かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 123

2022-08-21 12:27:02 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の16(2018年11月実施)
    【樹上会議】『泡宇宙の蛙』(1999年)P80~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


123 あっけなき鳥の交尾を空に見て羽毛ほど吾はかるくなりたり

       (レポート)
 福岡伸一著『新版 動的平衡2』(71頁)に興味深い文章があった。少し長いが引用させていただいた。

「一方、大絶滅を生き延びて繁栄したのは哺乳類だけではない。翼をもち、空を飛ぶことができた鳥たちも成功者だった。彼ら彼女らは、飛ぶために特化された身体を持つに至った。吸うだけでなく息を吐くときですら、肺に酸素が送り込めるよう、気嚢(きのう)という空気袋を肺の後方に備えた。 

 何かを溜(た)めて体重が重くなることを極力避けるため、膀胱と大腸のほとんどをなくした。だから、鳥はうんちとおしっこが同じ穴からたちまち出てくる。それだけではない。メスなら卵を産む管、オスなら精子を出す管も、この同じ穴と合一している。だから鳥はすべてのことを単一の穴で行う(総排泄口)。そしてほどんどの鳥にはペニスがない。交尾は、オスとメスが協力して総排泄口をくっつけ合う行為となる。」

 一首を読むとその交尾も「あっけな」いのだとある。愛欲まみれの人間世界とくらべて鳥はなんとシンプルなのだろう。「羽毛ほど吾はかるくなりたり」に、快楽もふくめた性愛の煩わしさから解放された作者の心情が「羽毛ほど」に現れているような気がする。(真帆)


        (当日意見)
★福岡伸一さん、私も大ファンですけどものすごく文章の上手な人ですね。川上和人さんの
 『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』というのも面白かったです。お二人と
 も、鳥が軽くなった進化の過程を書いていて、今の引用部分もそこの仕組みの説明が面白
 いですね。羽毛ほど軽くなるって、ほとんど軽くなっいないけど、これは人間からの視点
 です。もし、主体が鳥だったら「羽毛」ではなく別の表現になりますから。この歌、好き
 です。(鹿取)
★鳥の交尾ってわからないんじゃないかな。(T・S)
★イワツバメだったかな、飛びながら眠るし、飛びながら交尾するんですね。だから一瞬な
 んでしょう。それ見て、〈われ〉は何かとってもサバサバした感じになったのでしょう。
 (鹿取)


       (後日意見)
 余談だが、アフリカからスウェーデンなど欧州に渡りをするヨーロッパアマツバメは、10ヶ月間着地しない個体もいるという。雛を育てる約2ヶ月間以外は食事も空中で済ます。飛びながら眠るそうだから、交尾も飛びながらするのだろう。(鹿取)


        (後日意見)2019年5月追加
 …実景を目撃したというより、むしろ青い広大な空に交尾する二羽の鳥を幻視したと理解したい。そのことによって自らの存在することの重さはかぎりなく軽く自由になるのである。「透視、すなわち愉悦」とでもいうべき原理が渡辺松男の歌にはあるのである。
  (鶴岡善久)「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞

2022-08-20 11:29:56 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の16(2018年11月実施)
    【樹上会議】『泡宇宙の蛙』(1999年)P80~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放



122 鳥われがポケットベルをつけて飛べばほかの鳥からめずらしがらる

      (レポート)
 「めずらしがらる」という第五句に童心が滲み出してたのしい。もっと大人的な鑑賞としては、無くても生きて行ける物を身に付け文明化をすすめてきた人間のある愚かさの指摘との鑑賞もあるかもしれないが、わたしはたのしい一首と鑑賞しておきたい。今せっかく松男ワールドにいるのだから。(真帆)


      (当日意見)
★何か韻律がもたもたした歌ですね。樹上会議のつづきだから、〈われ〉も仲間も鳥という
 設定です。ポケットベルは拘束されて嫌なものだから自慢の気分ではないような気がする
 んですけれど。でも、それは当時の最先端のアイテムで、それを持たせてもらえない人た
 ちからすると羨望される立場なのでしょうか。(鹿取)
★時代が出ていますね。時事をやっているわけじゃなくても、短歌ってそういうところがあ
 りますね。(A・K)
★昭和ですよね。前の方の歌にもワープロとあるけどこれは今のパソコンじゃなくてワープ
 ロ専用機。80年代ですね。(岡東)


      (後日意見)
 既に鑑賞した『寒気氾濫』(1997年刊)にポケットベルの歌があったので挙げる。「ポケットベル」という表題のついた2首。(鹿取)
常に他人と一緒のようで休まらぬポケットベルがわが腰にある
ポケットベルに拘束さるるわれの目に鬱々として巨大春月
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 121

