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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

改訂版 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 1

2022-04-03 10:36:23 | 短歌の鑑賞
 ※本日、2回目の投稿です。
  既にアップした『泡宇宙の蛙』2の1~2の5までの鑑賞を大幅に変更した歌について、
  改訂版を1首ずつ平行して載せてゆきます。

  改訂版 渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P9~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放

  
◆(支部会員の皆さんに ①)『泡宇宙の蛙』の歌集の鑑賞に入る前に、「かりん」2
 010年11月号の渡辺松男特集で、大井学さんのインタビューに渡辺松男氏が答
 えた記事の一部を紹介しておきます。(鹿取)

  『寒気氾濫』は無意識的に設定している、ある枠のなかに大方納まっていると思
  いました。(その枠のおかげで受け入れてもらえたのだと思いますが)。『泡宇宙
  の蛙』はその枠をやぶろうとしたのだと思います。その枠のなかに、前提として
  いる作歌主体そのものの自己同一性がありました。在ることの不思議、無いこと
  の不思議、生命のこと、そういう次元を詠まなかったなら、私(に)とって歌は
  意味のないものになっていました。存在に寄り添うこと、それを掬うこと、それ
  を包むこと、あるいは包まれること、それに成りきること、それらのことはいつ
  もこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっているかぎり不可能なこ
  とでした。

◆(支部会員の皆さんに ②)キノコ図鑑などを前もって見ておくと、『泡宇宙の蛙』
 の冒頭「無限振動体」一連は理解しやすいです。山毛欅などの倒木を埋め尽くすよ
 うに一面に群生している写真を見ると、その圧倒的な生命力にただただ感動します。
 写真を眺めているだけで、松男さんのこの一連が直観的にわかるような気がします。
【ブナの森では、「死」が新たな「生」を生むドラマが繰り返される。森を支配し 
 ていた巨木が倒れると、ポッカリ穴の開いた天空から光が林床に降り注ぐ。木は倒
 れてから3年ほど経つと朽ち始めるが、美味しいキノコたちが群がって生えてくる。
 やがて菌類は、長い年月をかけて倒木を分解、全て土に戻し養分を補給し続ける。】
        【 】内、ネット記事「ブナ帯のきのこ図鑑」より抜粋
 

1  森のかぜ茶いろのながれ光るなか無限振動体なるきのこ

            (意見)
 森の風が流れるなか、揺れるはずのないきのこが一斉に無限の振動体となる。風が流れきのこが揺れるとき間違いなく「森は生きている」のである。(鶴岡善久)
 「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)

 
           (まとめ)
 2番歌(倒木を埋めつくしたるうごめきのイヌセンボンタケ食毒不明)を読むと、「無限振動体」の映像的イメージが膨らむようだ。森には風が吹き、光が当たっている。そして「無限振動体なるキノコ」の圧倒的な姿が眼前に広がっている。「かりん」渡辺松男特集号から引用した上記のような志で編んだ第二歌集の巻頭歌で、思いのこもった深い歌なのだが、無限に振動している茸の姿を思い描くことができれば、この歌の思いは読者に届いているのかもしれない。(鹿取)



 
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渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 41

2022-04-03 10:22:37 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放
     

41 永遠の静止のごとく月は泛き荒船山は狸あそばす

     (レポート)
 39番歌(夢監視人われすこしまだ若ければ星尾峠の名に引かれ来し)に詠われた星尾峠のある荒船山にいま月がのぼり、月光のもと狸たちがあそんでいる、そんな詩的な風景が目に浮かんだ。
 渡辺松男の短歌は、哲学を語ることも抒情することも、ユーモアでたのしませることも風景を描くことも巧みで、読者はすっかり松男ワールドに酔うのだが、この一首などは特にそう思う。「荒船山」の固有名詞が静寂の夜の童話の世界を引き締めているように思う。(真帆)


     (まとめ)
  荒船山は群馬県甘楽郡下仁田町と長野県佐久市に跨る標高1,423mの山である。南北約2km、東西約400mの安山岩でできた台地で、平坦な頂上部と切り立った崖のある山容が、荒波を割って進む船を思わせることから、その名が付けられたといわれている。(Wikipediaより抜粋)
 40番歌(はるかより木の実匂いて来たりけり二足歩行のけものの乳房)の幻視の古代の女に引き続いて、更に遠い時間を作者は思っている。空には永遠に静止しているかのように月が浮いている。荒船山の頂上は平坦な岩の台地で、月光を浴びて狸が遊んでいる図だろうか。「証城寺の狸囃子」を思い出したが、あの歌詞にもこの歌にも明示されていないが、月は満月だろうか。真帆さんのレポートの荒船山の固有名詞と童話の世界の関連の考察が面白かった。私は宮沢賢治の世界をも連想したが、渡辺松男と賢治とは共通項も多いが違いもたくさんあって、興味深い。(鹿取)
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