さて、同窓会の車の旅も、
途中寄り道をして、
いよいよdoironの青春の故郷である
金沢に近づいてきました。
高速から眺める地名もなんとなく
懐かしい地名が増えてきましたね。
時折左側に見える日本海までなんか
懐かしい感じがするのは、
ちとオーバーかな。
高速を降りると、
道は山方向に向かって走ってゆきます。
そして道路の上方にある案内の地名にも
「兼六園」が出てきます。
ここは加賀藩によって造営された
大名庭園で日本三大名園にあたります。
金沢と言えば、まずここですね。
とりあえず、その公園を目指してゆきましょう。
もう途中のそのあたりは
地名からしてよくみた
景色のはずなんですが、
建物類が大きく変わっているので、
なんかなじみがありません。
あれ?こんなところにスーパーが
あったっけ?なんて思いながら
車を走らせています。
遠くに見える山の景色は
多分昔と変わらないだろうけどね。
野々市あたりからもう地名と
頭の中の地図がシンクロしてきます。
兼六園の台地を挟む、犀川と浅野川。
ああ、あの頃は胸いっぱいに
希望を抱えて暮らしていたなあ。
街の各所に楽しい思い出、
甘酸っぱい記憶が転がっています。
片町あたりを通ると、
この辺にはいっぱい若い思い出があるなあ。
先のことなんかあまり考えず、
友達と飲んだり歩き回ったりしたもんだ。
そして香林坊には思い出のある
ドーナツ屋さんが今も営業していますね。
友達が深夜のバイトをしていて、
売れ残ったドーナツを店の前に、
朝の四時頃に袋に入れて捨てるのを、
頑張ってひらいにいき、
みんなで山分けしました。
50年前のドーナツひらいじけんです。
もう時効でしょ。
それどころかそのドーナツ屋さんは
なんとビルごと「ドーナツビル」と
名前をつけるほど発展してました。
あの事件が世間のドーナツ好きに
輪をかけた宣伝になっていたのかもしれません。
そんなことを考えながら、
車は兼六園のところに到着です。
緑も多いけど、わあ〜なんと桜が超満開です。
ここは日本のさくら名所100選
にも選ばれているほど、
多くの桜があります。
その兼六園にくっついている
石川門も桜に埋もれてしまいそうです。
ここの見学は明日にしようかな
と思っていたのですが、
夕方まで時間もあるし天気のいい
今日中に見学するのがいいようですね。
では、大体検討をつけてあった
駐車場に車を停めて、
さあ、まずは兼六園に向かって
歩いてゆきましょう。
丁度doironが大学に入ったころは、
石川門が大学の門でして、
あの年も満開の桜の下での入学式でした。
新しい服、新しい鞄をもって
ここを行き来しましたね。
兼六園に上がってゆく坂は
紺屋坂と言います。
ここをえっちらおっちら登ってゆきます。
昔はさほどきつさはなかったのに、
今はこんなにも急坂なんやあ
と少し驚きでした。
で、この辺りも非常に外国人が
多いですねえ。
アジアの人たちのほかに、
白人の人たちも多いですねえ。
昔はこんなに外国人は多くなかったなあ。
100mくらいの坂を上り終えると、
そこが兼六園の入り口です。
で、係の人が声を出しています。
「入園料は320円ですが、
本日は無料ではいれます」
と話しています。
桜の頃はこんな措置が取られるようです。
続く
記念館のなかにはヤマで使う
ピッケルなんかも並んでいて、
今はdoironが草刈りにつかっているのと
同じような自然木のものも
並んでいましたね。
結構どれも年季の
入っているものばかりでした。
そしてその横の部屋では、
彼のことをまとめた映像が
流されていたので、
どっこいしょと
椅子に座って鑑賞しましたよ。
どうも彼のビデオはこの館の受付で
並んでいたので、一つ買って
帰ることにしました。
こんなやつです。
実は買ってきてからもう三回ほど見ています。
概要版でしたが面白かったです。
この時に一緒にビデオを見ている
お客さんは4組くらいでしたね。
きっとどの人も山に登ったり
している人たちなんでしょうねえ。
そんな雰囲気が漂っていました。
さあ、それでは二階に
上がってゆきましょう。
囲炉裏のある畳の部屋です。
ここからも遠くの山が見えます。
