宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

内山辛野遺跡での例会

2009-10-31 | Weblog

宝満山も山頂から8合目あたりまでが色めき始めています。
今日は内山辛野遺跡で第22回の例会がおこなわれました。
屋外での除草作業と遺跡見学です。


9時に何名いらっしゃるか・・・
ありがたいことです。
屋外作業での常連さんがお見えになり
9名での作業とあいなりました。
なんと草刈り機もご持参いただいて・・・
感謝の限りです。


まずはお寺さんにご挨拶を済ませて
観音さんの周辺から着手です。
手馴れた段取りで見る間に作業が進みます・・・



宝満山はまったく近年イノシシの巣窟と化してしまいました。
遺跡を構成する大事な石が掘り起こされている始末・・・
文化財を猪害を防ぐためにも除草はとても大事な作業だと痛感させられます。


遺跡の平坦な部分がやっと見えるように・・・
ここは重要な遺構がある場所です。


平成12年に行われた発掘調査のこの場所の写真です。
アングルはちょうど反対側から撮ったものですが。
ここでは鎌倉時代の枯山水の庭園が発見され、
その庭空間の中にあるたった4畳ほどの礎石建物がありました。
靴脱ぎ石と濡れ縁の礎石もきれいに出ています。
こういう母屋から離れた庭園中にある建物を
数寄屋風建物と呼んでいます。
お茶室はここから進化して出来るそうですが、
この遺構は鎌倉時代末から南北朝初期頃に焼失した痕跡がありました。
ですから数寄屋の成立する以前のもので
その走りになる貴重な遺構といわれています。


こちらは姿を現しつつある正面の石垣の部分です。
下は発掘時のものです。
いかに下草が繁茂したかよくわかります。


石垣は高さ1.2mほどのものが上下2段で構成され、
段の間は犬走りとなり食い違いの石階段が付けられています。
石段を登った正面に4脚の山門(掘立柱建物)が置かれていました。

結果的にここは中世有智山寺の坊の一つであり、
北は糟屋平野から玄界灘を、
南は高良山と筑後平野を見渡す景観を持っています。
峰の頂点の西斜面を造成して平坦にした土地にあり、
坊の配置から一つの頂点に当たることから
かなり優位な地位を占めた坊であって、
正面に2段の石垣と敷地奥に枯山水の庭園、
その中に数寄屋風建物を配したものであったことが知られました。
これによりここは平成16年に太宰府市の指定史跡になっています。


(季節はずれの黄砂?で霞む糟屋平野)

ご参加の皆様ありがとうございました。
今夜はどうかごゆっくり・・・

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