

2024-02-10 17:12:09 | トルコ旅行
トルコ旅行

「トルコ」へ行く旅の案内を2023年の年末に見つけたので、バイトを休めるタイミングである1月29日出発を申し込みました。わずか7日間の短いツアーだけど、イスタンブールとカッパドキアの豪華ホテルに2泊するから、冬の北海道へ行くのと似たようなもので、寒くないだろうと考えました。自転車でゆっくり海外を走りたい気持ちを持ち続けていますが、今回は阪急トラピックスのパック旅行。カミさんと2人での参加です。

旅費は35周年記念で2人35万円。航空運賃、ホテル、全食事、1日1本のペットボトルの水が含まれており、その他経費は空港使用税などxx円。
個人で行く場合の費用をチェックしてみると、
福岡ー上海の中国東方航空MU-5088:41270円
上海ーイスタンブールのMU-03:91,080円
ヒルトンバクルキョイホテル:12,510円
ミニアケーブホテル:14,530円
行きの飛行機とホテル1泊だけで約16万円。これに移動のバス、観光の入場料、ガイド(通訳)を考えると一人175,000円は格安と思えます。

第1日(2024年1月29日)
自宅(13:00)ー福岡空港(20:05)ー中国東方航空MU5088ー上海(21:05)


福岡空港の国際線ターミナルの16時15分集合に十分間に合う様に、近所の知り合いに最寄り駅の浦田まで送ってもらって13時27分の電車に乗り、地下鉄、国際線連絡バスを乗り継いで15時半には国際線ターミナルに着きました。カッパドキアに於けるオプションの気球体験の費用を阪急交通のカウンターで支払う事になっていたので、集合時間では無かったが、場所の確認にカウンターへ行くと添乗員の原さんと女性が居ました。
一人2万5千円の費用2人分=5万円を支払い、eチケットとスーツケースに取り付けるタグ、上海空港でのトランジットに必要な荷物用タグとバッジ、トラピックスのバッジを受取りました。集合時間に手渡す品物をすべて受取ったので、チェックインの時間ではなかったけれど、気の早い中国人が「D」の中国東方空港チェックインカウンターに並びました。自分のスーツケースは6Kg、リュックは4.5Kg。


団体は17名。長崎と佐世保の女性2人が我々より先に並んでいました。
上海で受託荷物の検査があるのでスーツケースの鍵をかけない様に添乗員から注意がありました。
16:15チェックイン開始
チェックインの係員に自転車について質問すると、超過料金の2000元は国内から上海と上海からヨーロッパへの料金であり、サイズ・重量が規定内であれば自転車としての追加費用は不要で輪行バッグでも良いとの回答でした。
荷物検査と出国手続き後、プライオリティーパスの使えるラウンジを捜すと「ラウンジ福岡」というのがあって生ビールなどを飲むことが出来ますが、缶ジュースや水のペットボトルの様な持ち出せる物は置いてありません。
 

MU5088便はJALとの共同運航便であり、後日マイレージの登録が出来そうです。
航空管制による遅れで出発が遅れました。18:15出発予定が20:05に遅延し、搭乗ゲートは51Aから503に変更されました。搭乗は19:00、テイクオフは20時20分でした。機材はエアバスのA321

短い飛行時間でしたが、20時45分にお弁当の食事が提供され、要求すると青島ビールを飲むことが出来ました。
 


到着予定時刻は19時15分でしたが、22時05分(日本時間?)に上海浦東空港に着陸しました。上海には2つの飛行場があり中国東方航空はPudong(プードン)空港をハブとしているようです。トランジットだけなのに荷物検査があり、係員が「アンブレラ、アンブレラ」と叫んで傘を手荷物から出して検査を受ける様に要求していました。傘が凶器になるのか?

上海からイスタンブールへのMU703便は搭乗が0時35分で、出発は1時20分。でも、これって上海時間で日本時間では時差がマイナス1時間だから日本時間では2時20分。スマホは便利でその場所の時刻を表示してくれるけど、それはwifiが繋がって現地情報をスマホが認識してくれた時であってwifiが無くて現地のSIMを持っていないと機能しない。電波によって自動的に現地時間に変わらない普通の腕時計で時差を考慮に入れた把握をするのが良いのかも。
乗り継ぎが約5時間の予定でしたが、福岡からの飛行機が約2時間遅れたので結果的に待ち時間が3時間に短縮されました。搭乗ゲートのG115付近にプライオリティーのラウンジが無いか調べるつもりでしたが、日本時間と上海時間がごっちゃになってしまった事と、だだっ広い空港内の殆どの店が閉まって暗かったので、ラウンジ捜しを断念しました。夜中でも明るいバンコクのスワンナプーム空港に比べて、初めての上海浦東空港ははっきり言って暗いイメージでした。

コメント (2)
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