白山も見えるそうです。
この時は春霞なのか遠くは
あまり見えなかったですね。
でも近くの山々は見えていました。
時期的には4月の前半なんですが、
そんな山々もまだ真っ白でした。
この辺じゃ、まだ山は雪に覆われる
そんな季節なんですねえ。
金沢には4年間も住んでいたから
山の様子なんか知ってるはずなのに、
もうあれから50年。
ああ、春にはこんな景色を
眺めていたんやなあと
思わず胸いっぱいになりました。
囲炉裏の横に腰かけ、
持参のお茶を飲んだりしながら、
自分の山登りや当時の事なんかを
思い出しつつ、一時、しっとりと
思い出に浸りましたね。
深田久弥の過去と自分自身の過去と
まじりあって振り返ったいい記念館でした。
帰りにビデオを買いつつ、
山好きそうな高齢スタッフと
少し話をして退出しました。
せっかくなので、この記念館の
周りを少し歩いてみようと思い、
早速、駅の方を向いて歩き始めました。
近くには川も流れ桜が満開の
いいところでしたね。
こんなふるさと館なんかもありました。
そういえば、学生の頃この辺りの
大聖寺出身の友達もいたなあ。
こんな町出身だったんですねえ。
大聖寺の関連とかを見ながら歩いていると、
見つけました。
ここが深田久弥の生誕地なんですねえ。
印刷屋さんだったようです。
文筆の世界に近い生まれだったんですねえ。
なんか彼にいっそう
近づいたような気がします。
そのほかにも本町何かも歩きましたが、
そうかあこの辺りは北國街道の
一か所だったんですねえ。
なかなか散歩もいいところを
見れてよかったです。
途中食堂なんかも見ましたが、
これと言う物もなく
金沢に向かう高速道路なんかで
昼食にしようと、ぐるっと歩いて
車に戻り、加賀インターに
向かうことにしました。
そして高速の途中、尼御前SAで
昼食をいただきましたよ。
海鮮シラス丼は最高でした。
その先で高速道路は、
防風堤になっている海辺の林を
横に見ながら進んんでいきます。
さあいよいよ目的地の金沢です。
ここで行きたいのは、
もちろん兼六園と山手に引っ越した
大学の見学、そして浅野川沿いの
情緒たっぷりな景色、
そして当時一緒に遊び学んだ
仲間たちとの再会です。
そうそう兼六園は実は桜の名所なんです。
兼六園菊桜なんていう
公園の名前の付いた桜もあったりするので、
そんな桜との再会もとっても
楽しみにしています。
続きます。
車に乗って宇治から琵琶湖を超え、
敦賀から日本海沿いを走ります。
最初に百名山の記念館を目指して
加賀へと向かいます。
途中渋滞もほとんどなく、
気持ちいい天気の中、
計画通りに午前10時過ぎに
その文化館に到着することができました。
加賀と言ってもなじみないですね。
もう少し説明すると、
高速道路では福井より少し先で、
尼御前のSAの少し手前にあたります。
ここで降りて、車で30分走れば、
その深田久弥山の文化館に到着します。
ここには目の前に大きな無料の
駐車場があります。
周りの施設との複合で使っているようでしたね。
そこから歩いて向かってゆくのです。
ちなみにここは火曜日が休みです。
もちろん事前に調べてゆきました。
そしてここがその文化館の入り口。
昔風の建物ですね。
ここは、昔の絹織物の会社を利用したもので、
当時の古い建築は、
国の登録有形文化財になっているそうです。
そして中にはいると、
でっかい銀杏の木が迎えてくれます。
なんか、そのまわりにも
緑が多くて山の文化館の雰囲気を
醸し出しています。
ああ、ようやく来たぞ。
昔は山を歩きながら、
ああ深田久弥はここを歩いたんやなあ
と思いながら、景色を見たりしていましたね。
そんな彼の今の本拠地に
とうとうやってきたわけです。
古い門から入って、
味のある古い入り口で写真撮影です。
そこで入館料350円を払い、
中にはいってゆきます。
すると高齢男性のスタッフが
近づいてきはりました。
「こんにちは。はじめて来られましたか」
「はい。初めてです。」
「どこからですか」というので
大阪と説明すると
「じゃ百名山は~」
「大台ヶ原と大峰山ですね」
「そうですね。伊吹と言われる人が
