早暁の仏頂山付近から望む英彦山
研究会のつづきがなかなか書けませんので
つなぎに「一枚の写真」からよもやまを
宝満と彦山(英彦山)は九州での修験の
山の二大聖地として知られる山同士で
中世にはは彦山側を胎蔵界、宝満側を金剛界
という両部の密教的な世界観が充てられていました。
いわば二つの世界の対極同士という関係がありました。
江戸時代に定型化した修験道の峯入り行では
英彦山側から宝満までのルートは「春峰」でつながり
宝満側からは逆のコースが「秋峰」とされ
相互に修験者が行き来をしていました。
宝満、米ノ山、大根地山、大神楽、古処山、両界岳、
馬見山、嘉麻峠、大日岳、釈迦岳、彦山がかつての
その峰入りのルートです。
写真では中央のギザギザした山が英彦山、
右側が古処山と両界岳、馬見山が連山のように
見えているのでしょう。
左手奥は犬ヶ岳でしょうか?
このルートは古代山城の防衛ライン、
同時に山岳祭祀のラインであり、
古代末では経塚による法華経ネットワークのライン、
中世山城の占地稜線、修験の峰入り道
などなど歴史の重層する九州の熊野古道とも呼べる
重要なラインです。