森さんは道真公のもう一つの詩歌を紹介している。
晩望東山遠寺
秋日間因反照看
華堂挿着白雲端
微々寄送鐘風響
略々分張塔露盤
不得香花親供養
偏将水月苦空観
佛無去来無前後
唯願抜除我障難
(くれに東山の遠寺を望む
秋の夕暮れ 所在無さに
真っ赤な照り返しの中に見える
白雲の中にさしこむように
そそりたつ荘厳な殿堂を
耳を澄ませばかすかに
聞こゆるは 風に乗る鐘の響きか
塔の露盤が羽翼を張る形も
くっきりみえる
私は親しく詣でて香花を
供えておまつりすることはできぬが
水にうつる月を見て
諸法皆空なりと観じよう
仏は時空を超越し
十万世界におわしますとかや
願わくばわれの障難を
抜除せられんことを)
延喜2年(902)に詠われたものとされる。
道真公は延喜3年2月25日に亡くなっており
最晩年の大宰府での作ということになる。
『菅家後集』に「山僧杖を贈る」との記載もあり
山岳寺院の僧侶と道真公との交流が垣間見られる。
彼は青年期に天台の教義書のひとつ
『顕揚大戒論』の序文を著し
『慈覚大師伝』という円仁の伝記を撰したとされ
比叡山には深い係わりをもっていた。
森さんはこの「東山遠寺」を
宝満にあった大山寺に充てられている。
晩望東山遠寺
秋日間因反照看
華堂挿着白雲端
微々寄送鐘風響
略々分張塔露盤
不得香花親供養
偏将水月苦空観
佛無去来無前後
唯願抜除我障難
(くれに東山の遠寺を望む
秋の夕暮れ 所在無さに
真っ赤な照り返しの中に見える
白雲の中にさしこむように
そそりたつ荘厳な殿堂を
耳を澄ませばかすかに
聞こゆるは 風に乗る鐘の響きか
塔の露盤が羽翼を張る形も
くっきりみえる
私は親しく詣でて香花を
供えておまつりすることはできぬが
水にうつる月を見て
諸法皆空なりと観じよう
仏は時空を超越し
十万世界におわしますとかや
願わくばわれの障難を
抜除せられんことを)
延喜2年(902)に詠われたものとされる。
道真公は延喜3年2月25日に亡くなっており
最晩年の大宰府での作ということになる。
『菅家後集』に「山僧杖を贈る」との記載もあり
山岳寺院の僧侶と道真公との交流が垣間見られる。
彼は青年期に天台の教義書のひとつ
『顕揚大戒論』の序文を著し
『慈覚大師伝』という円仁の伝記を撰したとされ
比叡山には深い係わりをもっていた。
森さんはこの「東山遠寺」を
宝満にあった大山寺に充てられている。