富木駅の下には地下道があります。
こんなにも頑張って地下道を作ってあるのは、
当時の駅の周辺があまり
開けてなかったのでしょう。
でも阪和鉄道の乗客を増やすための
最後の宅地開発が
このあたりが最後だったそうですので、
後に踏切なんかもできたんでしょうねえ。
それからホームの所には、
外にこんな記載がありました。
いまから50年以上前に行われた
工事の痕跡も残っています。
さあ、では富木の駅はこれくらいです。
時刻表を見ると、次の目的地の
久米田までは7.6キロですねえ。
なんとここからだと線路はほぼ直線ですね。
その線路に沿って
府道30号線が走っています。
その府道に沿ってコースを選びつつ
南下してゆきましょう。
寄り道になるので等乃伎神社には
寄らずにできるだけ線路沿いの
道を進んでいきます。
取石中央線を越えたら、
堺泉北道路までは線路に沿った
直線を進みます。
新しい家が多いですね。
そして堺泉北道路からは
30号線の方に少し回り
線路から離れてゆきます。
時刻表では7.6キロの
道のりですがこうして遠回りすると
8キロは十分ありそうですね。
北信太の駅に来ました。
ここから府中までは
線路沿いの道を移動になります。
ここでもし電車に乗っていると
信太山の駅もこえて
線路がずっと直線にしかれているのが
見えるでしょうねえ。
先っぽの方がもう見えなくて、
まるでおとぎの国まで
走っていきそうな景色なんでしょう。
信太山もこえて和泉府中の駅に
着いたらなおかつまっすぐ
進んでいきましょう。
小栗街道と、ところどころで交差しながら、
最短距離で久米田を目指します。
そうしてやっとたどり
着いたのが久米田駅です。
あ、特急が走っていますよ。
なんか広い感じの駅ですねえ。
乗るときにチェックしてみましょう。
ここのみどころは駅の本屋と
ホームの形ですね。
まずは駅の形です。
ここの駅舎も富木同様にかなり古いですねえ。
ここも切妻屋根や木製の柱などから
古いものであるのがわかります。
天井もまた立て板の構造です。
調べたらやはり昭和22年の
ものだったそうです。
この建屋で変わっているのは、
これはかなり新しい取り組みでしょうねえ。
瓦の屋根が黄色など色とりどりです。
うちの屋根の瓦が飛んだ
あの台風21号のせいなんでしょうかねえ。
そんな古い建物から中に入ってみますと、
ここは元々二面四線の駅でした。
ホームの外側には待避線もひかれています。
これは昔、春木競馬場だったころに
急行とかが止まる駅だったからだそうです。
これがその上り線の待避線ですね。
競馬などいろんな出来事に
対応していたみたいですねえ。
そしてホームの基礎も石積みです。
今は立派な跨線橋もありますが、
当時はやはり構内の踏切を渡り
移動していたように見えます。
また上り線から駅の外をみてみますと、
そうそうこのあたりに
熊野古道の池田王子があったように
記憶しています。
なんてことはない田舎の駅なんですが、
調べてみると様々な過去の歴史と
共存している駅なんですね。
さてこれで今回の駅の過去の
痕跡探しは終わりです。
でもまだまだこの後も大阪市内や、
ここからさらに南の砂川周辺なんかも
見に行かないといけませんね。
ネットを調べてみたら多くの人は
興味を持って痕跡探しを
しているみたいなので、
それを参考に出かけて
行くようにしましょう。
歩けるところは歩いたりしながらね。
そんなことを考えながら、
阪和線に揺られ帰宅していった
doironだったのでした。
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