3月11日
赤磐市和気町にある
英国庭園と八代窯(八代亜紀)に
5月の連休の催しの
打ち合わせの為に
向かっていたのですが
急遽、
変更になったので
道中にある足守町の
侍屋敷町並みに
立ち寄りました。
足守は
緒方洪庵の生誕地です。
緒方洪庵は、
文化7(1810)年7月14日に
備中足守(現岡山市足守)で、
足守藩士佐伯惟因(さえき これより)の
三男として生まれました。
洪庵の生家跡は、
江戸時代の陣屋の面影を
今でも残している
足守の町並みの東北端、
足守川と宇野山にはさまれた
小高い場所にあります。
洪庵は、
蘭方医への道を選び、
足守を出ました。
医師として蘭学者として
大坂に適塾を開き
多くの人材を育てました。
天然痘治療に貢献し
日本の近代医学の
祖と言われています。
そして、
洪庵は死後、
江戸駒込高林寺に葬られました。
遺髪は
大坂天満竜海寺に葬られています。
そして、
へその緒、産毛、元服の遺髪は、
生誕の地に
安らかに眠っているのです。
県指定史跡緒方洪庵生誕地
そして
この足守には
旧足守藩侍屋敷
木下利玄生家
近水園
商家・藤田千年治邸
等があります。
町並みの規模は
大きくはありませんが
歴史と文化を
感じることが出来ます。
そして
ちょうど
陣屋町足守・町並み雛めぐり
が開催されており
通りは雛でいっぱいでした。
そして
いつものように
町並みの写真を
そして
ここでクイズです。
この部屋は
何の部屋でしょう ???
少しお考え下さい。
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この下が解答です。
↓
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写真をクリックすると
拡大します。
自刃の場となる
この部屋は
柱が逆目(天と地が逆)と
なっているそうです。
ここには屏風がありませんが
屏風は逆さまに置くそうです。
これは遺体の襟を逆にあわせたり
湯灌の時に水にお湯を注いだりと
葬儀の時には
普段とは逆さまのことを
することに由来しているそうです。
このことから
武士や家族が覚悟の
自決をする時には
屏風を逆さまに置くという
作法が生まれたのです。
死の瞬間にも
作法を忘れないというのは
日本人って
本当に凄いですね。
しかし
こんな部屋が用意されているなんて
考えるだけで
私は嫌ですね。
それじゃ日本人ではない って
それでもいいです。
自決なんて
とても とても
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さぁ~~~
少し
気分転換に
梅の花を
そして
このメニューから昼食を
懐石風定食です
850円なり~~。
ヘルシーな食事でした。
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