ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

高野街道 苅萱堂の横を登る

2022-02-26 20:51:56 | ウォーキング

学文路の駅から高野街道の
京・大坂道を登り始めています。



古い村中を抜け、山道に入ってすぐのところに
「西光寺」があります。



石童丸がこのあたりに母を残して
高野へ父に会いに行ったのですが、
親子の絆は微妙な感じで、
偶然出会った本当の父に
「お前の親は死んだよ」
と告げられたそうです。

そのことをすっかり信じて、
山から下りて母親にそれを言おうとしたところ、
母親もまた死んでしまっていたようです。

そんな母の供養として建てられたのが
堂内の「苅萱堂」でそこには母が



信仰していた人魚のミイラが
あったそうで、それは橋本市の
指定有形民族文化財なっているそうです。

それはいったいどんなかなあ。

見たいような見たくないような
感じですねえ。
前の広場に人魚のミイラの石造物が
置かれていましたが、



あとでネットで現物の写真を見たら、
決してこんな可憐ではなくて、
何とも言えない形相でした。
高野山の信仰と地元の人々の活動が
関連した眺めの良いお寺に残った



貴重な資料。
いやあ人々の心の奥深さを感じますねえ。



そんなことを思いながらdoironは
最初の予定通り、高野を目指して
歩いてゆくことにしましょう。



高野街道にはこんな案内板や
プレートが地面にはめ込まれています。



こんな道標もあったりもしますので、
街道の雰囲気は濃いですねえ。



また、近くの大構造境界点である
中央構造線のすぐそばで、
緑色の変成岩が壁とかにも
はめ込まれています。
ここの山の斜面にはそんな
緑の石が散らばっていたりもします。



道路にまで転がっている石も
あったので、記念に二つ
頂戴してきました。



いまはdoiron家の花壇の横に
置かれています。

実はねえ大きな声では言えませんが、
doiron家の庭には有名山岳の
石が転がっていたりするのです。

今回の石はなんか加工なんかも
しているようですねえ。
きっと固いんでしょう。



さあ、道はどんどん上ってゆきます。



呼吸を整えながら、
スミレが咲き始めている晴間近の
山道をえっちらおっちら登ってゆきましょう。



この辺りまで来るとかなり
標高も高くなり、
眺めもさらに良くなります。



そしてここには女人高野まで
90町の石があります。



1里が36町ですから
90町は2.5里ということになり、
2里石の手前ですから、
ほぼつじつまが合うことになりますね。



そんな石の先にあったのが第三地蔵です。



高野街道を行く人たちの
安全を祈って立てられた六地蔵で、
橋本を過ぎてから第一と第二も
確認してきました。

ここでもしっかりと無事に
帰れるように祈っておきましょう。



道はその先で右に
「ゆめさきトンネル」のある
交差点に出てきます。

京・大坂道はまだここから
まっすぐ行くのですが、
完全に山の中の道だと思っていた
高野街道がこんなに開けているのは
かなり意外なことでした。

昔は高野に向かう道なんて
一本しかないと思っていたのに、
こうして歩くと道は結構
発達しているんですね。

そのまま街道を登ってゆきますと、



あれ?道に線路跡があるの?って
一瞬疑問に思いましたが、
こんな溝は何本もあって、
どうも水を流すための穴が
掘られているみたいですね。



そんな道を上がってゆきますと、
道端にはこんな薬品が置かれています。

塩化カルシウムということは、
どうやら融雪剤のようですね。
これを道に巻いておけば、
水に溶け凝固点降下が置き、
氷ができにくくなるのと、
溶ける時に発生する熱が
氷をとかしていくんだそうです。

昔は雪国にもこの薬品が
置かれていたようです。

続く


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