多いですけどね」と言ってはりました。
「ではここの施設を少しだけ
紹介しておきましょう。」
と館内の説明が始まりました。
案内図を見ながら、
この部屋には本が置かれています。
深田久弥の書いた本。
その他の山の本もたくさんあります。
そして山の道具も並んでいる
部屋もありますし、ビデオで
深田久弥を説明をしてくれる
部屋もありますし、白山が見える
部屋もあります。
そこには、囲炉裏のある畳の部屋も
ありますからゆっくりしてください。
とのことでした。
では進んでいきましょう。
通路の横には日本百名山の写真が
飾られています。
いやあなかなか見事です。
ーーー
そしてその先の部屋には、
本がいっぱい並んでいます。
深田久弥は文筆家でありました。
俳句も読むし、山関連の本を
多く描いています。
山屋さんなんかでよく見かける本も
多くありますね。
doironも学生の頃は串田孫一や
尾崎喜八を本もよく読みましたね。
みんなその部屋に置いてありました。
そして本棚には「山と渓谷」や
「岳人」なんかの月刊雑誌が
多く並んでいました。
拾い出してみると、思わぬ人の
特集があったり、これも座って
読めばなかなか面白そうでしたが、
まあそんなにゆっくりも
して行られません。
ざ~っと眺めていくことにしました。
そしてその先の部屋には、
山の道具なんかが並んでいます。
ああ~懐かしいホエーブスがありますね。
そう、彼は僕が15歳の頃に
68歳で亡くなっていますが、
僕が見たことのある山の道具なんかも
後年使っていた様です。
続く
学生の頃はやはり今思うと
感情があふれていたなあ。
何を目指して生きるんだという
強い目標はなかったけど、
学校で学んだことを通じて、
社会に貢献するんだという気持ちと、
人間としてちゃんと生きた証を
作っていくんだという、
あやふやな人生観でそれなりに
満たされて生きていた頃です。
学生の頃4年間を過ごした
金沢に行くと、あちこちでそんな自分を
思い出すことが多いのです。
今回の旅では、すでに社会から引退して、
一生をどう生きてきたか、
そして今どうして生きてるか
なんてことと過去を付き合わせたり
することが多かったですね。
なんかとってもそれなりに
人生をいつもよりは冷静に
見ていたような旅でした。
人生が始まった青春から
古希近い歳までの同窓会が
開催されるので、このたび
久しぶりに金沢に行くことになりました。
いろんなことを思い出しながら
過ごした北陸路。
その時のことを、思い出を踏まえながら
今回書いてゆくことにしましょう。
旅には車で出かけてゆきます。
新聞等によると、金沢兼六園が
ちょうど桜が満開の頃です。
大学の初めての授業で、
兼六園からの桜吹雪が空に
待っていた時のことを思い出したりして、
もうそれだけで旅の喜びを
事前に感じたりしていました。
まずは北陸自動車道で
朝早くから向かってゆきます。
当時は北陸道はまだ繋がっていなかったので、
大変でしたね。
でも多くは湖西を走る特急雷鳥で
帰省をしたりしていました。
卒業前は中古の車で、この時も
湖西を走りつつ、8号線で移動したりも
していましたね。
でも時代は進んで、
今回は阪和道から京滋バイパス、
名神から北陸高速で移動
という感じで向かってゆくことになります。
あっという間に金沢に到着となるでしょう。
でもねえそんな移動の中で
一ヶ所だけどうしても
行きたかったところがあるのです。
加賀市大聖寺にある
深田久弥の山の文化館です。
百名山の記念館みたいなところです。
この本はいい本ですねえ。
今もアトリエの本棚に置かれています。
時折読んでは、山の思い出に浸ったりします。
かれはその名著の中で
こんな風に語っています。
「どんなに世相が変わっても
その山だけは昔のままで、
あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。
わたしのふるさとの山は白山であった。」
そしてまた彼は「山ありて、わが人生は楽し」
とも言っている。
これらはなんともまあdoironの人生と
多くの部分で重なる言葉である。
さらに彼は「九山」と名乗って
俳句を作っていた。