2022-08-19 09:42:55 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の16(2018年11月実施)
    【樹上会議】『泡宇宙の蛙』(1999年)P80~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


121 かがやきて木から木へ飛ぶ看護婦のようなる鳥にあいさつをせり

      (レポート)
 この一首の鮮やかさには驚かされた。看護婦さん(1999年出版時はまだ看護師とは言っていなかった)がさわやかに患者さんへ声をかける、そんな鳥に作者は挨拶をしたという一首だ。作者が入院していた病室でのことか、通院していたときのことか、看護婦さんを見て鳥のようだと思った体験があり、その体験がもとになっているのかもしれない。「看護婦のような」が抜群に輝いている。(真帆)


     (当日意見)
★ナイチンゲールってありますね。(慧子)
★この歌は好きです。入院とか通院とかの話ではなく、まだ樹上会議の続きの歌だろうと思
 いますが、生き生きと輝いて、木から木へ飛び移りながら誰にでもやさしく声を掛けてい
 る気配りのできる鳥なんですね。〈われ〉も鳥なのでしょうけど、そんな彼女(看護婦で
 すから)には安心できるし心を開ける、だから嬉しくて挨拶をする。こういう輝くような
 女性って職場にいそうですね。(鹿取)
★「看護婦のようなる鳥」が飛躍していなくて低い次元だけどとても素直な直喩になって
 いる。(A・K)

        (後日意見)(2022年)
 看護婦の呼び名が看護師に変わった。この間にジェンダーの視点も世間に随分浸透した。そういう観点からすると、この歌の〈われ〉は男性だろうから、やや女性に対して期待しすぎかという気はする。(鹿取) 
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 120

2022-08-18 11:49:59 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の16(2018年11月実施)
    【樹上会議】『泡宇宙の蛙』(1999年)P80~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


120 鳥肌をワイシャツのしたに隠しつつピッコロを吹くようにはたらく

        (レポート)
 「鳥肌」が効いている。〈樹上会議〉をしているのだからいまは鳥人間になっているのだろうが、この「鳥肌」は、人間がぞっとしたとき肌に出来るぷつぷつと気孔が突起した状態のことと重ねて言っているのだろう。「ピッコロ」の軽妙な音感が、仕事の悩みを深追いせず軽快に働く様子を表現しているように感じる。(真帆)


          (当日意見)
★鳥肌が立つの鳥肌ではなくて、鳥になってしまった人間たちが働いているので、その肌を
 ワイシャツに隠している。上の句、下の句の取り合わせの問題ですが、鳥肌を隠すと言う
 ことをわざわざ言う必要があるのかな。たとえば119番歌「カーソルをドラミングする
 君の背にからっと啄木鳥(ケラ)の空がひろがる」では鳥になったんでしょう。それなの
 に、鳥肌を隠してさも楽しげに働いているんですよって言っている。119番でせっかく
 ふあっと広がったのに、もう一度 元に戻している感じ。説明的というか、解釈している
 というか。ピッコロを吹くのはいい感じなのに。(A・K)
★同感です。ファンタジーだったら、鳥になるって楽しいはずなのに、なんでわざわざ鳥肌
 って出すんだろうって。鳥肌と言われればどうしたって鳥肌が立つを連想するわけだし、
 そういうものを隠しながらピッコロを吹くように軽快に働いている。これだと何かサラリ
 ーマンの辛い現状とか通俗的な方向に読者の思いが行ってしまうような気がする。
   (鹿取)
★ピッコロを吹くところには、サラリーマンは人間関係が嫌でも、辛いけど、まあそれに深
 入りしないでピッコロでも吹いて、というところもあるのかなと。(真帆)

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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 119

2022-08-17 13:17:50 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の16(2018年11月実施)
    【樹上会議】『泡宇宙の蛙』(1999年)P80~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


119 カーソルをドラミングする君の背にからっと啄木鳥(ケラ)の空がひろがる

     (レポート)
 繁殖期に鳥のオスがメスの気をひく行為に「さえずり」があるが、キツツキ科の鳥はくちばしで連続して木を叩くのだという。樹上会議でパソコンをたたくのをドラミングと言っていてたのしい。「空がひろがる」と景と情をはるか空へと拡大してくれてのびやかだ。
  (真帆)


    (当日意見)
★カーソルはドラミングしませんよね。(岡東)
★そうですね、ドラミングするんだったらキーボードですよね。鳥は主に求愛のために音を
 出すので、118番歌(ワープロは嘴で打つ君とぼくぴーちゅるりゅるる花の木の上)か
 ら恋の歌の気分が続いているのかもしれませんね。木の上でパソコンを打っている君の背
 後にはからっとした気持ちのよい空が広がっている。(鹿取)

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