絵つぶやきに熱中している部分と
何となくつながる部分もあるなあと、
恐れ多くも思ったりするのである。
doironも学生の頃は
よくその石川県の白山に登りました。
一人で5日間歩いたこともありましたねえ。
標高2702mの山で、
そこは僕が登った森林限界以上の
生涯初めての山でした。
あの時に別山小屋で眺めた夜の星は
今も忘れられないです。
それ以来学生の頃には、
どんどん山に登り始め、
4年間で彼が決めた百名山の
半分くらいは登ったかもしれません。
そんな彼の博物館が、
ここ加賀市にあるので、
前から行きたかったのですが、
ようやく行くことになりました。
もう今なら車でひとっとびですね。
そんな観光も兼ねて金沢への
旅行となりました。
続く
円月島は、真ん中にある
穴になっている場所が特徴ですね。
でもねえ、この島は何年か前に
穴の補修をしたのです。
それがねえ、なんかまったく自然の
雰囲気ではなく、とってつけたような
工事になっていました。
「せっかくの円月島がねえ」
と嘆いていたのです。
ところがですねえ、
この何年かのうちにコンクリートも
いい具合に変化してきて、
しかもその上に植物が生える
という変化をしてきました。
それがねえ人工的な工事を隠ぺいして、
いい感じになってきていたのです。
ああ、何と自然の力を利用して
再生させるという見事な工事だったのですね。
「あ~あ」と工事直後に嘆いていた
当時の自分が情けないです。
長い年月を借りた見事な
再生工事だったのですね。
いやあ、感服しました。
わざわざ見に来てとてもよかったなあ
と喜んだのであります。
では今回のアラ古稀の旅の
最後の目的地である、
天神崎へ向かってゆきましょう。
田辺の市街地を抜け、
海辺の方へと走ってゆくと、
天神崎の入り口に差し掛かります。
道は狭いですね。
入り口あたりの狭い駐車スペースに
車を止めて歩いていくことにしましょう。
ここは浅い岩礁が続く海で、
日本のウユニ湖なんとよばれています。
こんな感じ。
そこに、日和山へという山道が
ありましたので登ってみることにしました。
海辺のこういう山は、
気象の日和を見るという山でしょうね。
山道をえっちらおっちら登ってゆくと
前方からトレイルランをしている、
若い男の子が走ってきましたよ。
かなりのスピードランナーの様です。
小山の茂みを縫うように走ってきて、
「ちわ~」とか言いながら
横をするっとかき分けていきます。
かつての自分を見る用でした。
ああ、こんなところにも遊び人は
汗をかきに来るんですねえ。
10分くらい歩いたところで
どうやら山頂に到着です。
以前、この天神崎に来たのは
熊野古道歩きをしている頃で、
脇道にも寄らなかったねえ。
こんな眺めのいいところがあったなんてねえ。
その後山を下りてさらに
天神崎の方を回ってゆきますと、
今度はビオトープがあったりします。
じっくり見たわけではないけど、
海辺のこんなところに
地域の方が取り組んだりされている
ところがあったりするんですねえ。
さらにその先の海辺の岩礁も、
かなり沖まで歩けるほかには
あまりないようなところです。
一日ここでのんびりしても
過ごせそうなところですねえ。
車でぐるっと海辺を回れるようにも
なっているし、北側には大きな
ホテルもたっています。
こんな碑も立っているので、
朝夕の景色もいいんでしょうね。
たくさんの友達とくれば、
楽しい時間をいっぱい過ごせそうな
いいところです。
是非とも、またここにも
やってくることにしましょう。
天神崎もたっぷりではないけれど、
色々と遊ぶことができたいいところでした。
もしかしたら釣りなんかも
楽しいかもしれませんね。
このあと少し車で走ったところにある、
食堂でおいしいごはんもいただきました。
古希も近づいてきてなかなか
記憶に残るいい旅をしましたねえ。
これからはさほど体の動きも悪くなって、
こんな気ままな旅行もあまり
できなくなるかもしれませんが、
もうすこしこういう楽しい毎日を
過ごしていけるよう体に気を付けて
頑張ろうと改めて思った、
そんな白浜アドベンチャー旅行だったのでした。
おしまい